連載
旅の話、聞きたいって?


第5回 旅行記から遠く離れて#2 .... #1(前編)はこちら

冬の旅(96年12月〜97年4月)の読書日記、後編です。

1月22日
シンガポール

蒸し暑いのと蚊の襲撃で寝付かれず。仕方なくウオークマンを聞き本を読む。久しぶりに開いた柄谷行人の「探求1」。相変わらずの本だ。難しいがすごい。柄谷行人自身この書について「これまでの思考に対する態度の変更が起こった」というようなことをあとがきで述べている。

1月23日
シンガポール

図書館へ行った。英文訳の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の結末の章をを読んでみる。あの雰囲気がよみがえる。辞書を引きながらゆっくり読むのもいい。

1月24日
シンガポール

高島屋の中にある本屋へいく。日本語の本がいっぱいだ。タイと同じく定価の倍近い。週間朝日で三国町の重油回収作業の写真が報じられていた。
僕は「探求1」を読んでいる。が、とにかく何度も眠った一日だった。

1月25日
シンガポール

赤瀬川原平「外骨という人がいた」を読み終えたのはきのうだったか、おとといだったか。本はだいぶ読み終えてしまったなあ。処分して新しいのを買うことも考えないと。マレーシアあたりで。

* この後マレーシアのクアラルンプールへバスで移動する。

1月29日
クアラルンプール

クアラルンプールで日本の古本(文庫本)が安く買えると聞いていたので、たぶん伊勢丹あたりかと漠然と考えてその方面へ向かう。しかし、まずバスに乗ることができず、歩いていこうとしたら、その道がなぜか新しく建設された電車のホームへついてしまい、仕方なくのって降りたら、伊勢丹方面は遠く、そこで計画を変えてヤオハンが入っているというショッピングセンターへ向かった。こっちも道に迷って、もうなんとなくイライラしてマクドナルドで酸っぱいオレンジジュースを飲んで休んだら、もう帰ろうか、ばかばかしいとまで思ったが、それでもどうにかヤオハンへ。そうしたら、ケガの功名というやつか、ニコニコ堂という古本ショップがあったのである。
かなりの数の文庫本だ。ただ、赤川次郎、西村京太郎、内田康夫あたりがとてつもなく多いのは残念だったが。「ア」から全背表紙をながめて歩き、10冊を37リンギット(約1850円)で買った。 さっそくその夜から読み出した。旅の見通しがはっきりしなくとも、街歩きに力が入らなくても、ゲストハウスで寝そべって集中できる本があれば、なんというか楽しい。

買った本のリスト。
世界の歴史「ファシズムと第二次大戦」
家族解散(糸井重里)
ペンギン村に陽は落ちて(高橋源一郎)
考えるヒント(小林秀雄)
不連続殺人事件(坂口安吾)
世界の終わりとハードボールドワンダーランド=上下(村上春樹)
こころ(夏目漱石)
宝島(スティーブンソン)
無関係な死、時の崖(安部公房=短編集)

1月30日
クアラルンプール

寝苦しいのと本読みで眠るのは3時くらいになってしまう。しかも妙な不安に彩られた夢ばかり見て熟睡できず、結局朝なかなか起きられない。この日も正午過ぎまで寝ていた。 夜部屋に戻り、チョコレートやコーヒーを味わいながら読書中。「世界の歴史」

1月31日
バンコクへ向かうマレー鉄道

クアラルンプールからの夜行列車は韓国ヒュンダイ社製造の美しい車両。しかし狭かった。枕元のあかりで本も読めた。きれいなシーツ。冷房は効きすぎ。午後10時発なので駅を出ると外はまっくら。小さい窓は意味をなさなかった。「世界の歴史」をすこし読んだが、すぐ眠くなった。新しい本を買ったので、古いものは大部分、クアラルンプールのゲストハウスに置いてきた。

2月2日
バンコク

部屋で「世界の歴史」読む。

2月3日
バンコク

「世界の歴史」厚い本だったが読み終えた。旧日本軍についてもナチスについてもちゃんとまとめて読んだのは初めてのことだ。戦争反対を貫くすべどころか、当時の中国人やユダヤ人、さらはソ連の人民たちは命を長らえることすら難しい時代だったようだ。スターリンの粛正、ヒトラーの虐殺。

2月4日
バンコク

村上春樹「世界の終わりとワンダーランド」読みふけっている。面白いし深い。 この日たしか「家族解散」は読んでしまい、「ペンギン村に陽は落ちて」も3分の1ほど終えて、この本にとりかかったのだが。

2月5日
バンコク

朝ゲストハウスのレストランでたっぷりのコーヒーでブレックファストを食べる。パンは足りないのでよそから買って持ってきて足す。そして村上春樹「世界の終わりとワンダーランド」読む。そしてバンコクポストを辞書を片手に読む。なかなか良い時間の流れ方だ。
暇だ。日中は本を読みごろ寝をし、明るい気分だが、夜はじわじわとあせりが広がってくる。旅も人生も楽しいと思う昼と、旅も人生も行き先が見えないと嘆く夜。夜蒸し暑いのが良くない。12月の時と比べて気温が確実に高くなっている。

2月7日
バンコク

村上春樹。限定された生しかないこと。便宜的に世界を解釈するしかないこと。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」改めて読んでみて共感するところ多かった、というか共感するところばかりであった。
安部公房の短編集「無関係な死・時の崖」を読み始めた。

2月8日
バンコク

古本屋をめざすが、バスにどうしても乗れずひたすら炎天下を歩き、いらついた昨日。夜は食堂をはしごしながら遅くまで本を読む。部屋にいると息苦しい感じなのだ。 安部公房の短編集面白い。特に「家」。絶品。ずっと記憶にとどめたい。10編全部読んでしまうのが惜しく、途中から夏目漱石「こころ」を開く。これも面白くてぐんぐん読み進む。

* このあとタイ北部のチェンマイへバスで移動する。その前に安宿街カオサンで本を処分。「家族解散」「ペンギン村・・・」もタダに等しかった。ある店では2冊で1冊と交換が条件。「世界の終わり・・・」上下が「日本唱歌集」に変わった。ついでにハモニカを買い、そのせいでこれ以降「ふるさと」や「あかとんぼ」を各地で吹きまくることになる。

2月9日
チェンマイ

夏目漱石「こころ」読み終えた。

2月10日
チェンマイ

坂口安吾「不連続殺人事件」読む。

2月12日
チェンマイ

「不連続殺人事件」はもう読み終えた。

* このあと山岳地区の少数民族の村を訪ねるツアーに行った。

2月16日
チェンマイ

ツアーの後、洗濯物の山を背負って安いランドリーを探して歩いたあと、たまたま再び通りかかった日本食食堂「サクラ」に入る。そこで見せてもらった「週間新潮」によると、なんと蓮実重彦が東大の学長に就任したらしい。彼についての評で浅田彰や三浦雅士なんかのコメントも載っていたし、柄谷行人や中沢新一の名前もあって面白かった。彼の著書、特に映画評を読みたくなり、さらに映画そのものを見たくなった。

2月19日
チェンマイ

日中は安部公房の短編集「無関係な死・時の崖」を読み終えたり、洗濯したり、昼寝をしたりして過ごした。夕方になってナイトバザールへ散歩。 「サクラ」を再び訪れたのはきのう。念願の焼き鯖定食。絶品だった。サバ二切れにダイコンおろし、味噌汁、漬け物、超大盛りご飯。うまい。涙が出る。そこで「課長島耕作」を読んだ。面白い。泣ける。ここでこんなものを読んでいるとニッポン人だなあと思ったりする。島耕作もいいが、中沢部長がまたいい。 「シュレディンガーの猫は元気か」というタイトルの最新科学をネタにしたエッセー集=画像=を、夜、部屋の前の大机で読む。いつでもどこからでも読める本なのでちょこっとづつ読んできていた。

2月20日
チェンマイ〜北部へ

ゲストハウスを9時にチェックアウトし、「サクラ」で朝飯を食いながら新聞と「課長島耕作」を読んで時間をつぶし、レンタカーを借りて、チェンマイを出たのは正午近くになっていたと思う。

* そのまま車でタイ北部へ向かい、ミャンマー、ラオス国境のいわゆるゴールデントライアングルをうろうろしてチェンマイに戻る。さらに飛行機で中国雲南省の昆明(クンミン)へ。機内でなんか読もうと本を用意するが、その暇なく到着。昆明では石林(シーリン)という観光地などをめぐる。そのあと、バスで同じ雲南省の麗江(リージャン)へ。そこから揚子江上流の渓谷「虎跳峡」へ登山したりする。さらに同じ雲南省の大理(ダーリ)へ。
この間、読書の記述は見あたらない。本当になにも読まなかったのだろうか。わからない。観光を含めた外出が他の滞在地より多かったのかもしれない。旅人が感想や情報を書き残していくノートをいくつかのカフェで読んだのは憶えている。

3月14日
大理

スチーブンソン「宝島」ぐんぐん読み進む。面白い。

3月15日
大理

「Mr.China's Sun」という名のカフェで、白族セット10元を食べる。塩くどいがうまかった。ここのマスターHe Liyuはやはり作家であった。英語で書き著したという「Mr. China's Sun」を見せてももらい、ちょっとだけ読んだ。外国語としての英語であることが共通しているせいか、思ったより理解しやすかった。文化大革命で民がどのように難を受けたのか、具体的に知る良い本であると思う。「芙蓉鎮」は映画だが、こういう題材の小説もまた役に立つと思う。日本語訳が実現したらまっさきに読んでみたい。
* 中国の雲南省はごぞんじのとおり少数民族の多い地域で、ここ大理は白族がたくさん居住する。このHe Liyu氏も白族の一員。著書「Mr.China's Sun」は海外で出版され評価も高い自伝的小説という。

3月19日
大理

ハッピー(たくさんある外国人向けカフェのひとつ。日本食で有名)に置いてあった雑誌SAPIOで「ゴーマニズム宣言」従軍慰安婦問題を読む。なかなか聞き捨てならない指摘だと思う。自分でもちょっと資料を当たって考えてみたい、と思わせる。
柄谷行人の「探求1」なかなか進まないのはこれまでと同じ。

* このあと大理からバスで昆明へ戻る。

3月23日
昆明

動物園へ行こうと歩いていたらこれまでより立派なデパートが出現したので、そこを探検して動物園はいかずじまい。レストランがまた「これは中国ではない」と言わせるほどきれいだった。新しいテーブルで昨夜とりあえず読み終えた「探求1」を読み返したりした。

3月26日
昆明から桂林へ向かう列車

弁当を買って食べたりポテトチップを食べたり高橋源一郎「文学王」を読んだり、だらだら過ごす。途中の景色はもう十分桂林。

3月28日
陽朔(ヤンシュオという桂林の町)

日中は部屋で読書と昼寝。内田百ケンの「居候匆々」を昨日から読み通した。なんともいえぬおかしい小説だ。なんだろう百ケンという人は。ああいう老人になろう。

3月29日
陽朔

きょうは昼下がりにやっと太陽が顔を出した。洗濯物を外に移し部屋の前のテラスでソファーにすわってコーヒーを飲み本を読み(小林秀雄「考えるヒント」)山をながめた。ゆったり気分。コーヒーをよく飲むし、そのことをいちいち記すのは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだせいだろう。

4月1日
陽朔

本降りというより豪雨である。例の弁当屋でブランチを食べた後は、部屋の前のテラスで本読みだ。それが心地よいが、それしかできない状態でもある。
「考えるヒント」は再度読み終えた形。また「探求1」を開くことにした。
そういうわけで降り続く雨の中、部屋の中、消費税が5%になったとかいううれしくもないニュースを聞いて、ああ4月だと思う。

4月3日
陽朔

柄谷行人「探求1」少し分かりかけてきた。「他者というものについて本当に考えを至らせたのはウィトゲンシュタインとマルクスだけであり、私はそれについて考えを述べている」と、この本はたとえばこう要約、あるいは抽象化できる。そしてそういう風に抽象的な言葉にして僕としてはなんとなく納得できないこともない。以前はこういう風に別の言葉に置き換えたり要約したり抽象化したりはできなかった。わかりかけてきたとはそういうことである。
「探求1」の中のある一文を掲げてみて、それがどれほどイメージ化が難しいか。そもそもイメージ化などできない言葉の連続ではあるまいかと思っていた。じゃ、なぜそれが分かりかけるのか。それは、その言葉たちがイメージ化はできないなりにも、とにかく使いこなしてしまう自分にいつのまにか近づいたということか。
理解とは何か。柄谷行人の「探求1」は"他者"であることを念頭に置いて読み試みるべし。

4月4日
陽朔を発ってバスで広州へ向かう。

夕方まで部屋を取って置いたのでゆっくりできた。空が晴れてきた。「いい日旅立ち」の言葉が似合う。「宝島」「考えるヒント」「日本唱歌集」の3冊をゲストハウスに寄付して出た。

* そして広州を経由して香港へ渡る。 桂林、香港あたりは読書の記録が少ない。この時期実は本よりもビデオや映画鑑賞にいそしんでいたのである。その話はいずれ詳しく。

4月7日
香港

柄谷行人がマルクスについての論で「命がけの飛躍」「売る立場」という話を書いているが、たとえば、中国でツイン一泊40元で「まあ高いけどドミトリーよりいいか」とか納得していた僕に、いきなり「一泊200香港ドル」で泊まれと寄ってくる客引きの冒険である。40元が200ドルへの移行にはなんの整合性とてなく、ただただ飛躍がある。中国価格が僕にとっての「共同体」「制度」であったところへ、香港価格はいわば「他者」である。僕は香港価格の根拠つまりコードをまず知ってのちにそれぞれの価格を受け入れるのではなく、200ドルくらいのゲストハウスを探さないと香港社会に適合しない事態に遭遇して、とにかくそれくらいを払うことにしたのにすぎない。つまり、そういうことだ。

* 日記にある読書の記述はこれで最後だ。が、香港から帰国前に安部公房の短編集「R62号の発明・鉛の卵」を買っている。飛行機がまずマニラに降りて空港一泊のあとセブ島経由の関西国際空港行きに乗り換えるという安いが長い便だったし、大阪から福井もなかなか遠いのであって、この本けっこう暇つぶしになったものである。なお帰国は4月12日。





Junky
1997.4.29

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