読んでも、読んでも、ピンチョン
(99年2月)
トマス・ピンチョンは「スロー・ラーナー」だけを イヤイヤながら少しづつ読んでは、やっぱり、常に面白さに至らない。 理由は、いろいろ考えられようが、 ひとつは僕がアメリカの風俗や文化を知らないからではないかと思う。 「優雅で感傷的な日本野球」だって、 日本のプロ野球や阪神球団についてほとんど知らないはずの、 たとえばドイツ人が読んだって、 その面白さがわかるものか!>**さんは、トマスピンチョンが面白いですか。 その場合、なぜ面白いのですか。 逆に面白くない人(たとえば僕)は、なぜ面白く思えないのだと思いますか。 面白く思えない人とは、実は、面白いと思えない理由が分からない人なのです。 面白い理由も、面白く思えない理由も、 面白いと思う人は、両方分かるのだと思います。
高橋源一郎が時を経て面白くなったように、 いつか僕もトマスピンチョンを面白く読める日がくるでしょうか。
アセトアルデヒド
「フィネガンズ・ウェイク」なんて手にしたこともないし、 たぶん、楽しめないんだろうなあ。 それどころか、僕はジョン・バースとかトマス・ピンチョンですら なかなか進まない。アルコールを分解する酵素がちゃんと働く人と働かない人がいるように、 僕にはピンチョンの文章を分解する酵素がなくて、 読んでいるうちにアセトアルデヒドみたいなものがだんだんたまってきて、 頭が痛くなってしまうわけです。
実はきょうなんとなく思い立って「スロー・ラーナー」を借りてきて読んでるんです が、 昔一度読んでなんだか味わうのが難しかった印象がそのままで、 進歩がなくて寂しい。 ピンチョン好き!なんて人がいたら、ちょっと読むコツを教えてほしいですね。
まあでも、僕はそもそも高橋源一郎小説ですら、 最初から抵抗なく受け入れることができたわけではなかった。 だからまあ、今は近づきがたい本でも、ちゃんと出会う日もくるだろう。か。
読まねば慣れない?
読まねばならない?
(99年2月)
今ちょっと「優雅で感傷的な日本野球」を読み直しているのですが、 これが面白いのなんのって。 はっきり言って、刊行当時は全くわけがわからない状態で、 仕方なく読み通した記憶があります。 (そのくせ、わかったような振りをして、いろいろ語ってきましたが。) 今となってはあれが面白くなかった自分が不思議でならない。 どういうことなんでしょうね。 毒に慣れた?薬には全然なりませんけれども。ここから引き出せる教訓とは。
1面白くないものは無理して読むな。
2面白くないものは無理して読め。どっちなのだろう。