中国の西端カシュガル・トルファン
そして敦煌
私に本当に起こったこと

カシュガル・トルファン・敦煌をNHKのBS2がきのうから生中継しています。

あれはちょうど10年前。私が初めての長旅で訪れた土地でした。パキスタンの山岳地方ギルギットやフンザを経由して、西の端から中国へ入りました。今地図帳で辿っても、本当にこんなところを自分が歩いたとは信じられないような場所です。中国政府の支配下にあってイスラム教を信じるウイグル人の自治区。そういう整理された知識を持ち合わせぬまま日本人の同行者もなくバスを降りた私には、土漠の果てに出現したカシュガルの活気にあふれた街並みは、それまでの世界イメージのどこにもはめ込むことができない不可思議としか言いようがない光景でした。印度人とも漢人とも違う人々の顔立ち。どうやら羊肉を使っているらしい麺や焼き立ての香ばしい素朴なパンの味。いったいここはどこなのか。迷宮。まさに迷宮でした。カシュガルの露店をリポートする越前屋俵太をテレビで見ながら、あの時を思い出します。もう自ら笑ってしまうしかない開き直りと出鱈目ぶりは、カシュガルに初めて触れた日本人としては全く正しい態度に思えます。

ある旅行者から日本語ニュースが短波で聴けることを教えてもらったので、カシュガルのデパート!(想像できなくても結構です)で超チープなラジオを買いました。安宿の部屋に雑音混じりの日本語が最初に流れた時は感動しました。東京からはるばる届けられたアナウンサーの声。トップニュースは「北京に戒厳令」でした。私がカシュガルからトルファンへ動いてからもそのニュースは毎晩繰り返され、中国のテレビも「反革命学生動乱」を頻りに伝えます。そして「北京で軍がついに発砲...」(日記より)。天安門事件でした。

それでも居心地の良すぎるトルファンには緊迫感のかけらもなく、暑い通りをぶらぶらしたり古城の遺跡やなぜかミイラを見に行ったりする日々です。同じ宿で日本人の旅行者が腹を壊したのでみんなでトルファンの人民医院へ担ぎ込み、どうも中国の注射針は消毒がちゃんとしてないらしいというので、医者に注射だけは辞めてくれと頼んだりと全然別の騒動もありました。しかし、その後列車で敦煌に向かううちに事件の情報はどんどんエスカレートしていきます。「中国にいる外国人はどんどん帰国しているらしい」。旅行者たちが集まればその話で持ちきりでした。「人民の軍隊が人民を撃つとはなにごとだ!」ある旅行者は憤慨していました。しかし私にはことの重大さがよく認識できていなかったようです。兌換紙幣を人民紙幣に闇両替するのと外国人料金でなく人民料金で鉄道の切符を買うのに躍起になったりと。今も実はあの事件が中国や世界政治に与えたインパクトがどういう類のものであったのか、正しい興味が持てません。自転車を走らせて見に行った敦煌の仏像だって正しい価値が感じられません。ただ、少なくとも私はあの時中国にいた。バックパックとTシャツ一枚で見知らぬ異郷をうろうろしていた。「天安門事件10周年」の報道は私にとっては懐かしさ以外のなにものでもないのです。

たとえばビクトリ・エリセの映画「エル・スール」には、スペイン内戦の名残が、さらりとではありますが深く陰を落としています。日本の映画でも日常庶民の情景に戦争の報や回想が物語とは絡まない形で挟み込まれることがよくあります。私はスペインの内戦についてなにも感慨は持てません。日本の戦争についても同様です。ただ中国の天安門事件、それだけは、その歴史的政治的意義がどうであるかとは全く別のところで、 私の直接体験なのです。そのことは、たとえばエリセ監督が「エル・スール」を物語る時の心情にすら似た、とてもかけがえのないものかもしれない思っています。

NHKの番組きょうは「トルファンではウイグルの結婚式を見に行きます」とか。私も見に行きました。あの踊り、あのごちそう。日記を調べるとなんときょうと同じ6月5日でありませんか。天安門事件の翌日というわけです。「...次に花嫁がベールで顔を隠して車に乗り込み、花婿の家へ。花嫁はずっと泣き通し。あとできけばこれは習慣だというが、家の中へ入ったあとも、おいおい泣き続け、回りの女の人がなぐさめたりしてたから、ひょっとしてこれは本物?...と今でも真相は分からない。そのあと食事をふるまわれた。まず、砂糖を茶碗半分くらい埋まるほど入れたお茶。そしてチャパティー。続いて口の中で蒸発するアルコール度60%の酒。最後はビリヤーニ(イスラム系の炒めご飯)。油でベトベトのを手で食べさせられた。ウイグルの家の中へ入ったのはよかったが、何か落ちつかない食事だった。この夜もけっこう遅くまで話した。昨日病院へいった彼も元気」。日記はさらに続き、「この夜、ニュースは北京での死者が100人、または500人と伝えていた。一堂、再び唖然」。真相が分からないのはウイグルの泣き花嫁の気持ちだけではない。あの時のいろいろの出来事の真相だって分からないことだらけだ。歴史や事件の真相も分からない。旅の真相だってわからない。旅に真相があるのかどうかすら分からない。

NHKの一行が陣取っている敦煌・莫高窟寺院の入り口に当時の私が髭面で立つ写真が辛うじて一枚。それがなければ、やはり、あの日々が本当にあったことなのか、確信が崩れてしまいそうなほど遠い土地の夢のような出来事。そしてもう十年の昔です。

旅の話、もっと聞きたいって?


Junky
1999.6.5

著作・Junky@迷宮旅行社=http://hot.netizen.or.jp/~junky From Junky
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