高橋源一郎 映画 橋本治

高源を映画にたとえれば


高橋源一郎の魅力は、
自明だったはずの「小説って何だっけ・読み書きって何だっけ」という問いが、
いやでも浮かんでしまうところです。
文章や言葉とは、それを読み書きすることで実は意味が散乱する一方なのであり、
したがって「小説とは何か」も、読むほどにわけがわからなくなるという、
宿命のような原理を、強く意識させるところです。
もちろん、どんな文章も小説も散乱されながら読み書きされているのでしょうが、
ふつうはその自覚が少ないということでしょうね。
映画でいうと、
カメラの存在、スクリーンの存在、あるいは映画館の存在、そういうものを、
あえて意識させるような映画なのだと思います。
ゴダール好きの高校生が撮るような青臭い作品だったりしますよ、基本的には。
ただしお茶目を忘れないところが高橋源一郎です。

橋本治も好きです。
小説はあまり読んでいませんが、
評論・エッセーを、いつも目から鱗が落ちる状態で読んでいます。
橋本治は、著者の視点で固定されたハンディカメラが、
スイッチを入れたら絶対ストップせず、ズームもパンもしまくりで、
延々長回ししていくようなところに、信頼を感じるんじゃないでしょうか。

高橋源一郎の小説では、
語り手や主人公は、作者とは全然別だし、
カットやアングルが目まぐるしく変わります。
ある人間の心情・ある世界の現実を、リアルに写すぞ、実相を明らかにするぞ、
といったことはまずありません。
内容や事実が大切なのでなく、
それを写している言葉(カメラ)の仕組み・構造のほうが大切だからでしょう。


Junky
2001.

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