批評コンビニ幕の内(7)
鈴木淳史『クラシック批評こてんぱん』=予告編=
音楽であれ、文学であれ、「批評」というものは、次のように一方的で従属的な存在として捉えられがちだ。
ところがこれは間違いなのだ。「作品」と「批評」は、それぞれ独立した存在であり、
それゆえに、相互作用がそこにあると見るべきだ。
この場合「批評」はむしろ「批評文」と呼んだほうがよい。文学であれば、
「作品」と「批評」がともにエクリチュールであるという視点はここから生じる。
では、この相互作用が「批評」なのか。
ところがそう単純ではない。「批評文」には「作品」との相互作用の矢印だけでなく、
相互作用そのものに向けた矢印が現われる。
この曲がった赤い矢印こそ「批評」である。
鈴木淳史の『クラシック批評こてんぱん』(洋泉社新書y)は、「音楽作品についての批評」についての批評である。
したがって、つい次のような関係を想定してしまう。
しかし、上に述べたことを踏まえれば、このような一方的な関係で済まされないことは明白である。
この書物における「批評」は、次のような構造によって出現している。
しかし、この構造の説明については、ご勘弁願おう。もちろんハッタリだというのではない。
説明を始めればきっと長くなり、
本の紹介をいつまでも始められないからだ。
赤い曲がった矢印は2つあるが、
これも説明していくと、3つになり、4つになり、
ひょっとして無限に増えるのではないだろうか。
いやいや、そんなことを恐れて説明しないというのではない。
それでもあえて一言だけ説明するなら、こういう言葉になろうか。
・・・・・・と結局きょうは予告だけで終わってしまった。またあした。
お待たせの本編へ