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    路地に迷う自転車のごとく

迷宮旅行社・目次

これ以後


2004.7.30 -- より遅く、より低く、より弱く(思考) --

●たとえば北野武や坂本龍一やソニー製品が海外で高く評価されて、私は無邪気に誇らしかった。あるいはもし母校が甲子園に出場したりすれば、そりゃ嬉しいだろう。これは、複雑もしくは単純なカラクリによる錯覚である可能性がきわめて大きい。それでも、自分がそう感じてしまうという事実はあまりに明白で、その根拠や是非を問う議論には興味津々だけれど、それ以上に、この事実の揺るぎなさの方がどうしたって重い。この闇雲さは、日本の現在や過去における行いの功罪とも、じつは別次元の話なんじゃないか。――じゃあ何の話だろう? ●念のために言うと、ナショナリズムを一度も疑わない人というのは、ちょっと救いがたく思う。だがそれにも増して、ナショナリズムに何度も首をかしげているくせに、けっきょく今度のオリンピックでも当然のごとく日本を応援してしまいそうな私は、もっと救いがたいアホなのか。まあアホ同士、オリンピックで大いに踊るのは構わないだろう。いや時には、中国人であれ日本人であれイラク人であれ米国人であれ、幻なのか現なのか判然としない憎しみのなかで、思わずペットボトルを投げつけてしまうくらいは、まあいいじゃないか。ただもう爆弾だけを投げつけないことが重要なのであって、それ以外のアホは、さほど深刻ではない。あいかわらず子供みたいな意見? 

参照→ http://kotonoha.main.jp/2004/07/28patriot-rewrite.html


2004.7.22 -- スイカと素麺 --

●私の郷里 福井の水害は、テレビだけでなく知りあい等からもネットを介して情報が入ってきた。当日の朝、雨がものすごいという声に始まって、河川の水位が一気に上がり、まさかの堤防が決壊してしまうまで、時々刻々と。しかし床上まで水がついて家の中が泥まみれになってしまうなんて、こりゃ精神的にも肉体的にもあまりに大きな打撃だろう。そのことをいやでも少しは実感させられる。ほかにも被害は想像以上にひどいようだ。●それにしても、知人たちは私と同じくいい大人ばかりなのだが、救援や公報などボランティアの動きに、さも当り前のように加わって行っているようで、頼もしくもなんだか驚いてしまう(私と同じく暇人が多いなどということでは断じてない)。消防団という組織も名ばかりではなく、即座に堤防を守れと号令がかかって出動したという。福井市は村部も入れてせいぜい25万の人口なのだが、これくらいの規模だと共同体としての意識やネットワークがちゃんと生きて機能するのかな、ということを改めて思う。その事情は、東京の都心から中途半端に離れてべったり果てしなく広がった郊外区域などとは、おそらく大きく違うのだろう。一方で、JRローカル線の鉄橋がなんと5カ所も流れてしまい、もっとすごいことには復旧に数年もかかるという、たぶん過疎地ゆえの深刻で冷酷な問題も生じている。それにしても5年とは…。途上国じゃないんだから…。●福井県ではかつてロシア船の重油が海岸へ大量に流れ着いたことがある。そのときもボランティアが大活躍した、という。私はたまたま海外旅行中で地元にいなかったのだ。今回は炎暑の東京でへたっている。●負けないで!

参照 →http://www.mike.co.jp/  →http://july18.nagahozo.net/


2004.7.17 -- 朋輩! --

芥川賞の「介護入門」(モブ・ノリオ)を読んでみた。濃厚な呪詛の繰り言がなんとも身につまされるなかで、その自虐ぶりの厭わしさよりもその自嘲ぶりの好ましさのほうが辛うじて勝る、そんな状態でページが進むと、やがて趣旨は、人の道を根源的に極め行わんとする実践報告へと転じていき、これには、説教される厭わしさより畏怖させられる好ましさのほうが十分に勝り、感動的に読み終えることができた。●それにしても、照れや恥じを承知のうえで俺がこうでしかありえなかった人生とか半生とか呼んでいいような大袈裟な落とし前を一度はつけてみる試みが、もはや終わったと見限られている小説という方法で、今なお可能なんだなあとちょっと思い直した。いや、そんなおのれの決算なんてものには拘らない形でこそ、芸術表現は大いに多様化し進化もしたのだろうが、それでもその拘りにあえて限定してみるならば、小説はやはり今なお優位にあるのではないか。●そこはまあブログも同じかもしれない。ただ、書き直しも言い訳も絶対できない形で、100枚くらいには長い文章を、こうしかありえない個性や語りのチャーミングさもきちんと盛り込んだうえで公的に完結させるとなると、やっぱり意気込みが違うように思う。小説は誰にでも書ける(機会)が、誰にでも書ける(能力)わけではないということだ。当然この作品だって、老人介護のマニュアルになりうるだけでなく、言語表現のマニュアルになりうる。そのような積み重ねを感じる。だからこれは自己介護入門でもあるのだ。●デビュー作がそのまま芥川賞という例はそれほど多くないのではなかったかな。「介護入門」が文學界新人賞をとったときの作者の第一声。《「それで明るい未来が開けるとは、俺にはあまり思えないのだが」受賞を旧友に知らせると、暫しの沈黙からこんな言葉が返されて、的確すぎる彼の言葉に…」》(同6月号)というものだった。今度は芥川賞だから格は違うのだろう。それでも、芥川賞がかりにもこれほどの注目や敬意を国民から集めるのであれば、それに見合って1億円くらいは政府予算から作家に無条件で提供してはどうだろう。厚生労働省や社会保険庁の腐敗や官僚天下りの確保にケタ違いの公金が消えていっているかもしれないのに比べたら、遥かにましな投資だ。介護も創作も金があれば成功するとは限らないが、金がなければまずたいてい失敗する(とも限らないぜ、という小説が「介護入門」なのかもしれないが…)。


2004.7.16 -- 小説いろいろ --

●近代文学はもう終わったんですよ皆さんしつこく言わせないでくださいよもう、と柄谷行人がしつこく言っている(新潮、福田和也との対談)。●ぱらぱら読んだだけで記憶もテキトウだからそのつもりでいてほしいが、19世紀のフランスやドイツの大小説を引きあいに出し、この時代は人間の感性とかなんかそのようなものが、ロマンとか国民とかなんかそのようなものを確実に形成したのだけれど、現代はもうテクノロジーとかグローバリズムとかなんかそのようなものに覆いつくされ、感性のようなものは消滅してしまったから、かつてのような文学は成立しえない、最近の文学はすべて情報であるにすぎない、したがって私はもう小説になどまったく期待しないし、批評家もそんなものを論じるくらいならもっと他に論じるものがあるだろう、となんかそのような態度であり、そんな終わったはずの小説がたくさん載っている文芸誌を汗臭い図書館のソファーで昼間っからせっせと繰っていた私を、あいかわらずがっかりさせるのであった。

●しかし、そんなこと当たり前の初期条件でしょとでも言いたげに小説と最初から向きあっている作家もいることを、同じく新潮で連載中の保坂和志小説をめぐって」に行き着いて、確信する。この連載は保坂氏のサイトで3回目まで読める(参照 )。小説というものについて保坂は限りなく個人的に問いかけている。●世の中において、小説とは何かということは、たとえば選挙とは何か学校とは何かということと同程度の共通認識を保っているように見える。でも実を言うと、小説が何ものであり、それを書いたり読んだりすることで何が起こっているのかについては、新聞やビジネス文書や年賀状に比べたら、まったく分かっていないし考えれば考えるほど分からない。ただ小説を読んでいないときはそんなこと忘れているのだが、たまに読んでみると必ずその分からなさにぶちあたる。こんなこといくら繰り返したって何の甲斐もないんじゃないかとの思いにもかられる。●そういうとき、保坂のこのような問いかけだけが支えになる。大半の小説がどうも漠然とまちがって書かれ読まれているような気もしてきて、だったら私が今またなにかの小説を漠然とまちがって読んだとしても平気じゃないかと、肩が楽になるのだ。保坂のその思考はなかなか前に進まない。しかし足踏みしようが後戻りしようが、こうした思考こそ根本の問いなのだから、置いていくわけにはいかないし、置いていきたくもない。●なるほど、現代の小説が抱えている困難というのは、「近代文学は終わった」という認識を正しく踏まえることでたいていカタがつくのかもしれない。しかし、そうした認識にはあまりかまってもらえないような愚直な問いかけというものもあって、こっちはたいして手を付けられずにきたようにも思う。

●こういう保坂和志のごとく問いかけの圧倒的な変人が、芥川賞を取っているというのは、僥倖に思えるが、何かのまちがいにも思える。●その芥川賞舞城王太郎が落選した。…などと話題をふると、舞城を落とすような選考委員は文学の根本のところが分かってないね、とでも言いたげに聞こえるだろうか。でもそんなつもりは全くない。私は舞城小説が徹底して不可解なので、とにかく徹底して個人的に読んで個人的に考えることからしか何も始まらないと思っているけれど、選考委員の書く小説だって、やはりそれぞれに不可解でありそれぞれに個人的に読んで個人的に考えることからしか何も始まらないと思っている。●ただ、舞城小説の「分からなさ」は、上で述べた小説の平均的で曖昧な「分からなさ」というより、かなり特殊で鮮明な「分からなさ」が目立つとは言える。だからこそ分かりたいし分かりそうにも思えて近づくのだが、けっきょく分かったとは言いがたく、かといってその特殊さ鮮明さゆえにもう遠ざけることもできない。そんなところが本音だろう。批評家もけっこうそんなふうで、ときおり何か言ってはみるものの、あんまり当ってないなあと内心自分でも感じているのが実状ではないだろうか。

●そんななか、東浩紀が『ファウスト』に連載している「メタリアル・フィクションの誕生」の第1回と第2回を読んで、舞城小説について一つの明瞭な評価が明瞭な言葉によって初めて示されたとの感慨をもった。●東によれば、現代の社会や表現は物語志向からコミュニケーション志向に転じたことが重要だ。その背景にはゲームやネットの存在が大きい。それらは双方向という点で小説や映画や漫画とは根本的に違う。そうしたゲームの最中には、虚構世界にあるキャラクターの視点を持つだけでなく、現実世界にある自らの視点をもプレーヤーとして介在させることで、まったく独特のリアルさが立ち上がってくる。これは小説などの主人公に視点を同化させるのとは原理的に異なるリアルさだ。第1回ではそれをじっくり例証する。この極めて重大で画期的な変容は、ゲーム愛好者なら身をもって感づいていたのかもしれないが、それが明晰なロジックで整理されることで、ゲームを知らない者もそのリアルの実感に肉薄できる。●そして第2回では、ゲームのようなプレーヤーとしての介在は本来ありえない小説という形式であっても、物語志向からコミュニケーション志向へという社会や表現の変化を見据えることが、現代の書き手には求められていると論じたうえで、そうした希有な実践として、舞城王太郎の『九十九十九』を取り上げ大いに評価する。この論は『九十九十九』を読む際におそらく最も必須の観点を最短距離で示したと思われた。●なお、「メタリアル・フィクションの誕生」第1回が収められた『ファウスト』創刊号で、巻頭を飾っていたのは何を隠そう舞城王太郎だ。その書き下ろし小説「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」のキテレツな魅力も、東が示したゲーム特有のリアルさを踏まえた分析は有効だろう。●さらに、舞城の芥川賞候補作「好き好き大好き超愛してる。」も文芸誌(群像)を探して読んでみたが、「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」と似た系統の作品だ。というかその展開は普通なら非常識と形容していいもので、選考委員でなくても読みあぐねる危険は大きい。ちなみに、冒頭ある女の身体を蝕ばんでいるという虫が「ASMA」と呼ばれており、これやっぱり東浩紀を意識したんだろうなと可笑しくなった。

●とはいえ、舞城小説もいろいろだ(会社も)。メタフィクションやゲームにおける特異なリアルという観点の解読が不可欠であることはまちがいない。でもそれだけで舞城王太郎を読んだ実感が説明しつくせるわけではない。いやむしろ、その刺激と魅力は不明瞭なまま潜んでいる部分がまだまだ大きいのではないか。そんな直感が捨てられない。長編『山ん中の獅見朋成雄』なども、どうも読後感の整理がつかなかったが、中条省平が「とてつもなく奇妙で、とてつもなく面白い」と絶賛していたので、そうだと気を取り直したものの、ではどう面白いのか、その面白さの秘密をどう言い当てればいいのかと考えて、途方にくれてしまう。●それこそ保坂和志が小説と向きあおうとする姿勢に負けないくらい、根源的に挑まないとダメなのではないか。


2004.7.11 -- 大河ブログ --

sujakuさんの「学校給食を軸とした、ニッポン食文化変遷史。13回分を通して読んでみた。これはもう「大河ブログ」と呼びたい。●給食が日本の食をダメにした。この持論をじっくり検証しようとの動機で書き起こされたようだ。たとえばパン食の普及に関して、米を食べると子供の頭が悪くなると唱えた慶応医学部の教授がいたとか、アメリカで大量に余った小麦が日本に持ち込まれたとか、聞き捨てならない背景も引っぱり出される。やがてマクドナルドやファミレスの存在も絡んでくる。自身が子供の頃いったい何を食べていたのかも詳しく記述せずにはいられなくなる。郊外化し電化していった住環境にも視線は自然と向く。かくしてこの語りは、戦後日本の文化や社会から政治経済にいたる様々な流れを集めながら、実に大きな川幅になっていく。●あっと虚を突かれたのは、村上春樹が召喚されたところ。《…村上春樹の小説を読んでいると、おれは微笑みながらよくおもったもんだ、「ねぇ、たまには日本蕎麦でも食べたらどうだい?」》。これは勢い余ったジョークだというが、まったく痛し痒しのジョークだ。●なにか一つの問いを徹底して探りだし語りだせば、どうしてもこうなるんだなあとつくづく思う。実はリチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』を思い出しているのだが、べつにオーバーではない。私がsujakuさんと同世代であるらしいことが共感と信頼を支えていることも間違いない。だからTレックス「チルドレン・オヴ・ザ・レヴォルーション」とか南沙織「17歳」とかがぽっと出てきても、どうも他人事ではない(と思い込める)。たとえば矢作俊彦『ららら科學の子』も同じく戦後の変遷を眺めていたし、阿部和重の『シンセミア』ならパン食の普及まで絡んでいたのだが、残念ながら同世代の書き手という思いはわかない。

●私は小学校が給食だった。最初はコッペパンに脱脂粉乳で、途中から食パンと牛乳に変わった。ちなみに木造校舎と木製の机だったのも、途中から鉄筋コンクリートの校舎とスチールの机に変わっている。いつだったかその給食の時間に、友人の座る椅子をそっと後ろに引くという悪ふざけをしたところ、みごとに尻もちをつき、その拍子に手に持っていたアルマイトの器からポテトサラダかなんかが飛び出して板壁まで飛んだ。怒られてすぐ板壁を雑巾で拭いたはずだが、その学年が終了して教室を去る時にもその跡がまだ残っていたのを覚えている。●中学は弁当だったが牛乳だけは支給された。例にもれず早飲みに命を賭けるやつがいて、その瞬間に笑わせるやつもいた。うまいぐあいに噴き出した一人がけっこう色黒で、顔全体に広がった飛沫の白さとの濃淡が忘れられない。遊んでばかりの1年生の学級だった。楽しかったなあ。●う〜む、sujakuさんにつられて私も回想モードに入ってしまった。給食の話となるとやけに盛りあがり、いくらでも記憶の奥深く進んでいくのは不思議だ。このあいだテレビでやっていた映画『おもいでぽろぽろ』でも、おかずの残りをパンに挟んで持ち帰るというエピソードがあった。

●sujakuさんのサイトは『コンビニ研グルメ班』という。由来は知らないが、諦観や自嘲も匂わせつつ、しかしそうした時代や自分のアイデンティティに責任は引き受けましょうといった姿勢だろうか。このサイトのような、オレの拘りや語りはどうしてもこれをめぐってしまうんだという一筋の糸があるかないかは、ブログの最終的な面白さを決定づけると思う。●そうした個性と心情に裏打ちされた弁であれば、同じ言葉でも説得力が違う。どこを取り上げてもいいが例えば―《もはや茶の間のテレビとスーパーマーケットと冷凍冷蔵庫はひとつの共犯関係のごときものとなり、食は、産業に依存するようになった。一方でプロの味が持ち上げられ、他方で、冷凍食品とレトルトが量産され、各家庭の冷凍庫に入ってゆく。もはや、おふくろの味、には実体もなくなり、伝承も消えかけてゆく。》 あるいは、給食の味覚がファミレスの味覚を準備したという分析などなど。●だからまあ、放っておけばめし時には必ず平気でファミレスに入って日替わりなど頼んでしまう私など、まさに戦後産業食の申し子だ。食べる物もブロイラーなら、食べる私もブロイラー。しかも、料理が趣味でなく労働としか感じられず、大量生産と大量消費でそこそこまずくなく腹がふくれて、その代わりに家で朝寝坊や昼寝ができるなら、産業食OK!と言ってしまいそうな国賊ですらある。しかし食の産業化が、幸福の産業化や人生の産業化という事態をも覗かせているのであれば、それはやっぱり拒みたいか。

●sujakuさんのお母さんは兄弟が戦争で死んだそうだ。繰り返しになるかもしれないが、人がなにかをじっくり語り始めれば、戦時からの日本や自分史を掘り起こさざるをえない。それがそのまま自らの世界像の提示や検証となっていく。小説などもけっこうそういう力学に支えられているように思う。そのとき、戦争の影が自分の生活や身内のなかに直に立ち現れてくる世代は、まだ少なくはないだろう。●父母の生い立ちにも思いは自動的に至る。sujakuさんのお父さんは《猫の脳細胞で論文を書いた》! お母さんはお母さんで、訳あって夏目漱石への恨みをそっと抱えていたことが判明する。私のもういない父母はまあ路傍の石だからそんなブリリアントな一面など隠し持っているわけがない、とも絶対には言い切れないような気もしてくるのだった。


2004.7.6 -- 暑かった --

●珍しく朝から電車に乗り、やや長めの移動をした。都心と反対方向だったので混まないのはありがたかったが、最後に乗り換えたJR線は、もはやローカル列車のおもむきで、1時間に2本くらいしか来ない。じわじわ蒸してくる短いホームで予想外に待たされた。やって来たのがまた、すっかり忘れていたあの緑色の車輌で、辺鄙な土地で死ぬまで働かされる不幸な晩年を思う。●車内では胴長族を見た。というか、よくいる高校生男子。ある駅で左と右の扉からそれぞれ同時に入り込んできた2人が、そろって物憂げでシャツとネクタイが最初から緩んでいたのはいいとして、はて今は何時限目になるのかもいいとして、その制服ズボンの腰の位置だけは「え、それってどういうこと?」と思わず近づいて声をかけてしまいかねないほど衝撃的に低かったのだ。いやそれでも不満らしく、両手がしきりにズボンの腰に行きもっと下へもっと下へと努力をやめない。胸と腹が区分できないと昆虫の仲間ではないのだが、彼らは胴と脚の境界が曖昧である。腰の線は一体どこだ。ちょっとシャツをたくしあげてくれないか。もしやそのまま用が足せるほど位置までズボンは下がっているのではあるまいか。いや、というよりそのズボンの形状は、腸の具合が窮迫しついには不測の事態に至ってパンツと尻の接触を可能なかぎり回避せねばならないような場合にのみ見受けられる極めて特殊なものだ。●目的地の駅前は、酒場のスナックがずらっと並んだような街で、帰りにそこを汗をふきふき一人歩いていると、前部をぶつけて壊した大型乗用車が前に現れた。運転手らしき女性が脇に立ち、携帯で誰かに連絡をつけている。その女性のシャツというのが、斜めに大きく赤・青・黄・黒と塗り分けた大胆デザインで、豹柄のスパッツとパーマの髪によく似合っていた。映画にはよく、なんかこう作為的だが無関係に挿入されて無闇に気を引いてしまうシーンがあるが、ちょうどそんな感じだった。とはいえ、今こうして私の周囲をリアルに包んでいるこの状況や空気や心境の全体は、明らかに映画のスクリーンの規模を超えているとも思った。こういう奇妙さは、むしろ小説などの表現を使ったほうが再現しやすいのではあるまいかと。それでも映画というのは、こんなにも鮮やかな現実感を時として突きつけてくるのも本当だ。風景や出来事はただそのまま映せばいいのではなく、映画が迫真性を醸すためにはずいぶん苦心があるんだろうなと、そんな当然のことを、しかも今ここで私が考えたからとてまったくどうにもならないことを、汗をふきふき考えた。●帰りは帰りで、隣に座った女子高校生2人がそろってアイスクリームを手にしていたのだが、かなり溶けているのをちっとも気にせず、案の定コーティングのチョコレート片が、制服の上に剥がれ落ちた。

●ついでに。こっちは先日のこと。ある面接を受けた。相手二人のうち主に一人と長く話したあと、黙っていたもう一人がようやく口を開いた。その最初の質問が、「あの、××さん、血液型は何ですか」。たしかにそれは伝えていなかった。それに続いて、自分の性格の長所と短所は何だと思うかと聞かれたので、血液型はその参考ということなんだろうか。そういうものなんだろうか。


2004.7.3 -- 奏でるブログ --

●土曜の午後。吉祥寺の井の頭公園は賑やかで、売りもの鳴りもの種々あるなか、なんとテルミン!。演奏するふりをしているのを見たことはあるが、演奏しているのを見るのは初めてだ(区別はつきにくい)。なんともやわらかで不思議なサウンドだった。手先だけを微かに動かす神妙な顔つきは、まるで超能力者、あるいは地下水の在りかでも探しているような風情。だが近所のおじさんは「黒田節」をリクエストする。●楽器の演奏がこれほどまで身体と一体化してしまうというのはすごい。動物が声を出すのに似ているかも。だったらテキストの入力装置としてキーボードの代わりにならないものか。まいど言葉をあれこれ探して選んでいちいち打ち込んでやっと考えが表示できるという手順は、なんかもうまどろっこしいので。手のひらを微妙に調節することで自分の思いにぴったりの言葉が生成できるとしたら素晴しい。●ただしテルミンは、アンテナと右手との距離で音の高さが決まり、もうひとつの金属と左手との距離で音の強さが決まる。実にシンプルな原理でしかない。私の考えを託された日本語はもう少し複雑だろう。…複雑だろうか? 分化し体系化した言語という方式に合わせることで、思考も複雑になったように見えるけれど、もし方式そのものが違ってしまって、それでやるしかないとなったら、それならそれでなんとでもなるのではないか。あるいはテルミン自体が進化を極め、やがて複雑な感情や思考まで自在に伝達できるようになっていくとか? ●いずれにしても我々が、知や情の媒介方式を大胆に変える夢を模索することには意味がある。なぜなら、人類が蓄積してきた言語というのは、量も質も個人が把握できる範囲など遥かに超えてしまっているのだろうから。この媒介方式のままでは、たとえば一晩サイトを巡回するだけで、もう消化不良や機能不全に陥ってしまうのが常だ。


04年6月

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* この日誌ははてなダイアリー(id=tokyocat)に同時掲載しています。

著作=Junky@迷宮旅行社(www.mayQ.net)