言語が我々の思考を大きく支配・制限していることは間違いのないことだと思います。感情についても、かなりの部分がそうで あると思いますが、はっきりとしたことは言えないので、ひとまず、思考に限定しておきます。
広く一般に知られていることだと思いますが、インド・ヨーロッパ語族に属する言語では、例えば、英語では、「NO」という言葉の後に続くものは必ず否定形です。反対に、「YES」という言葉の後に続くものは必ず肯定形でなくてはなりません。つまり、日本語でよく見られる、「いいえ、私はやります。」というような、否定の返事の後に肯定形の言葉が続くということは、英語及び、その仲間の言語ではあり得ないことなのです。さらに例をあげますと、「I can't do nothing.」という言葉をどう理解 するかという事があげられます。このような言い回しは、日本の英語教育の中では決してでてこないものですが、実際には、かなり俗な言い方としてあり得るものです。では、この言い回しの意味は何でしょう。逐語的に日本語に直せば、「私が出来ない・無 い。」とでもなるでしょうか。一見すると、「私が出来ないことはない。」とでもいうような意味になるかのようですが、本当の ところは、「I can't do anything.」の俗な形での強調形です。つまり、「I can't do anything !!」といったところです。日本語に訳せば、「私は何もできない。」ということです。英語という言語においては、否定を否定することによって、肯定形を作り出すという事はあり得ないのです。ところが、日本語では否定を否定することによって、肯定するという言い回しは頻繁に見る ことが出来ます。一例をあげれば、「ないことはない。」というものがあげられると思います。つまりは、「ある。」ということなのですが、直接的に「ある。」と言うことが憚れる際によく使われる言い回しです。
この否定を否定することによって、肯定を作るという日本語の表現が、欧米人が日本語を学ぶ際の一つの壁になるそうです。反 対のことが、日本人が英語などを学ぶ際の壁にもなっていることは、ご存じの通りだと思います。英語では、否定語が含まれる文章は、徹頭徹尾否定形なのです。対して、日本語は、否定語の含まれる文章が全体として肯定形であるということは何ら珍しいことではありません。では、欧米人が否定を否定することにより肯定するということが全く理解できないのかというと、そんなこと はありません。例えば、数学において、マイナス掛けるマイナスはプラスであるということは、当然ながら欧米人も理解しますし 、論理学で、否定は¬という記号で表されるのですが、pの否定は、¬pという形にになり、¬pを否定すると、¬(¬p)とい う形になり、結局は、pと同じことです。このように、否定の否定は、肯定であるということは、欧米人も理解するところなので すが、英語という日常的な言語を使用している限りは、考えに浮かんでこないわけです。
これは、思考が言語に大きく左右される一つの例です。その他にも、言語によって考えが支配されている例は多くありますが、 これ以上あげることはひとまず差し控えておきます。(つづく)