さらしな日記
日記の定義、などということが気になった。こちらのBBSで、「たとえ1行でもその日の気分を書けば、それは日記と呼べるのか」(04月06日(木)08時38分29秒)という問いかけがあったことからだ。もうひとつ、先日「日本近代文学の起源」(柄谷行人)を読んだことも関係あるかもしれない。
さて、辞書は面倒くさいので(辞書を引くのは面倒くさくないが、辞書にある説明文をいちいち自分で打つのが面倒くさい) 、ネット上にあるGooの目的サーチ国語辞典=三省堂提供の大辞林=で調べてみたところ、
にっき 【日記】
(1)日々の出来事や感想などを一日ごとに日付を添えて、当日またはそれに近い時点で記した記録。---とある。「出来事」「感想」という言葉は、とても正しい感じがする。説明はさらに、
---古くは「御堂関白記」「玉葉」「明月記」などが著名だが、職掌上交替で書き継がれた「御湯殿上日記」などもある。日誌。にき。→日記文学
と続く。「御堂関白記」や「玉葉」なんて聞いたことがない。同じサーチでついでにチェックする(引く、とは書きにくい)。読み方がわからなくてもカット&ペーストで調べられるので、実に便利だ。
みどうかんぱくき みだうくわんぱくき 【御堂関白記】
藤原道長の日記。もと三六巻。写本のほかに一四巻の自筆本が現存する。998〜1021年に至る公私の生活を具注暦(ぐちゆうれき)に記入したもの。当時の根本史料の一つ。法成寺入道左大臣記。ぎょくよう ぎよくえふ 【玉葉】
九条兼実の日記。記事は1164年から1203年にわたる。当時の政治・社会情勢や朝廷内部の事情・風俗などについて詳しい。のち二条良基が書写して「玉海」とも称する。どうせだから「日記文学」も調べてみる。これは元からリンクになっているので、いっそう便利。
にっき-ぶんがく 【日記文学】
日記の中で文学性の濃いもの。紀行・回顧録・自叙伝の類をも含み、随筆文学と並ぶ自照文学の一種。「土左日記」を祖とし、「蜻蛉日記」「紫式部日記」「更級日記」など平安女流の作品、鎌倉時代の阿仏尼の「うたたね」「十六夜 日記」や飛鳥井雅有の日記、後深草院二条の「とはずがたり」から南北朝初期の「竹むきが記」までの範囲をさすことが多い。このあたりは国語もしくは日本史のテストのおかげである程度おなじみだが、こうなると、「土左日記」を調べないわけにはいかない。(「自照文学」という奇妙なジャンルがあるらしいのも気がかりだが、それはまたの機会に)
とさにっき 【土左日記・土佐日記】
日記。一巻。紀貫之作。935年頃成立。任国土佐から京都まで五五日間の旅を記したもの。作者を女性に仮託する。仮名日記の最初の作品として重要。藤原定家・藤原為家の各書写本が著名。ここではっとしちゃった。日本の日記文学の祖である「土左日記」は、なんと旅行記だったのね。う〜む。 55日間というのもなにかに似ているわ。
しかし、実はわれわれはここでもっと別の発見に驚くべきである。カット&ペーストで文章がいくらでも増える!---いやいや、そのことではない。
「御堂関白記」と「玉葉」が、それぞれ998〜1021年、1164年〜1203年の記録であるのに対して、「土左日記」の成立は935年頃。つまり、いわゆる「日記」(最古とは書いてないが)よりも、「日記文学」の方が歴史的には早くデビューしていたかもしれない!ということだ。
こういうことを知ると、逆に、「紀貫之みたいに文学史には残らなくとも、日々の出来事や感想をなんとなく書きとめていた人がもっと早くからいたんじゃないか、でもその人はどんなつもりでそんなことを始めたんだろう」という空想も生まれる。しかし、この時代に読み書きの能力を持っていて、紙と筆と書斎と机を持っていて、ついでに書くほどの内面を持っていた人が、それほど多かったとも思えない。(というか、書いたからこそ内面なのであり、書いたからこそ出来事・感想なのである、となると、これはまた話が広がるので、やめる。)
それならば、一般の人がごく普通に日記を付けるようになったのは、いつの時代からなのだろう。江戸時代?明治時代?それとも平成時代とか。---というか、そもそも日記など書き残したりしないのが「一般人」の定義とも言えそうだが---、まそれはそれとして、仮に寺子屋の先生あたりが「これからは君たちも日記というものを書いてみなさい。お手本はこれだ」と言って配るなら、それはやっぱり「土左日記」とか「紫式部日記」あたりだったのか。いや仮名の日記は女性のものだから、やっぱり違うかな。要調査。
いずれにしても、日本における日記の起源をたどるなら「土左日記」だ。つまり単なる日記ではなく日記文学だった。驚き!
誰もが個人的な日々の出来事や感想を不特定の他人にどんどん公開しているようなこの状況は、インターネットというインフラによってごく最近始まったにすぎない、ということが私の最も言いたいことです。しかもパソコンでデジタルでという特異性は、喫茶店のノートや学級日誌とも質が違い、いわば印刷術の発明にも匹敵するほどの変化をわれわれの社会生活に及ぼしているような気がします。そうではあるのですが、その一方でここまでの流れからすれば、日記の始まりはそもそも他人に見せる日記文学だったのであり、インターネットはその起源に戻ってきたとも言えるでしょう。これからはインターネットの日記を「晒しな日記」と呼びましょう。