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路地に迷う自転車のごとく
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2004.6.22 -- 感想の始まる前の長い長い話 --
●小泉首相が辞任した。●教師の言うことを聞かない児童は殴るべきだし、それで死んでもかまわない。●通常こういうところにこういうことを書けば、事実である、あるいは私の主張であると受けとられる。「嘘を書くな」「べつにホントだなんて言ってません」とか、「その考えはおかしい」「いや私がそう思ってるわけじゃないよ」といった言い訳は通りにくい。ところが、これがたとえば小説なら事実でなくても私の主張でなくてもいい。おもしろいことに、事実や私の主張であってもいい。書き手自身がきっと賛成なんだろうとも、むしろ反対なんだろうとも、思われることや思わせることが期待できるし心配されもする。私はまさかそんなこと考えてませんよという建前をとりながら、他人に強くそう信じさせることもできる。●何を当たり前のことを…と言われそうだが、小説という形式が実はかなり珍種なのだと気付かされる一方で、それに比べてブログは、日付とともに進行したりリンク機能があったり追加訂正が無限にできたりといった空前の多様性を持ちながら、上の観点からはかなり厳格なルールが守られているということが、なかなか不思議に感じられるのだ。●でもまあ、我々は小説というものに長く馴染んできたせいで、その独特な叙述の作用を知らず知らず取り入れながらブログを書いたり読んだりしている可能性もまた大いにある。またネット全体を眺めれば、以前も触れた「電車男」などは、ブログより小説に近いと言っていい(参照)。しかも、書き手が複数という点が小説からみれば驚くべき新種の出現を意味するのに加え、ブログにも小説にも収まらない摩訶不思議な叙述のルールが新たに成立してきたようで、きわめて興味深い。
●さて、そんなことを言って最後に風向きは逆になるのだが――。もちろん小説というものの総力戦には恐るべきものがあるのは言うまでもない。だから無人島に持っていくなら、やっぱり「電車男」より『本格小説』。それはなお揺るがないなあ。
2004.6.19 -- 久々 --
●言語というのは正しい使い方や意味が決まっていて、それを皆が共有し守っているからこそコミュニケーションがうまくいく。常識ではそう考える。ところが哲学者デイヴィドソンは違うと言ったらしい。たとえばナイフとフォークを使うとき、マナーにかなうかどうかより、食事ができたかどうかが肝心だ。それと同じく言語も互いに通じればそれでいい。しかも、言語にはこのマナーに当る本来の規則なんてものはそもそも存在しないのだ――そこまで主張した。いわく「言語が、多くの哲学者や言語学者が考えてきたようなものだとすれば、そのようなものは存在しない」。つまり我々は、相手が示す言葉をそのつど一から解釈していくことで、その意図をどうにか推しはかっているのだと。●そんなことが『デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか』(森本浩一)に書いてあった。NHK「哲学のエッセンス」シリーズからの一冊。●「言語に規範はあるのかないのか」あるいは「そもそも言語なんて存在しないのではないか」。これは「ロボットに心はあるのか」「そもそも心なんて存在しないのではないか」という問いにも似ていると思った。「心がある/ない」どちらの立場からも、ロボットや心に関する深い分析が可能だ。それと同じく、言語が存在しないとまでは言えないだろうと思う私にも、デイヴィドソンの説明は、ふだん言葉を使っている体験やその実感を実にリアルに描写していると感じられたのだ。そこが面白かった。●このデイヴィドソンの言語観を「コミュニケーションのアナーキズム」と形容するのは野矢茂樹だ。それが『哲学・航海日誌』。デイヴィドソンの独創性をきちんと消化しながら、でもコミュニケーションって実際そこまでアナーキーじゃないよね、と述べていく。
●『デイヴィドソン…』は、次のサイトで相次いで紹介されていて気になった次第。http://d.hatena.ne.jp/merubook/20040603 http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0405c.html#p040530b ●しかも、私にとって哲学っぽい関心のいちばんの核心がまるごと一冊に濃縮されているとずっと思っている『哲学・航海日誌』を、しばらくぶりに読むことにもなった。本当は野矢氏の考察について今度こそちゃんと書きとめたかったのだが、また宿題になった。なお『哲学・航海日誌』は、三浦俊彦が書評で賞賛し、途方もなく深い世界の眺め方の可能性すら嗅ぎとっている(参照)。さらには、なんと野矢氏自身が「他にもいろいろ書いたけど、これを読んでほしいな」と推薦しているのをこのあいだ発見(参照)。やっぱりね!
●さてちょっと話は飛ぶが。パソコンの調子がどうも良くないとしよう。それは風邪を引きやすい子供のようなものなのか。それともチェーンの外れやすい自転車のようなものなのか。どうみなすかで、心構えや対応は変わる。内部の状態を細かく検査してみるとか、ガンと蹴ってせいぜい油でもさしておくとか。あるいは励ましの声の一つもかけてみたり? どれが合理的なのか本当のところ私は知らない。でも経験的には、調子の悪いパソコンは結局なんとかなる。風邪だってやがて治るし、自転車もたいてい動く。人間も機械もなんで故障ばっかりするんだと嘆くことは多いが、実はどちらもけっこうしぶとく復活する。●他人と言葉が通じる不思議さも同じ。コミュニケーションできないのを嘆くより、コミュニケーションできてしまうことにもっと驚いてもいい。そのとき言語とは、たとえば子供みたいなものなのか、それとも自転車みたいなものなのか、あるいはパソコンみたいなものなのか。どうみなすかは自由だし、どうみなしても言語の分析はできるだろう。重要なのは、言語をどうみなすかを超えて、だれもが言語を使ってコミュニケーションできてしまっている事実自体だ。デイヴィドソンもそういう発想の転換を経由したようだ。
●ところで、「思想」なんて存在するのだろうか(自民党とか民主党とか私とか)。
2004.6.9 -- id:naruhito --
●雅子さん徳仁さん、言いたいことはブログに書くという手があるよ。いや案外こっそり「はてな市民」だったりして(日本の市民ではないのに…)。実はトラックバックもけっこう送ってるとか(あなたの日記にも)。●皇室を国の制度から切り離すことを真剣に模索してはどうか。とりあえず民営化とか宗教法人化とかそういうことで。そのうえで二人とも外交なり文化なり思うぞんぶん活躍すればいいじゃないか。元プリンス&プリンセスの威光はどうしたって破格なのだから。●「女帝を認めないのは時代錯誤」と嘆く人も、帝そのものが時代錯誤でないかをまったく問わないとしたら、やっぱりヘンだ。どうやら我々は、いつの頃からか、天皇制を本気で疑うことをやめてしまったようにみえる。いかにも気鋭の言論人たちも、憲法はガタがきたとか失笑しつつ、天皇制のことは忘れたフリをしている。左右両翼ともに。これもいわばひとつのグローバルスタンダードだとか考えているのではあるまいか。新聞の記者やテレビのキャスターだって、心の底から「皇太子妃 雅子様」とひれ伏す気持ちがあるわけではないだろう。だったらその言語生活はイヤだろう。でももういちいち目くじら立てないのが21世紀の流儀なのだろうか。しかしそれは言葉の拉致や言葉のテロに屈するのと、なんだか似てないか(似てないか)。●ところで、三浦俊彦がある書評でこんなことを書いている。《自我体験は論理の素朴な混乱であり、哲学からはさっさと消去されるべき擬似問題にすぎない》と。この構図を借りるなら、《天皇体験はナショナリズムの素朴な混乱であり、国政からはさっさと消去されるべき疑似問題にすぎない》。ところが実をいうと私は内心こう感じている――。それでも自我体験つまり〈私〉とは、混乱や疑似問題なのではなく、やっぱり意識や生の本質をなんらかまとっているんじゃないか、と。その思いを捨てきれないように、〈天皇〉もまた100%混乱した疑似問題だとも言えない気がする。それが〈天皇〉問題の不思議なところだ。〈私〉の謎が物理主義では解けないらしいのに似て、〈天皇〉の謎も、たとえばリベラリズムなどでは完全には解けないのかもしれない。●それとは別にもうひとつ考えさせられること。皇室は、まさに特権階級であるかのようで、実際は法すなわち国の言うことを一から十まで聞かざるをえないらしい。天皇より国家のほうがずっと強力かつ完全。当り前だが、そうなのだ。してみるとブログもなかなか許されないのか。さらには、仮に皇室が国の制度から離れたとしても、そのまま国から独立するなんてことは絶対にありえないわけだ。今度は戸籍や税金や年金がやってくる。大目に見てもらえないのは、私や総理だけでなく元皇太子もだ。それが法の下の平等ということなのだろうが、それにしても、国法とは、勢いあまって戸籍や税金ごときすらが、それほどまで「神聖にして侵すべからず」なのか。
2004.6.5 -- 殺す不思議、殺さない不思議 --
●佐世保で起こった小学6年生どうしの殺人。でも事件以上に意外だったのは、小学生の6割がインターネットを身近に使っているとかいう報道だった。いやこれはただ子供に関心がなかったためで、考えてみれば当然ありえる話だ。サイトや掲示板、チャットもどうやら大人と同じ感覚で接しているらしい。加害者が打ち込んだという文面を知るにつけ、浮かれぎみではあるが内心シビアで危うい対人関係を日々やりくりしているのは、なんだオジさんたちと変わらないじゃないか、というのが正直な感想。日常生活がネットによって覆いつくされた事情は、ちょっとおませな子供とちょっと緩めな大人とで、まあ同じようなものなのだろう。そこでは史上空前の規模と特異さで迫ってくる言葉の渦を前にして、「こいつ殺してやろうか」とムカツクことは、ないほうがおかしい。大人も子供も。●ところで、日本に小学6年生は130万人ほどいる。もちろんその上下の学年を加えていけば人数は倍増していく。そうするともっと注目していいのは、その数百万単位の子供のうち、インターネットのせいで友達を本当に殺してしまった子供はたった一人しかいないという事実の方ではないか。事件の異様さもさることながら、殺人の少なさのほうがむしろ驚くべきことに感じられる。●これは大人を含めてもそう感じる。インターネットの人間関係や言葉関係が、実社会における関係以上に濃密となり、やがて実社会を変えたり超えたりしかねないことが問題視されている。たしかに興味深いテーマだ。しかしそれなら、インターネットに絡む殺人はなぜこんなに起こきないのか。殺すまでに至らない暴力沙汰がたくさんあるのかもしれない。でも通常の暴力沙汰なら、殺すまでに至ってしまった事件が毎日のように報道されているではないか。インターネットの書き込みで関係がもつれて相手を殺したという事例は、結局一つも記憶にないが、どうだろう。●話は大きく振れるけれど、現在日本では年間3万人余りが自殺する。交通事故の死者もいまだ8千人近い。またガンによる死者はとうとう30万人を超えたという。もっと細かく特定してたとえば、喫煙が原因の肺ガン死だけをみても交通事故死の5倍だという説もある。これらに比べればインターネットはなんと安全で健康なことか。ごく稀には心中をひきおこすし、もしや回り回って生活習慣病につながらないともかぎらないが、直接死を招くような深刻さがあるとは言えない。●今回の報道では、普通の子供ということとインターネットの影響ということが当然ながら強調されている。そこには、どの子供もこういう殺人を起こしかねない、あるいは誰にとってもインターネットは悪でありうる、といった含意があいかわらず見え隠れする。でも実際は、圧倒的多数の子供はなぜか殺人をしないですんでいるし、圧倒的多数のネットユーザーは殺人をしないですんでいる。逆にそれこそ何故なんだと問うてもいい。そうなると、その珍しい子供の殺人がなぜかインターネット殺人であったこと、また、その珍しいインターネット殺人がなぜか子供の殺人であったこと、そうした限定された考察が求められることになる。●さて、このように考えて改めて自覚されてきたのは、そもそも我々は人を殺したいと思うことがままあったとしても、本当に殺してしまうほどのことはめったにないという現実だ。子供であればいっそうないのだ。これは不思議といえば不思議だ。たとえば言語の本質というものを考えると、言語なんて互いに通じるはずがないのに、あら不思議なぜか通じているね、という奇跡にやがてぶち当る。現実であれネットであれこんなに熾烈な社会において殺したいと思うことがあるに決まっているのに、でもなぜか殺さずにすんでいるという奇跡は、それに近いと思う。中東などではどうしようもなく人が殺されてしまうのだとしたら、日本などでは同じくらいどうしようもなく人が殺されずにすんでいるのだ。●ちなみに私自身は自殺したいとか誰かを殺したいとかそういう衝動にかられた経験はない。のんきな性格なのか。というとそうでもなく、政治的・道義的・社会的な憤りで「こいつ殺してやろうか」と思う方々に出会うことはある。つまりテロリストになる可能性はゼロではない。いやいや、それだってもちろん宝くじで3億円当るくらいの低い確率なので、ご安心を。●ちょっと参照→「レベル7」(大西科学)。ほかにも参考にしたサイトはいくつかありますが推測してください。
2004.6.4 -- 年金の納め時? --
牛歩で納入せよ年金
どうせ支給も牛歩だ
とはいえ安心しよう
老いも牛歩
死ぬのもたぶん牛歩
だが最も奇妙なのは、
それでもいつか必ずその日が来るらしいこと
(…本当かね、想像できない)
2004.6.2 -- 間抜けの実在 --
●最高に素晴しい、泣きますと、かねてより友人に勧められていた映画『ラヴ・ソング』が、下高井戸で上映されることをかねてよりつかんでおり、勢いよく見に行った。たしかに泣けましたがと力の入った感想を書いて送ったのと前後して、私が本日見たのは『ラブストーリー』だったことを知る。穴があったら入りたい。5円玉くらいがよい。そもそも『ラヴ・ソング』は香港映画で『ラブストーリー』は韓国映画ではないか。飲茶に行って帰ってきて「あのカクテキはさすがに」などと語るやつ。そういえばテレサテンの歌はどこかに出てきたっけと、かすかに思わないでもなかった。先達はあらまほしきことなり。
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著作=Junky@迷宮旅行社(www.mayQ.net)