以下は、小林よしのり「戦争論」を読んで、に関してやりとりしたメールです。



A氏より98年9月23日

ライト兄弟がはじめて、空中に舞い上がった年から、わずか80年で(70年だったかな?)人類は月に到達したのですね。驚異です。

50年前に大きな戦争があった、と聞いているけど、その80年後、つまり今から30年後にもし戦争が起きるなら、ずいぶん様変わりしてるだろうな。「戦争に行く」・「行かない」を論じる事が、意味を成さない戦争になっているかも。脅威です。

ナショナリズムを、1と2に分けて論じたのは、さすが、鋭い、と思いました。これはJunkyさんが、戦争にも理解できない動機とやや理解できる動機がある、と認めた事になるのか、どうなのか分からないけど、それでも「以下同文」の主張は不変なのでしょうね。

力と力の均衡によってのみ、平和は存在すると言う事は否定できないと思います。その理由を書いていると、寝る時間がなくなりそうなので又の機会に・・・返事無用




Junkyより98年9月23日

>ライト兄弟がはじめて、空中に舞い上がった年から、わずか80年で(70年だったかな?)人類は月に到達したのですね。驚異です。

考えてみればほんとだねえ。すごい。

>50年前に大きな戦争があった、と聞いているけど、その80年後、つまり今から30年後にもし戦争が起きるなら、ずいぶん様変わりしてるだろうな。「戦争に行く」・「行かない」を論じる事が、意味を成さない戦争になっているかも。脅威です。

「戦争に行く」というのは、古くさい言い方だと思っていても、あえて使っているのです。そのわけは、ボタンを押しに行くことであっても、ピンポイント爆撃であっても、国や宗教やイデオロギーといった集団意識のようなものによって、あるいはそこからの強制によって、個人的憎しみとは関わりのない人と殺傷し合うような、そういう状況も、やはり「戦争に行く」と、50年前に最も悲惨だった(と僕は思う)状況と同じ言葉を使うことで、自戒する目的と、かつ、やはりボタンであろうが鉄砲であろうが、個人にとって、その結果は途方もなく悲惨であるというイマジネーションをかきたてる目的があるからです。

>ナショナリズムを、1と2に分けて論じたのは、さすが、鋭い、と思いました。これはJunkyさんが、戦争にも理解できない動機とやや理解できる動機がある、と認めた事になるのか、どうなのか分からないけど、それでも「以下同文」の主張は不変なのでしょうね。

いや、これについては、質問されるれることを想定して、自分なりの答があります。戦争の仕組みや動機は、よく理解できるものばかりだし、共感すらできるのです。戦争に行きたいという気持ちすら実はどこかにあるのです。だから「戦争に行きたくありません」とは書かないのですよ。「戦争はすべきでありません」と、一般論としての善悪や是非を書こうとも思わない。「戦争反対」という、他人事のように聞こえることも書かない。だからといって「僕は戦争には行くまい」なら、それは個人的すぎるし、思いに過ぎないし、どこか、運動(ダサイとは承知の上で)の意味を込めて「戦争に行きません」としているのです。自分に対して8割、他人に対して2割の運動ですね。

もちろん、きれい事の印象があるので、それに嫌悪感を感じられることも予想できるが、きれい事なので共感もされやすいし、覚えやすく、言い合いもしやすい、運動としては適切な言葉です。

単純な言葉だけど、僕なりに細かい意味付けと戦略を込めた言葉なのです。

昔「まず総理から戦場へ」という、優れたコピーがあって、それには遠くおよばないけど。

>力と力の均衡によってのみ、平和は存在すると言う事は否定できないと思います。その理由を書いていると、寝る時間がなくなりそうなので又の機会に・・・

これについては僕も否定しません。ただ反論したい部分もあります。「僕は戦争に行きません」は、個人の態度だけを表明しているようですが、A氏の指摘するような現実、および立脚する現実認識から、なるべくなら抜け出したい期待と力を込めてもいます。

僕は、個人と個人のケンカは、少なくとも1000年くらいはなくならないと思いますが、戦争は500年くらいでなくなる可能性もあると思います。(もちろん、なくならない可能性もある)宗教やイデオロギー対立のない先進国同士の間に限れば、今は国民が直接「戦争に行く」状況はないではないですか。昔は国と国は戦争するのがが当たり前だったのに。

>返事無用

返事の方が長くなった。ここに書いたことは普遍的なことも含むので、できればA氏のメールも合わせてホームページに転載したいような気もするけど・・・。

では元気で。体を大事に。こちらも忙しいです。戦争と同じく、仕事に死ぬことも男のロマンだ、とつい思ったりしてしまうから、「僕は過労死しません」と、書いておこう。




A氏より98年9月25日

>「戦争に行く」というのは、古くさい言い方だと思っていても、あえて使っているのです。そのわけは、ボタンを押しに行くことであっても、ピンポイント爆撃であっても、国や宗教やイデオロギーといった集団意識のようなものによって、あるいはそこからの強制によって、個人的憎しみとは関わりのない人と殺傷し合うような、そういう状況も、やはり「戦争に行く」と、50年前に最も悲惨だった(と僕は思う)状況と同じ言葉を使うことで、自戒する目的と、かつ、やはりボタンであろうが鉄砲であろうが、個人にとって、その結果は途方もなく悲惨であるというイマジネーションをかきたてる目的があるからです。

よく理解でき、同調もします。しかし人間には立場と言うものもあって、僕の立場は、日本の社会保障制度によって、僕の生命と言うものが実質的に維持されている、と言う現実的側面を持っています。この保障システムを守るために、鉄砲をもったりはしませんが(もちろんボタンも)、システムの危機に際しては、それを擁護する立場に、立脚せざるを得ないでしょう。その勢力がその時において、好戦的であろうと、反戦的であろうと、少なくともわたしは、そこから完全に独立する事は、不可能です。個人的な話はそこまで・・・

>>「以下同文」の主張は不変なのでしょうね。

>いや、これについては、質問されるれることを想定して、自分なりの答があります。戦争の仕組みや動機は、よく理解できるものばかりだし、共感すらできるのです。戦争に行きたいという気持ちすら実はどこかにあるのです。だから「戦争に行きたくありません」とは書かないのですよ。「戦争はすべきでありません」と、一般論としての善悪や是非を書こうとも思わない。「戦争反対」という、他人事のように聞こえることも書かない。だからといって「僕は戦争には行くまい」なら、それは個人的すぎるし、思いに過ぎないし、どこか、運動(ダサイとは承知の上で)の意味を込めて「戦争に行きません」としているのです。自分に対して8割、他人に対して2割の運動ですね。

>もちろん、きれい事の印象があるので、それに嫌悪感を感じられることも予想できるが、きれい事なので共感もされやすいし、覚えやすく、言い合いもしやすい、運動としては適切な言葉です。

>単純な言葉だけど、僕なりに細かい意味付けと戦略を込めた言葉なのです。

>昔「まず総理から戦場へ」という、優れたコピーがあって、それには遠くおよばないけど。

いざとなれば、何からも独立でき、個人として主張し、ふるまえるあなたがうらやましい。デス。健康であれば僕も完全に同調するでしょう。

>>力と力の均衡によってのみ、平和は存在すると言う事は否定できないと思います。その理由を書いていると、寝る時間がなくなりそうなので又の機会に・・・

>これについては僕も否定しません。ただ反論したい部分もあります。「僕は戦争に行きません」は、個人の態度だけを表明しているようですが、E氏の指摘するような現実、および立脚する現実認識から、なるべくなら抜け出したい期待と力を込めてもいます。

抜け出せない人たちのひとりが私です。

>僕は、個人と個人のケンカは、少なくとも1000年くらいはなくならないと思いますが、戦争は500年くらいでなくなる可能性もあると思います。(もちろん、なくならない可能性もある)宗教やイデオロギー対立のない先進国同士の間に限れば、今は国民が直接「戦争に行く」状況はないではないですか。昔は国と国は戦争するのがが当たり前だったのに。

この歴史観は、「人類は昔から国同士がのべつ戦争をしていたのに、最近では、やるたびに大規模になり被害も甚大で、国民の間には生命最優先、人権尊重などの思想が広まり、ドンパチやるよりも経済的覇権主義に切り替えたほうが得策だ。」との先進国間の思惑がありそう・・とくに米国は一度こりてるしね・・

力(NUCLEAR-POWER,ECONOMIC POWER,&TECHNOLOGICAL POWER)の均衡が崩れれば、遅かれ紛争は免れない、と思うのです。力の差が100対0だったら、逆に戦争は起きずに、そのかわり搾取が延々と続くでしょう。かつての奴隷貿易のようにね。今日までのアフリカの低迷がそのことから来ているとすれば、あまりに悲しい。今、人権にうるさいいくつかの国々は、過去の過ちの呵責からそう言っているのか、それとも人権無視の甘い汁に封印をし、多のどの国にもあのようなオイシイ仕事をさせまいとして、声高に非難しているのか・・・

愚痴っぽくなってすみません。歴史は巨視的に見るとまた、面白いですね。

>>返事無用

>返事の方が長くなった。ここに書いたことは普遍的なことも含むので、できればA氏のメールも合わせてホームページに転載したいような気もするけど・・・。

ご自由にどうぞ。喜んで。

突然におやすみなさい。


Junky
1998.9.25

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