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▼日誌
    路地に迷う自転車のごとく

迷宮旅行社・目次

これ以後


2002.7.30 -- 気がつくと昼寝している --

●暑いので、まとまりなく、ひと言だけ。『小説教室』関係

アキ・カウリスマキの映画『コントラクト・キラー』が深夜1時過ぎからNHK-BSで始まった。もう数年前、劇場で見たのが半分眠りながらだったので、今度はちゃんと見ようと頑張った。が、このところわけもなく早起き生活が続いており、この時間ではやっぱり目が閉じてしまう。いかにも演技をしていますという朴トツさで落ち着き払った場面の連続する映画だが、それでもストーリーは唐突に変転するようで、目があくたび、主人公にはまたもや新しい難局が訪れている。●こんなしかたのない鑑賞だけれど、アキ・カウリスマキの世界は、くたびれたつまらない哀愁、それで塗り固められた街もカフェも室内も、そこで立ち往生しつつどこかトボけた人物、その表情も性格も、私にはあまりにしっくりくる。今回実は、冒頭のタイトルシーンが始まるやいなや、風景の独特の青色と、そこに浮かぶ文字の独特の赤色が、すでにこの監督のムードを象徴するかのようで、いきなりのめりこんでしまった。じゃあラストシーンはどうかというと、まだよく知らない。


2002.7.29 -- IPアドレスみたいなもの? --

●こうなったら矢祭町へ転居だ! 実際、そう考える人は多い。●どうせ11ケタなら携帯番号に合わせるとか? で、ワン切りされたりして。●こんなものを嬉しそうに推進した総務省官僚の番号を、まず盗み、晒せ!。


2002.7.27 -- ウェブ日記ならなおのこと「ついいましがた」ネタばかり --

●夕刻、自転車でふらり近所の図書館へ。まだ強かった陽がすっかり傾いて沈むまで、当てもなく本を訪ね歩いた。思えば長いあいだこういう時間が取れなかった。●内田樹寝ながら学べる構造主義』(文春新書)があってラッキー。前書きで内田氏はこんなことを言う。《この本は「私が知っていること」よりむしろ「私が知らないこと」を中心に書かれています。》《なにしろ「知らない」ことを調べながら書く自転車操業ですから、どの主題についても、噛み砕きにくい概念や理論については、「ついさきほど、『あ、なるほど、そういうことね』と膝を打った」という「出来たてほやほや」の状態にあります。ついいましがた自分が通り抜けたばかりの論理的な難所についてご案内するわけです。これは『地球の歩き方』を読むときには、現地に三代前から住んでいる人の情報よりも、さきほどそこを旅行してきたばかりの人の情報のほうが、旅行者にとっては「使い勝手がよい」というのと同じです。》●では、さっそく読ませていただこう、エアコンの効いた部屋に寝ころんで。


2002.7.26 -- 物には表向きの形と色があって、それ以外はわからない --

マグリット展を見てきた(渋谷Bunka村)。画集でおなじみのイラストっぽいあの絵、この絵。ああ律義に油絵で塗ってある。新鮮。

●テレビの撮影では、カメラの枠に入る範囲しか、カメラに向いた正面しか見せられない。その四角の中に、必要かつ十分な人物や物品をとにかく見栄えよく配置すべく(いい大人たちが)躍起になる。ふと、マグリットの絵がそのような世界に見えた。たくさんの不思議物体(鈴とか、山高帽とか、雲とか)が並んだり浮かんだり重なったりしているのだけれど、それらはみな撮影用の小物や書き割りにすぎなくて、区切られた画面の、脇や、裏や、手前は、まったく空白だったり、まったく雑然としていたり、絵具や機材やADがころがっていたりするのではないか。

●自分の部屋のサイドテーブルや窓の前を、手持ちの奇妙な置物で好きなように飾っていく快感。そこに隠された意味などあるはずがない。見ておもしろいかどうか、置いておもしろいかどうか。それしかない。そして、これほど純粋で明白な行為はない。


2002.7.24 -- ・・・でいいんじゃないの人生 --

●ライトアップの大阪城。今宵見納め。何かほかのこともこのへんで。


2002.7.20 -- 手段と目的 --

●金が無くては生きてはいけない。だが、本が無くては生きていく甲斐がない。


2002.7.17 -- 2時間半の食う、寝る、読む --

●その大阪からの帰り。のぞみ号のお伴にと、新大阪駅で『21世紀出陣弁当』(駅弁・1000円)と『一億三千万人のための小説教室』(岩波新書・700円)を買う。どちらもオーバーなタイトルに全然負けないナイスな内容。疲労困憊ぎみの私に、力と勇気をくれた。ありがとう。『小説教室』は東京駅到着とともにちょうど読了。そのまま新幹線のごみ箱へ。いやそれは弁当箱のほう。


2002.7.15 -- 仕事を捨てよ、旅に出よう --

●大阪に出張中。なにかと気が急いて倒れそうなのだが、それでも、ホテルを出て食べる所を探すというときなどは、どうしても旅行感覚になる。で、滞在しているホテルの部屋からは大阪城のある巨大な公園が目の前に見えるのだが、それでふと、大昔、インドのデリーで、コンノートプレースとかいう市内中央のでかい公園に行ったことを思い出した。あのときは、身体が辛くて(今から思えばなんかの病気)、横になれる場所を探して公園に行ったのだった。そしたら、靴磨きのおっさんが靴を磨かせろとうるさくてうるさくて、とても休養になどならない。おまけに、そばにいた少年に両替を頼んだら、帰ってこなくて、数日後同じ公園でその少年を見つけたので、問いただしたら、恐縮しまくって今から金持ってくると言って、結局また戻ってこなかったっけ。懐かしいな。●今の話の趣旨は、大阪のこのホテルはエアコンやバスが完璧だが、デリーの安宿は涼しくなく清潔でもなく、とても身体が癒されるような場所ではありませんでしたということだ。それでも、下痢が続こうが、風呂やトイレがひどかろうが、仕事の日々に比べたら、それは天国と呼んでいいかもしれないのだった。


2002.7.4 -- 深読み無用 --

●青空に理由なんかない 消去にも理由なんかない なんかない?


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