5月14日にようやく自分の土地に入れた。うれしかった。でも、それだけのために、こんなにたくさんの努力が必要だった。国が根拠なしに土地を強奪している状態。国が不法行為をしてなんの咎めもない。国益と言えばなにをやってもいいのだ。
昔は基地に許可なく入ると撃ち殺された。かつて米軍が使う弾の薬きょうが高く売れたので、僕の妻のおじさんにあたる人がその薬きょうを拾いに基地へ入り、撃ち殺された。だから基地とは怖いものだった。そこへ堂々と入れるのだからうれしかった。

沖縄は1945年から1972年まで軍事独裁支配が続いた。琉球の主席を僕らは選ぶことができず、議会に対してもアメリカが拒否権を持っていた。
1ドル360円の時代。 沖縄の人とアメリカ兵とでは経済格差も大きかった。僕の初任給が47ドルの時、アメリカ兵は下っ端でも200ドルもらっていた。将校になると500ドル。沖縄の主席ですら300ドルの給与だったのに。20代の米兵たちは死を覚悟して戦争に出かけていくのだから、沖縄ではバンバン金を使った。女を買った。なにをやってもおとがめなしだった。読谷村(知花さんの出身地)では、離れに家を借りて住む娼婦の所に夜になると米兵が来る。アメリカのセックスのはけ口に沖縄が使われていた。それで戦争をしていたのだ。僕は高校時代くらいにこの異常さに気づいた。

日本とは、僕にとってあこがれの島だった。憲法をもっているんだなあ、とあこがれた。だから本土復帰のために頑張った。復帰すれば基地もなくなるだろうと期待した。ところが基地はそのままという密約があった。アメリカの議会で「たくさんの犠牲で築いた沖縄をただで日本に返すのか」と質問され米政権は「だからこそ返還するんだ」と答えている。(返還する目的は、基地をむしろ確実に定着させるためという意味)

沖縄の土地の20パーセントがアメリカの基地。本土復帰以降、米軍の犯罪は4750件を数える。うち111件は婦女暴行だ。
昨年の少女暴行事件のあと、地位協定の見直しを政府に要請に行った。そしたら外務大臣は「これだけのことで見直しは早すぎる」と言った。日本商工会議所のトップは「ささいなことで日米関係の信頼を損なったら困る」と言った。そういう感性しか持っていないのだ。沖縄の人は怒った。
しかもこの事件は氷山の一角でしかない。婦女暴行は親告罪なので告訴しなければ犯人を捕まえてくれない。告訴をするということはみんなに知られてしまうことであり、生活できないような状態になるのだ。
復帰前は婦女暴行はもっとあった。米兵は夕方になると女を探して部落内を徘徊した。沖縄の人は自警団まで作った。それでも女性たちを守れなかったのだ。復帰前はそういうことが表にでなかった。
暴行された女性は一生それを背負うことになるのだ。そういう大変な問題であることを、政府はなにも分かっていない。
それに対する対応が知事の代理署名拒否だった。これを沖縄の人の90パーセントが指示した。反対は3パーセントだけだ。代理署名拒否はまさに沖縄の総意なのだ。そして本土からの手紙6万通が知事を激励した。

そうして迎えた4月1日(象のオリの期限切れ)だったが、結局立ち入りはできなかった。
そして仮処分裁判になった。国は「基地にちょとでも足を踏み入れると電波障害を起こすからダメだ」と言った。しかしそれは全部嘘だった。なぜなら、そのあと1トンもある草刈り機械が敷地内を歩いていたからだ。僕はそれを写真に撮って国に突きつけた。(それで国は入れせないわけにはいかなくなった。)
僕は地籍の確認のために一回とおじいさんの供養のために一回とあわせて二回の立ち入りを要求した。それぞれ30人ずつで。国はそれを拒否した。そして「一回に限ることと、人数は25人のみ」を「不動の和解案だ」として出してきた。僕はそれを拒否した。すると、不動の案のはずが「一回だけの立ち入りで、30人ずつ入れ替える」という案に変わった。それも拒否すると、国はこちらの要求をすべて認めた。そして5月14日に一回目の立ち入りとなった。

「大変だったでしょう」と言われるが、特別なことをしているつもりはない。 「どうしてあんなに頑張れるんですか」と聞かれると、反戦地主はみんな笑う。特別なことではない。戦争につながる土地をアメリカに提供しない。それだけのことだ。僕が一年早く期限が切れたので焦点になっているが、反戦地主はみんな同じ気持ちだ。

なぜ頑張れるのかということで、あえて言えば、僕は「チビチリガマの集団自決」の調査に加わって「二度と戦争は許さない」という思いを強く持ったことがあると思う。
チビチリガマでは85人が死んだ。83人が集団自決、2人が竹槍でアメリカ兵に向かっていって射殺された。女性、お年寄りと14歳以下の子供ばかりだった。子供が47人もいたのだ。子供は自決できるか(意志があったか)というとできないだろう。でも死んだ。つまりお母さんが鎌や包丁でわが子を殺したのだ。
どうしてそんなことが母親にできたのか。
答えは一つ。(その時代の人は)「あんたらにはわからんだろうが、それがその時の教えだったんだよ」と言う。
沖縄は天皇制に本土より遅く組み入れられたこともあって、徹底した皇民化教育があった。日本人に近づくために沖縄の言葉もなくした。日清、日露戦争でも、沖縄の人たちは、たくさん犠牲を出すことが日本人に近づくことだとして、真っ先に敵に突っ込んでいったという。
戦争というのはそれほどものだ。
だから、戦争につながることには絶対手を貸さないのだ。
今の社会はゆずりにゆずってやってきた。全部ゆずればいいのかというと、違うと思う。これだけはゆずれないということを持つことは大事だと思う。少なくとも私は戦争につながることだけは絶対ゆずらずやっていこうと思った。それが日の丸を燃やすことだった。アメリカに土地を貸さないということだった。

現在沖縄の米軍基地の地主3万人のうち、反戦地主は130人。このほか一坪づつ土地を所有して反対する地主が2800人いる。ちょっぴりだがそういう人がちゃんと存在する。反戦地主は自分たちを「火種であればいい」という。
反戦地主は銀行が土地を担保に金を貸してはくれないなど、いろいろと差別を受ける。

沖縄は人口130万人。日本のたった1%。面積は0・6%。一顧だにされない存在だ。日本では安保賛成が60%以上に達しているが、沖縄では逆に70%が安保に反対し90%が基地は要らないと言っている。国益の名で沖縄に押しつけている実態がここにある。
しかしそれに対して太田知事は「ノー」と言った。沖縄の人は喜んだ。これまで120年間言えなかったことだ。
沖縄はアイデンティティをつぶされてきた。沖縄戦も戦った。戦闘は9月7日まで続き23万人が死んだ。本土上陸阻止の捨て石だった。天皇が「琉球はアメリカに」とマッカーサーに伝えて、1947年サンフランシスコ条約で沖縄はアメリカの植民地となった。(常に切り捨てられ、本土の犠牲となってきた)
沖縄の県民所得は日本の平均の75%。失業率は7・3%もある。公共事業で国から金を取るのが県の仕事だった。だから政府にたてつくことなどできなかった。それなのに太田知事は「ノー」と言った。感動した。これは沖縄の自立宣言だ。いやなものはいやだと言ったのだ。120年かかってやっと言えた。だから、この闘いは悲壮感などない、楽しい闘いだ。

来年の5月15日には、3000人(一坪所有者を含めた反戦地主の数)の土地の使用期限が切れる。来年は大変な状態になる。政府はあわてて普天間基地を返すと言ってきた。驚いた。喜んだ。そかしその基地を今度は岩国に、読谷にもっていくという。いやだという基地を他に押しつけることなどできない。
知事は迷っている状態だ。県民に得はないと。
たとえ知事が態度を変えても、このままでは5月15日に(基地使用の手続きは)間に合わないだろう。3000人分すべて公開審議をしなければいけないのだ。5月15日までにはできない。
そうすると国の対抗策は特別立法だ。沖縄がいやだというので法を作ってそれを押しつぶし、基地を永遠に押しつけようとするのだ。

(米兵の少女暴行について)なぜあんなことができるのか。あれができるのは、軍隊だからだ。軍隊が人を殺すための道具だからだ。そこで強いタガをはめられていて、それが外されたときに犯罪が起こる。事件を起こしたのは海兵隊という米軍の中で下層の人たちだ。しかもアメリカからも差別されている黒人兵だ。

沖縄の問題は、民主主義の問題だ。民主主義の問題はみなさんの問題だ。
今回の事件以来、沖縄県のキャラバン隊が各地を回って、沖縄の基地のことや文化のことを伝えている。それが反応がよい。また沖縄には6万通の手紙が激励の手紙が届いている。「これまで沖縄県の現実を知らなかった」と。今、高校生からお年寄りまで、ゆったりといろんなことを始めている。日本全体が変わるときが来ていると思う。
もしも、特別立法が作られたなら、沖縄は日本を見放すだろう。今、これまでになかった「独立」という言葉すらでている。沖縄だけにかける法律など差別立法だ。

(質問)軍隊は必要だという意見にどう答えるか。
(知花さん)
軍隊がないと平和は守れないと言うがほんとうにそうだろうか。軍隊のない国が全然ないかというとそうではない。たとえば南米のコスタリカは軍隊がない。近隣国との有効を大事にしていけばよい。
仮想敵を作って対抗する金があるなら、友好、国際化に使えばいい。 琉球は軍隊がない国でした。基地はいらない。少なくとも琉球は武器のない生き方だった。だから、出来ると思う。

(質問)「命どぅ宝」の意味は。
(知花さん)
たとえ泥の中をはいずりまわっても、たとえ人間らしさを失っても、それでもなお生きてきてよかったんだ、という思いを、自分に言い聞かせる言葉。生きることの正当化。沖縄には武士道がなかった。死を美化する文化がない。古墳はあるが埴輪はない。つまり、連れ添って死ぬという風習もなかった。死を粗末にする者は家の墓にもいれてもらえない。

(質問)軍隊がないと周囲の国になめられて困るのではないか。
(知花さん)
その問いはこういう問いと似ているのではないか。基地を返したら沖縄が困るのではないか、と。
基地を返して従業員はどうなるかとか確かに不安はある。しかし、何もしなければ何も生まれない。不安だけをかきててて自分たちの可能性を信じていないのではないか。基地は要らないと思うなら、返還が先だ。先のことは返してから考えればいいのだ。
軍隊もなくなったら大変といえば大変かもしれない。でもやってみたらいい。やらない前から、やったあとのことを考えてばかりだ。基地は悪だ。軍隊ろくでもない。だったらまずなくす。それで問題がでたらその時考える。
日の丸を燃やす時も何も考えなかった。ただ日の丸なんてとんでもないと思って燃やした。そしたら想像もできないことが起こって右翼もバンバン来た。だから、燃やしたらどうなるだろうなんてもし考えていたら、恐ろしくて僕はやらなかっただろう。単純なほうがいいんじゃないか。

(質問)オリンピックで日の丸が上がるとどう思うか。学校ではどうか。
(知花さん)
僕は25年前、沖縄の復帰運動の時に日の丸を振って運動した。あこがれの日本の旗だった。あの時沖縄の保守陣営の人は日の丸を振らなかったが、今は熱心に日の丸を振っている。お互いに「おまえら矛盾してるぞ」と言い合っている。
日の丸を振った時も振らない今も平和を求める気持に変わりはない。 ただし、かつて日の丸を降った時は、日の丸がどういう役割をしてきたかの認識が足りない面はあった。
オリンピックの日の丸について。必ずしも反対という気持ちにはならない。
しかし、スポーツは個人がどう努力するかであって国の問題ではないのに、現在のスポーツは全部国の支配下にあって国威発揚のためとなっている。でも日本選手がでるとやはり応援するし、日の丸が上がると複雑な思いで見ている。
学校現場の日の丸は猛烈に反対している。いろんな発想があってよい公的な場で、日の丸をあげるべきではない。
僕が日の丸を燃やした裁判では、僕が燃やした者が3100円の旗に過ぎないのか、国旗であるのかが問われた。その時の国の判断は「日本において国旗と称されるものはない」というものだった。「しかし多数の人が国旗として認めているので国旗としてもよい」ということだった。つまり、国旗かどうかは個人の自由な意志にゆだねられていて、誰にも強制はできないということだ。
日の丸はマインドコントロールの道具だ。読谷の商工会は日の丸をあげない。(全国でも珍しいらしい)

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