高橋源一郎『日本文学盛衰史』
感想の感想(『日本文学盛衰史』感想補遺)
箱入りの分厚い本。
今たしかな読書をしているんだという幸福と安心と所有感が、
読者を包んでくれますね。図書館の雑誌とはまた違って。
明治とともに生まれた日本の「近代小説」というジャンルが、
今終わろうとしているといった趣旨のことが、
週刊朝日の「退屈な読書」で 力を込めて述べられていましたが、
それにふさわしい箱入り=棺桶入り?の書物かな、なんて思います。
終わろうとしているのは、近代小説という形であると同時に、
書物という形なのかもしれないと。まだ8つめの章である「A LETTER FROM PRISON・続」までですが、
読書と平行して、試しに、
感じたことを忘れないうちに書き留める、ということをしています。思えば私にとって高橋源一郎は、
小説の書き方なんて変幻自在であるという
(今から思えば当たり前かもしれない)理念と、
同時にその実例を、これでもかこれでもかと教えてくれた人です。今回もその通りだと思います。
で、感想などをパソコンに打ち込んでみると、
ふと感想って何だろうと思い始めます。
しかもそれは、書いたから感想なのか、書かなくても感想なのか、
逆に、書いたら感想ではないのか、とか?
あるいはその感想は誰に伝えるつもりなのか、
伝えるって、きみ、それ本当に伝えられるの?
というような思案の渦に巻き込まれます。
そして、こんな思案の渦を起こすのもまた、
高橋源一郎の小説の作用だとも思っています。二葉亭四迷や啄木や藤村らの小説や詩を読み、
いわばその感想のようなものを核にして、
工夫と苦心を凝らしながら作りあげていった文章が、
いつか生き生きと動き始め、化学反応のようなことを起こす。
そういうプロセスと、この『日本文学盛衰史』という小説は、
無縁ではないという気がしてきました。そうなのです。
感想を書くということが、どこかで、
小説を書くということに似てくる、ということを、
なんかおこがましいかもしれませんが、ちょっと感想しています。