メール3
私も、聖賢の言葉について色々学んでいるつもりですが、言葉や概念ばかり先行して、なかなか こころがついていかないのです。実体がつかめないのです。論理では納得しますが、感情がついてい かないのです。
例えばこうです。ビートルズは大変有名な音楽家ですが、麻薬をやっていました。そのとき、彼ら の曲を全面的に肯定していいのでしょうか。曲を肯定すれば、ポール・マッカートニーやジョン・レ ノンの賛美につながっていきます。ある人は、麻薬の話を聞いて、見向きもしなくなったと言います が、私はそうはいかないのです。
ひとつこういうことがあるのです。私の友人が学校の先生をしているのですが、人格的にもしっか りした人で、生徒を良く愛しています。ところが、ビートルズのファンで、私が、麻薬をやっていた 話をし出したら、「彼らは、お金があるから、とか、インスピレーションに麻薬を使ってもいい。」 というようなことを言い出したのです。しかし、彼は決して、生徒が麻薬をやるのは肯定しないでし ょう。ビートルズの曲が判断を狂わせるのです。
人格と作品の関係といった問題もあります。
座禅や瞑想をやっている人の意見も聞きたいのですが。一人仲間がいるにはいるのですが。
西洋の方法は、分析から入ります。東洋の方法は、座禅などに代表されるように、体験を重んじま す。不立文字とも言いますね。また、一方で、西洋の哲学のデリダ氏が、言葉で真理ではとらえられないというようなことを言われているようです。(つづく)