永劫回帰の
『モダンガール論』
斎藤 美奈子 著(マガジンハウス)
斎藤美奈子を際立たせるのは、その態度、スタンスだ。
行儀といってもいい。
文学先生を前にしてお行儀が悪すぎる。
「なにそれ、アホらしい」「ケッ!」である。行儀はべつに思想ではない。
しかし行儀は時として物を言う。
思想に思想で対抗することが徒労であるような場合だ。
思想のぬるま湯につかって久しい者に、冷水を浴びせる。
それは浴槽なのだ。もうあがれと。そして自らの垢を擦れと。
胸が透くとはこのことだ。同時に、行儀の悪い、安い物言いであればこそ、
思想など縁遠かった半端者も面白がらせて動員してしまう。
で結局は、オレもいっぺん風呂に、いや思想に、足先だけでも突っ込んでみるかと、
妙に改心させてしまう。こんな斎藤美奈子は、しかし、本当に安いのか?
ともあれ、その斎藤美奈子が、 こんどは文学でなく、歴史や社会に行儀が悪い。
近代史やフェニミズムに対して斜に構えるのである。
それが『モダンガール論』。「女の子には出世の道が二つある」という。
それはつまり、社長になること、さもなくば社長夫人になること。
この、仕事と家庭をめぐる女の欲の綾は、近代の始まりから存在し、
富国強兵・戦争・高度成長といった時代に揉まれ、
女性奴隷に貧乏奴隷とでもいうべき過酷すぎる階級制度に揉みに揉まれ・・・・
ふと気が付くと、
「女学生→職業婦人→主婦」という標準コースを目指した
真っ正直で涙ぐましき歩みは、
あら不思議、戦前と戦後で、まったく同じ歴史を反復していたではないか。こんな大胆な仮説を、有無をいわさず立証していく。
資料として引っ張り出されてくるのは、 気の利いたことに、
『青鞜』に『婦人公論』『主婦之友』それから『アンアン』『クロワッサン』と
明治から現代に至る女性雑誌の数々。
お見事!
柄谷行人の「戦前戦後60年周期反復説」よりお見事。明治も昭和もどれもこれも、
即座に時代を実感把握させる、巧みで大ざっぱな言葉づかい。
乙女口語を交じえつつ、
実は隅々までゆるぎない構成と、隙のない疑似論理力学。
面白すぎるね、こりゃ。●ポイント1
《いわゆる近代史・女性史の本には、いろんな立場のものがある。
たとえば「婦人解放運動の力で女はこんなに進歩したのです」と胸を張る「進歩史観」に立つもの。こういう本は感動的だ。でも思う。女の人ってみんなそんなに立派だったのかなあ。
あるいは「性差別的な体制の下で女はこんなに虐げられてきたのです」と怒りをこめる「抑圧史観」に立つもの。こういう本も感動的だ。でも、暗〜い気持ちになってくる。そうはいうけど、女の人って、みんなそんなにかわいそうだったの?
進歩史観や抑圧史観は、歴史を正義の味方の目でみる視点だ。
この本は、じつはあんまり正義の味方じゃない。この際、名前をつけておこう。欲望史観。うん、これがいい。リッチな暮らしがしたい、きれいなお洋服が着たいから、社会の中で正当に評価されたい、人生の成功者と呼ばれたいまで、人々の欲望が渦巻くところに歴史はできる。出世は男の子の専売特許なんて思ったら大まちがい。女の子の出世願望だってすごかったんだから。》●ポイント2
われわれ現世人類の本性とは、ああもしかして、
「研究する猿」「論証する猿」なのではないか!
そのようなことすら示唆する一冊。