人生とか、人間とか

わたしは今日まで生きてみました
ときには誰かの力を借りて
わたしは今日まで生きてみました
ときには誰かにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今わたしは思っています
明日からもこうして生きていくだろうと
 (中略)
わたしにはわたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう

   ---よしだたくろう「今日までそして明日から」より(漢字と仮名はテキトウ)---

たとえば、こんな単純な文句に
世界の秘密が解き明かされたように感じ、
心踊った若い日もあった。

10代は「人生」という切り札に弱いのだ。
まだ人生が浅いからこそ、
その人生をまるごと背中にしょった顔つきになれるし、
この歌のごとく、すべてを見通したような物言いに、
コテンとまいってしまったりする。

『一億三千万人のための小説教室』(高橋源一郎)を読んで、私は、
同じく「ああ世界の謎が解けていく・・・」と感じたけれど、
よくよく考えると、上の「生きて」を、「書いて」に変えて、
説教されただけ、なんてことはないだろうか?

小説なんて、ラララ、ラララ、ラーラー

いや、だから『小説教室』がダメというのではない。
逆、逆。
よしだたくろう「今日までそして明日から」「人間なんて」もまた、
かりに表層的であれ錯覚的であれ、
私にとっては実質的な、生きていく血や肉となったのであり、
とてもありがたい歌だったということ。
それを再認識しようと思い直しているのである。

それにしても、私もあれからだいぶ長く生きてきた。
そのせいか、
「人生」や「人間」というきわめて大ざっぱな括りから、
やっと 「小説」といういくぶん具体的な範囲で、
ものを見つめられるようになったのかもしれない。
だとしたら、それこそきっと人生の進歩というものだ。

武者小路実篤


Junky
2002.7.30

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