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東京永久観光/2001年

月日の流れは下から上へ


以後は現在の掲示板へ

韓国をもっと知ろう 投稿者: 投稿日: 3月17日(土)20時00分09秒 
 朝日新聞より見る韓国論

ハンとは恨みのことです、
> 韓国は、植民地としての被害、日本へのハンがかたられ続ける国

   ここから、日本に対して永遠に謝罪と賠償をもとめ続ける国になる。

>韓国軍がベトナム戦争で残虐行為を訴えると、襲われる。
> ベトナム戦争は忘れられた戦争、又は触れてはいけない戦争になっている。
>ハンギョレ新聞がベトナム戦争を記事にすると、退役軍人が同社に押しかけ、紙>に火をつけ、幹部を部屋に閉じ込めた。 

   言論の自由が無い又は、封じ込まれる。

>退役軍との討論会
>お前たちはベトコンと同じ共産主義者だ。ここが戦場だったらkろすぞ(退役軍人)
>被害の民族、という韓国民の歴史認識を揺るがしかねないだけに、訴え方が難しい。(パネリスト)
>ゲリラ戦だから民間人を誤って殺したかもしれない(戦場の大隊長)

 韓国の教科書は国定教科書
 被害の民族韓国政府の方針となる。 ベトナム戦争を暴くのは国の方針に背くことになる、

>韓国政府は、ベトナム政府からの要求がないことを理由に調査に動く姿勢を見せない。

韓国はベトナムに対し一度も謝罪も賠償もしていない。

韓国人の勇気を期待します、在日コリアンの常識を取り戻すべきだ。
 

http://
 

http://www.altasia.org/monsoon3/hangyore00312.htm


>まさはるさん 投稿者:たぐち 投稿日: 3月15日(木)19時32分20秒 
そういえば「アンドロメダ忌」が「噂の真相」で少し触れられていましたね。
「文壇事情」のところで。
 

あいまいな日本語の私 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 3月13日(火)01時08分26秒 
>生後半年で塾通い。
早く勉強に目覚めれば、早く勉強に飽きて、早く小説に目覚め、
早く小説に目覚めれば、早く小説に飽きて、父親のような小説を書く?

>源一郎掲示版と西日本新聞の記事
掲示版とは、は2ちゃんねるのことですね。
西日本新聞の記事とは?

ところで、日本の首相は、
退陣を「する」のでなく、退陣と「なる」ようですね。

http://www.mayQ.net/


源一郎掲示板 投稿者:咲原 投稿日: 3月10日(土)02時47分59秒 
・・・西日本新聞の記事、思い出しちゃいます。
 

『噂の真相』4月号より 投稿者:ムキンポ 投稿日: 3月 9日(金)13時39分47秒 
>高橋源一郎&室井佑月の子供が生後半年なのに早くも塾通いの親バカ説

http://www.uwashin.com/


2ch批評は読者の鑑・作者の鏡? 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 3月 8日(木)04時53分59秒 
2chの高橋源一郎スレッドは、
本来は高橋源一郎に強く感銘をうけ、ほめるポイントも知っていると思える人が、
それでも、けなすところを腰をすえてけなしているので、
刺激的であるし、タメになります。
あれに対抗するだけの説得力をもって
「官能小説家」を擁護する人が出てくると、
いっそう勉強になるのですが。

http://www.mayQ.net/


  投稿者:たぐち 投稿日: 3月 8日(木)00時45分42秒 
「虚空」はジュンク堂で見た気がするんですが、「闇のなかの黒い馬」は
見たかなぁ・・・?
探してみますね。

でも私の今年の---というよりも生涯の、文学上のテーマは「思考の放棄」なんで、
そんなんで埴谷を読むのもどうかなぁ?
 
 


同じく「なる」の国の人 投稿者:まさはる 投稿日: 3月 7日(水)17時42分52秒 
この前のアンドロメダ忌にも、立石さんの教え子の学生が何人か来ていたようです。
埴谷は『死霊』の他には
二つの短編集を出しています。
『虚空』(現代思潮社)と『闇のなかの黒い馬』(河出書房新社)です。
谷崎賞をとったのは後者です。

2chのTGスレッドを見ましたが、
2chらしからぬ、まともな議論が戦わされているように感じました。
(「まともな」という言葉はインターネットにはふさわしくないのだけれど)

 
 


オフ会 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 3月 5日(月)02時21分44秒 
そういう気持ちが多ければ、
なんとなくそのうちどうにかなるんじゃないでしょうか。
「する」より「なる」の国の人

http://www.mayQ.net/


オフ会ですか・・・? 投稿者:たぐち 投稿日: 3月 3日(土)23時45分54秒 
>Junkyさん
保坂が講演会で話していた「世界を肯定する哲学」(筑摩新書)が出版されましたね。
>久しぶりにオフ会でも企画してください。
洋生さんも
>いいっすねえ、オフ会。
と仰ってますが、私は幹事とか出来ません。
そういう才能がないのです(笑

>まさはるさん
>その「弟子」ってだれですか?
特に名を秘しますが、立石伯という人です。
私は一度飲んだことがありますが、あちらはまったく覚えていないと思います。
って、web上で名前を出してしまって良いのかなぁ・・・?
まぁ私の単位には関係がないので(笑
で、
>アンドロメダ忌の3次会では最晩年の埴谷雄高をめぐるどろどろした人間関係の裏話とかも
>聞けたりもしました(まえからあちこちで問題になっていたことではありますが)。
こういった話は大好きなのですが、今度機会があったら伺いたいものです。

ちなみに埴谷って小説は「死霊」だけですか?
谷崎賞を取っていたような気もするのですが---タイトル失念、それも小説ですよね?


ひっこし 投稿者:まさはる 投稿日: 3月 2日(金)02時17分35秒 
現在、双子の兄と一緒に住んでいるのですが、就職を機会に独立し引っ越します。
最近はずっと部屋探しばかりしています。まだ何部に配属されるかはわからないのですが
少なくとも明らかなことは新聞記者としての能力、適性を全く欠いています。
なにしろ、政治や経済の時事的な事柄にはほとんど関心が無く
やっていけなそうだったら、図書館の司書とかに転職したいなと
今から考えている有り様・・・。

>Junkyさん
旅行記、とても面白かったです。

>たぐちさん
その「弟子」ってだれですか?『死霊』は重厚長大なので、とりあえず図書館で借りたりして
自分に合っていて読み続けられそうだったら買ってみるというのが安全ではないでしょうか。
アンドロメダ忌の3次会では最晩年の埴谷雄高をめぐるどろどろした人間関係の裏話とかも
聞けたりもしました(まえからあちこちで問題になっていたことではありますが)。

 
 


おお、 投稿者:洋生 投稿日: 3月 2日(金)00時49分23秒 
>久しぶりにオフ会でも企画してください。

いいっすねえ、オフ会。
ああ、酔っぱらいたい。
 
 


しばらく 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 3月 1日(木)02時23分49秒 
返答もせず失礼していますが、ちゃんと読んでいます。

>クラーク博士さま
はじめまして。
そちらのページへ何か書き込もうと思いつつ、のびのびになっています。

>まさはるさん
新聞の仕事に就くわけですか。
おめでとうございます。
どうか良い記事を。

>たぐちくん
久しぶりです。ま、あちこちの掲示板でお互いおなじみでしょうけど。
さすが、講演とかいろいろ出かけてるんですね。
久しぶりにオフ会でも企画してください。

http://www.MayQ.net/


文庫 投稿者:たぐち 投稿日: 2月21日(水)23時01分42秒 
まさはるさんを信じてみようかなぁ。
でもその先生の先生---即ち埴谷雄高の弟子の方は「文芸文庫の会」で
いらっしゃるんですよね。
実は図書券1万円分持っているので、それで「死霊」を買おうかなとも
考えています。

私は前から五列目くらいで壇上から見て左側に座っていました。
 
 


埴谷雄高作品の文庫化 投稿者:まさはる 投稿日: 2月20日(火)23時55分30秒 
は当分無いはずです。
埴谷は生前、50年だか100年だかを経ていない作品を
文庫化してはいけないというようなことを言っていたように思います。

僕はアンドロメダ忌の時は
会場の最後尾の列の真ん中あたりに
どーんと座っていました。

 
 


いらしたんですか。 投稿者:たぐち 投稿日: 2月20日(火)19時30分01秒 
知り合いの人---埴谷雄高の弟子に当たる人の弟子で
私がお世話になった学校の先生が居たら2次会行こうかと思いましたが、
見あたらなかったので。
他に知り合いも居ませんでしたし。

島田雅彦はしゃべり辛そうでしたしね。
「ここのところ鬱だ」というのと自身の「老い」が私の中で
リンクしています。
「老い」を感じたから鬱なのでは?
で、想像はだんだん下品になっていきます。

で、私は埴谷雄高を読んだことがない。
上記の先生が
「僕は講談社文芸文庫に入るんじゃないかと思っているけど」と
言ったのが引っ掛かって未だに買う気になりません。
読んでいる途中に文庫が発売されたらショックを受けていまいますから。
 
 


(無題) 投稿者:まさはる 投稿日: 2月20日(火)02時59分31秒 
僕もアンドロメダ忌に行ってきました。
2次会、3次会まで行きました。2次会(アテネフランセの地下一階、埴谷の好きだったトカイワインで献杯)では、企画者の松田政夫さんに、いきなり指名され挨拶をまかされてしどろもどろになるという失態を演じましたが、トカイワインは非常も甘く飲みやすく、まあ楽しかったと思います。
たぐちさんは2次会とかは来たんですか?

島田雅彦の講演は、あまり良くなかった様に思います。
島田よりも埴谷雄高に詳しい人が聴衆のなかに多くいるということを島田自身が知っているということもあるのですが、なにかしやべりづらそうで、はなしもまとまりが無いものでした。

明日(今日)は就職先(新聞社)の健康診断などがあるので、
僕は3次会の途中で抜けてきました。
(院進学は断念し、打算的に就職します。)

Junkyさんの1,2,3,4は難しいですね。
自分がなるとしたら
埴谷>源一郎
野矢>柄谷
までは順番をつけましたが、上段と下段をどう混ぜるかが決められません。

あ、ちなみにアンドロメダ忌というのは
埴谷雄高の命日(2月19日)に毎年開かれている集まりのことで
今年で4回目でした。
 
 


アンドロメディアでなく 投稿者:たぐち 投稿日: 2月19日(月)21時15分13秒 
アンドロメダ、でしたね。
行って初めて気付きました。

  投稿者:たぐち 投稿日: 2月18日(日)23時07分19秒 
ここに書き込むのは久しぶりのような気もします。

源一郎板で私は情報屋(信憑性の薄い)になって
しまっていますが・・・

junkyさんの日記を読んでいたら何と保坂和志の講演会に
いかれていたんですね。
実は私も居ました。

明日は--入れたら--埴谷雄高のアンドロメディア忌に行ってきます。
もしかしたらまさはるさんもいらっしゃるんじゃないですかね?

でわでわ
 
 


在日コリアンについて 投稿者:クラーク博士 投稿日: 2月 8日(木)17時13分24秒 
 現在、在日コリアンと日本人の関係は、もはや切っても切れない関係にあります。
芸能界やパチンコ業界をはじめ、様々な分野で彼らの活躍が伺われます。 日本の産業や文化において彼ら無くして語れないと言っても過言ではないでしょう。
 しかしながら、多くの日本人(特に若い世代)は彼ら在日コリアンの現状や歴史をあまり詳しく知らないのではないでしょうか?
情報が少ないが故に偏った目で彼らを見ている人も少なくはないはず。

身近な隣人として良い関係を築くためにも在日コリアンの事について詳しく知りましょう。

 以下に記載するホームページでは、在日コリアンの歴史が詳しく紹介されています。
一見の価値ありです。

〜日本と在日韓国・朝鮮人の戦前から現在までの関係を扱ったサイトです。
  http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/index.html

 
 


言語の夢 投稿者:まさはる 投稿日: 2月 2日(金)02時34分23秒 
しかし、命題に意義を与えるのはわれわれの思念ではないのか。…中略…そして、
思念することは心の領域の中にある何かなのである。しかし、それはまた何か私
的なことでもある!それは把握できない何かであって、意識それ自体にのみ比較
しうる。どうしてひとはそのようなものをばからしいと思うことができよう!
それはいわば、われわれの言語の夢なのだ。(『哲学探究』358節)

『哲学探究』を私的言語批判と読んでしまうのが誤りであるとするならば、
この一節があるがゆえであると僕は思っています。

明日(今日)、卒論の口頭試問があって、
その準備中なので、今日はこれにて失礼します。
 
 


末は作家か哲学者。それがだめでも東大学長? 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 2月 2日(金)02時05分12秒 
あ、そうだった。「高橋源一郎なぺえじ」の掲示板で卒論のことに触れていましたね。失礼しました。「元理系」という自己紹介が印象に残ったせいか、うっかり忘れていました。

話の展開が多彩で刺激に満ちていますが、少しだけ。

柄谷行人と野矢茂樹(あるいは永井均)。
そもそも、実際に交流するグループや人脈が別であるとか、当人あるいは同調者どうしでなんとなくソリがあわないとか、そういうレベルでの違いがあるんだろうとは想像できますが、それ以上に、両者の思考する姿勢と結論に根本的で深刻な対立があるのかどうか、あるとしたらそれはどこなのかを見極めようというのは、とてもエキサイティングですね。

<永井均が省察的理性と解釈的理性と言う区別を立てています。前者は、ものごとをあるがままにみることだけを欲する。後者は、それに対して、物事を解釈し、ある立場を打ち出すことを目的としている。柄谷は、たぶん後者の典型なのだと思うわけです。>
というのは、その一つなのでしょう。

では、「ものごとをあるがままにみることだけを欲する」と「そういうことは欲しない」の境目は、具体的生活的には、どんな違いとして現れますか。

<公共性や慣用を本質とした言語が、ある個人に対しては先行して存在していて、かつ、個人の認識や思考をかなりの程度規定している。私の本当に言いたいことと、言語の公共性がどこかで背反し、「しこり」を生む。>

この問題をめぐるモヤモヤした気持ちは、私としてもウィトゲンシュタインが発生源でした。分析哲学・言語哲学といった分野は、このモヤモヤを発生させただけでなく、解消させようと試みてもいるのでしょう。しかし、モヤモヤ完治を期待してそういう本を読むと、かすかにわかりかける地点が最も難しい地点でもあるようで、かえってモヤモヤしたりします。

そうして行きづまった時、ある種の文学が、そのモヤモヤを解消はしないものの、モヤモヤを増幅変奏し楽しみにすら変えてくれたりするので、療法としては現実的かもしれません。

というわけで、生まれ変わったら誰になりたいか。
1高橋源一郎
2野矢茂樹
3柄谷行人
4埴谷雄高
私なら1、2、3の順です。(4はあまり知らないので省きました)
まさはるさんは、生まれ変わらなくても、どれかになってください。
卒業後の志望はどうなのですか。

http://www.mayq.net


ながくてすいません2 投稿者:まさはる 投稿日: 1月31日(水)19時13分09秒 
ぼくの学科は表象文化論というところで、かの蓮実重彦大先生が創設した学科です。
(ちなみに、野矢先生は科学哲学科の先生です。学内の一部ではカリスマ的人気もあります。
ぼくも野矢先生にはカリスマ性を感じています。)
卒論は、「源一郎なぺえじ」でも書いたことがありますが、
埴谷雄高で書きました。今日、学校の本屋で昔の『批評空間』を立ち読みしたら
カントに関する討論を柄谷と、日本のカント研究の第一人者の坂部恵とかがやっていて、
そこで、坂部が日本でカントをその根底において理解したの埴谷雄高だというようなことを言っているのを
発見してうれしかったです。埴谷はぼくの卒論でも指摘しましたがカントを、
ねじれた形で受容し、カントが示した形而上学の限界を文学によって乗り越えようとしたのです。
で、卒論のポイントは不可能な形而上学をいかに展開したか、
そして埴谷が「語りえぬもの」をいかに語ろうと(示そうと)したかということです。

奇妙な小説を書く一方で、哲学にも詳しい三浦俊彦『論理学入門』はぼくも読みましたが、
ぼくは、永井先生の主張は論駁されていないように思えます。
三浦さんは『可能世界の哲学』という本でも永井先生の独我論を批判していましたが、
それもぼくの考えでは的外れです。ただ、かなり微妙です。
永井先生と三浦俊彦さんは同じような論理を知っていて、
永井先生はその向こう側を主張する、
三浦さんはこちらに踏みとどまることを言っている、という印象です。
永井先生は「最後に首をかしげる」ゲームをやっているのですが、
そのゲーム自体に対してもくびをかしげ・・・。

ところで、心と脳とかについてやっている信原先生の授業は
ものすごく眠たいそうです。信原先生は授業は下手なようです。
 


ようこそ、まさはるさん 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 1月31日(水)17時44分26秒 

柄谷行人。端的に言って、私には難しい。にもかかわらず、どうにか理解できる部分だけをもってしても、私の思考を覆いつくして余りあり、私の関心を釘づけにして余りある、そういうインパクトのある人です。彼はずっと、現実の社会や制度を実際に改革していく運動の、しかしその運動の、クリアーな「設計思想」に傾倒していると見てはどうでしょうか。

野矢茂樹の本は『心と他者』『無限論の教室』『哲学航海日誌』『論理学』『論理トレーニング』(書名記憶違いがあるかも)と、いくつか読みました。会ったわけでもないのに、なんだかその人柄を知っている気がするのは、そういう文体だからでしょうか。「痒いところが、ほらここにある。よく見なさい。こうなっている」と念入りに示したうえで、しっかりそこを掻くという説明だと思います。柄谷行人も、もう少し素人に親切だといいんですがね。ま、偏屈者のほうがカリスマ性はあるかもしれませんが。

野矢茂樹と同じ分野に飯田隆、土屋俊といった人がいて、限りなく明晰なことを述べるようですが(明晰すぎてなかなか着いていけない)、野矢茂樹のような、当人の人格への親しみといったものは、あまり感じません。というか、二人の区別が時々つかなくなる。

永井均も強烈な個性がありますね。ウィトゲンシュタインの解説もニーチェの解説も、知識教養としてではなく切実な叫びとして伝わってくるようでした。なお、<私>という視点については、近ごろ読んだ三浦俊彦『論理学入門』がそのトリックを指摘していて、スリリングです。

まさはるさんの専攻は、理系文系を横断するようなものだとか書いていたと思いますが、たとえば、卒論はどんな内容だったのですか。また、端的に、今いちばんの興味はどこにあるのでしょう。野矢茂樹の講義を聞けたというのは、羨ましいかぎりです。じゃあ、今度はまさはるさん自身が私たちのためにゼミ「超越論的」を都内で開いてください。これはけっこうマジな提案です。

私は哲学も文学も乏しく暗いです。ウィトゲンシュタインにしても膨大な解読研究が存在し、私が新たな解釈を見い出せる余地など無いでしょう。私の頁にあるのは、すべて戯れです。そうではあっても、そういうことを考えるのが好きであることは確かです。特に最近気になることは、「人間の認知全般にとって、言語の役割は果てしなく重大にみえるのに、その言語は、どうも人間の外部にあるんじゃないかという気がしてきた」といった辺りです。
 
 


阿部和重 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 1月31日(水)17時43分26秒 
たしかにどの作品も最後の最後に「転調」が訪れますね。でも『無情の世界』を始めとして、全体のイメージや細部の駒としてはけっこう手を変え品を変えしているんじゃないでしょうか。それにしても、あの「転調」はやっぱり小説世界でしか味わえない奇天烈な印象ですね。転調というからには、音楽の転調にはなんとなく似ているかも、ですが。

http://www.mayq.net


こんにちは 投稿者:まさはる 投稿日: 1月31日(水)03時10分15秒 
「高橋源一郎なぺえじ」から来ました。
「日誌」とかを読ませていただきましたが、ウィトゲンシュタインとか
野矢茂樹とか永井均とか、
Junkyさんの嗜好が僕と似ているので嬉しかったです。

この春に大学を卒業する僕ですが、
幸運なことに、野矢先生の講義を数学期に渡ってとったことがあります。
初めてとったのが、科学哲学一般に関する概論の講義。
それから、科学哲学を扱ったゼミ。
野矢先生の師である大森荘蔵先生の『物と心』所収の論文一編を読むゼミ。
ネーゲルとかにふれた野矢先生による、しみったれていない、
言語を中心に考察された人生論の講義。
デイヴィドソンの「概念枠という考え方について」という論文を読むゼミ。
野矢先生は、浮ついた発言や、知識をひけらかすような発言を
蛇蝎のように嫌う先生でした。
「高橋源一郎なぺえじ」で「超越論的云々・・」というようなことを書きましたが
野矢先生の授業では、「超越論的」なんていう言葉を使った瞬間に
「それはなんですか、どういういみですか」という鋭い糾問が始ります。

野矢先生はジャーゴンを嫌い
自分の言葉で自分の頭で、しかも
素朴ではなく、考えるということを実践している
心の底から尊敬できる先生でした。

非常勤として一学期だけきた永井先生のゼミ形式の授業も
参加して、その著書にも溢れ出ている頭のよさに触れられました。
永井先生もまた野矢先生と同様に、僕にとっては尊敬に値する先生です。
永井先生の授業は、永井先生が『マンガを哲学する』を仕上げていた時期で
その草稿(『火の鳥』のところとか)をもとにして、
議論したりしました。<私>の独在性についての最近の先生の考えとか。

野矢先生の講義に出られなくなることは、
大学を卒業するのが嫌である理由の一つです。

日誌で面白かったのは、内容は勿論ですが
昔の方でウィトゲンシュタインのこととかを言った辺りで
「戻るとはこの意味です」
「進むとはこの意味です」で前後のページに行けるようになっていたところです。

で、Junkyさんは、野矢先生や永井先生と、柄谷行人のような人の文章と
両方読んでいるので、聞きたいのですが、
端的にどうおもいますか?
僕は両方の文章をほとんど全部読んでいて、
どちらもそれなりに好きですが、
両者は、相容れるようなものではないような気がするのです。
そして僕は、基本的に野矢―永井に与するのです。
(野矢―永井の間にも大きな隔たりはあるものの、
その隔たりは主張の内容に関するものであって、
考える姿勢は似ている)

基本からゲーデルのようなところまで扱った『論理学』などの教科書的な本も書き、
もちろんのことウィトゲンシュタインも専門的に
(この言い方は野矢先生にはふさわしくないが)研究してきた
野矢先生に、僕の友達の一人が「柄谷行人の言ってることについてどう思いますか」
と尋ねたところ、「ちょっとねぇ・・・」と苦笑しただけだったそうです。
柄谷にしてみれば「哲学」をするつもりなんてさらさらないのでしょうが。
 
 


こんばんは 投稿者:wes 投稿日: 1月30日(火)22時56分26秒 
>Junkyさん
阿部和重に関するコメント、とても嬉しいです!!
もしまた阿部和重の書評をするときがあればまた教えてくださいね!
 

>洋生さん
そう。阿部和重は、きっと今が最初の正念場なんだと思います。
思うに、プロの作家となる、ということは、確率を考えると「一流の」会社に就職する
ようなもんではないかと。そこから「作家」になれるかどうかは
やはり本人次第だと思います。そしてボクは同じく「近年まれにみる」ということで
すごく期待しているのです!
 
 


もちろん、 投稿者:洋生 投稿日: 1月30日(火)19時37分26秒 
阿部和重は、近年まれにみる貴重な書き手ということは前提にして、
なんか、
物語の構造がなんかどれも似てませんか?
特に、いつも最後に派手な立ち回りがあるところとか。
今後は、いかに読者を裏切るか、その裏切りを感じさせるか、だと思っています。

いや、しかし、そういう意味でも、また早く新作が読みたいですね。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/9796/


瀬名さくらさん 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 1月29日(月)19時12分31秒 
ああいう愛人を新宿のマンションに囲う、と。

志操堅固 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 1月29日(月)19時08分35秒 
う〜む、良い言葉ですね。
が今回はひとつ、変幻自在ということで。

*ブラウザを変えた話です。

http://www.mayq.net


WESさま 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 1月29日(月)19時05分02秒 
WESさん
リンクありがとうございました。
私の頁もリンクをちゃんとしようと思っていますので、そのときはぜひ。

なお、以前お尋ねだった「みなごろし」を再読堪能しました。
少し前の「ヴェロニカ・ハートの幻影」「公爵夫人邸の午後のパーティ」の衝撃もあり、
私も今やすっかり阿部和重ファンを自認しています。
はまりかたがわかってきたというか。

 
 


転向者がいるだすか 投稿者:ムキンポ 投稿日: 1月28日(日)16時11分12秒 
ブックマークはインポートすればいいんじゃないだすか。
しかし正しい思想をもち、志操堅固に生きなければいけまへん。

http://www.mkimpo.com/


お久しぶりです 投稿者:wes 投稿日: 1月28日(日)15時57分14秒 
ボクのHPの「文字表現-全般-リンク集」に、宣告どおり
「迷宮旅行社」へリンクをはらしていただきました。
http://www.geocities.co.jp/Bookend/5956/link-n.html
悩んだすえ、高橋源一郎のファンサイト「高橋源一郎なぺえじ」の下に置かせてもらい
ました。コメント等、不都合がありましたらお願いします。

それでは今後もよろしくお願いします。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/5956/


瀬名さんのところ、堪能しました。 投稿者:洋生 投稿日: 1月22日(月)01時39分34秒 
いやあ、僕もあんな愛人がほしい・・・・・・

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/9796/


『噂の真相』2月号は本日発売だすか 投稿者:ムキンポ 投稿日: 1月10日(水)15時12分45秒 
>柄谷行人が30歳以上年下のオックスフォード大卒の女性と再婚との噂が

↓は島田雅彦先生の新しい愛人と噂の瀬名さくらさん

http://www.sakurasena.com/


google先生に尋ねたところ  投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 1月 8日(月)06時38分19秒 
連帯を求めて孤立を恐れず・・・
東大全共闘が残した言葉でした。
このあとには、次の文句が続いていた。
・・・とめてくれるな、おっかさん

というのはウソで、
ホントは次だそうです。
力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する

かっこいいのが許されたプレポストモダン=つまりモダン

孤立を求めて連帯を恐れず
これを聞いた時は、なるほどと膝をたたいた覚えがありまして、
誰だっけと思って検索したところ、下の人でした。

http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/91/91h11c.htm


うーん、 投稿者:洋生 投稿日: 1月 8日(月)03時49分56秒 
なんか、「ご両人」とか言われると、
ちょっと赤くなってみたり。ぽッ。

もともと
「連帯を求めて孤独を恐れず」(だったっけ?)
っていったのは、誰っていうかどの団体でしたっけ?
そしてこれに対して、
「孤独を求めて連帯を恐れず」(だったっけ)
っていったのは誰でしたっけ?
まあ、誰がいってようが、関係ないんですが。

決して孤独が好きなわけじゃないし、
連帯するのも嫌いではないのですが、
苦手だったりします。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/9796/


洋生さん、たださん 投稿者:Junky(管理者) 投稿日: 1月 5日(金)07時49分39秒 
ご両人様、今年もどうぞよろしく。
NAM、なんだか、気になりますね。
私の本当に切実な問題は私の本当に切実な言葉でしか照らすことなどできない。
というのは正しいと思いますが、
だからといって、連帯しないのが正しいわけでもないと思ったりもします。

またいろいろやりとり(書き込み)しましょう。あちこちで。

 
 


あけましておめでとうございます。 投稿者:ただ(夛田 真一) 投稿日: 1月 5日(金)01時16分04秒 
振込用紙を手にしたまま、我NAMにいまだ加入せず。

NAMの加入者が、日本共産党の党員数を超えることは絶対無いような気がするが。
 
 


どーも、 投稿者:洋生 投稿日: 1月 4日(木)01時17分49秒 
あけまして、おめでとうございます。
柄谷行人と坂本龍一の対談、面白く読めました。
最近よんだ、月尾教授と田原総一郎の対談とあわせ、
やっと、なんとなく見えてきたような気がしてます。

2000年へ