原発ジプシーからの手紙(2)

とりあえず思い出

とりあえず原発ジプシー時代の思い出

敦賀・・・思いっきりふられました
大飯・・・ファミコンにのめり込んでいました
高浜・・・パチンコでよく泣かされました
浜岡・・・麻雀でほとんど負けていました
福島・・・ポケコンに凝っていました
伊方・・・毎日、スナックで飲み明かしていました
島根・・・バイク!、バイク!、バイク!

全般的な傾向・・・あまり仕事はしませんでした

ジプシー時代の業務内容は作業員の被爆管理と放射線環境管理で、業界では「ホウカン」と呼ばれていました。
一応、私は放射線管理有資格者でして、この資格がそれなりに取得が大変なものでしたから、現場では 重宝にされていました。
ただ、私はあまり働きませんでした。
働く代わりに、自分の好奇心を満たすために原発の構造やらを調べに現場で動き回っていました。
おかげで、今でも原発に関することなら素人としては最高のレベルの知識を有していると自負しています。

原発についての私の意見
軽水炉・・・核融合炉が開発されるまでのモラトリアムとして容認
増殖炉・・・断固反対、即刻中止すべし

もし、万が一のことが起こったら・・・・・・・・・・・
原発地元のことばかりが取り沙汰されていますが、実際、場合によっては首都圏、関西、中京の人口密集地 が壊滅的になること、これはチェルノブイリを見れば明らかなのに、何故かその話は大きくなりません。
すべてを地元だけの問題として片づけてしまう・・・・・
意図的かどうかは知りませんが・・・お上の何かが・・・

軽水炉では構造上、万が一も起こらないでしょうが(多分?)
増殖炉では構造上、起こらない方が不思議です(これも多分?)

1996年10月20日/信田政義

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