閉鎖的で行こう
(97年)



「開かれた」というのは、実は、自らの閉鎖性を自覚できるかどうかにかかっている のではないですか。文芸誌が仮に閉鎖的に見えるとしたら、そこに載っている小説が そのことを意識していないからだと思います。一方で、そういう場所に横書きでしか もインターネットの伝言板と連動したような小説を発表する行為は、閉鎖性の自覚を 持って試みられた「開かれた」行為だと思うわけです。昔『優雅で感傷的な日本野 球』が「内輪の言葉」とかいう言い方で批判されたことがありましたね。今回の「日 本文学盛衰史」も同じように感じる人がいることでしょう。インターネットの伝言板 なんて「内輪」で「閉鎖的」なものの代表のように思われているし、作者とファンの つながりをあからさまにしたことだって、同じ印象を与えるでしょうから。しかし、 高橋源一郎氏は、むしろその閉鎖性を強く意識したからこそ、今回の「日本文学盛衰 史」が生まれたのだと思うのです。大事なのは、他人の閉鎖性を指摘することではな く、自らの閉鎖性をどれだけ自覚できるかではないでしょうか。この書き込みの持つ 閉鎖性を僕がどれだけ自覚できるかではないでしょうか。
ゴーストバスターズの感想コーナーに続いて、こちらには初めて書き込みました。よ ろしく。(内輪的あいさつ)

*高橋源一郎の読者が集う「高橋源一郎なページ」というところがウェブ上にあります。そこの掲示板への書き込みです。「閉鎖的サークルでない開かれた場所って僕は殆ど知りません。開かれた場所?それはどこかにあるんでしょうか?インターネットはそうでしょうか?」という問いに対してです。







タカハシさんは伝える努力をしていると思う



「相手に伝わるように喋る」ためには、 二つやり方があると思います。 まずは、相手に伝える努力をすること。 もうひとつは、誰にでもすぐ伝わりそうな内容だけを喋ることです。

高橋源一郎小説に伝わりにくさがあるとしたら、 輪郭や素性がはっきりした小説だけを書いたり読んだりして、 伝わるということそのもののものすごい不思議さを疑わない、 それこそ自閉的なブンガクの輪の中にいると、 必ず陥ってしまうのに決して気づけないような、 そういうややこしい内容を伝えようと努力しているせいだと思います。 しかも、へんな話ですが、そのためには、 「端正で由緒正しい言葉」を用いて「端正で由緒正しい読書」を生じさせてしまうよ うなこと、 つまり批判しようとしている対象に似てしまうようなことだけは、 どうしても避けたがっているのだ、と考えたらどうでしょう。 こういう努力の結果が、いっそう、 「自閉的で伝わりにくい」という印象を与えるのではないか、という理屈です。

言葉や思想がたいそう重々しく立派な振りをしているくせに、 実は万人の常識の中にするりと流れ込んでいきながら、 結局なにも中身がないような、そういう場に対して、とにかく攻撃を仕掛けること が、 タカハシさんが何かを書く目的であり、かつ何かを書く手段でもあるのではないでし ょうか。


Junky

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著作=junky@迷宮旅行社http://www.tk1.speed.co.jp/junky/mayq.html