哲学大陸・美術ルート

世界像を組み変える力

青山作品を最大級に気に入り絵まで買ってしまったNさんという方がいます。
知り合いです。
現代美術に造形ではなくて造詣がとても深い。
そのNさんの会話(記憶をもとに)

N「美術とエンターテインメントは違う」
僕「どう違うんですか」
N「はっきりしている。優れた美術は僕らの価値観を揺さぶる。エンターテインメントは郷愁にすぎない
僕「なるほど、明快ですね」

本当に明快だと思いました。
すごいといえる美術に触れると
自分の中にある世界の見え方、もののとらえ方の
根幹がぐらぐら揺らぎ、大きく組み変えを迫られます。
郷愁というのは
自分に染み着いた価値観をそのままなぞるだけで
新たなものを喚起する力がなにもないということでしょう。
安心できるが価値の転換が起こらないのです。
蓮実重彦氏が
「小説というイメージをなぞっただけ」と
ほとんどすべてのニッポンブンガクを非難する時の文脈に
通じるものがあるのではないでしょうか。

Nさんが話したのは、
真夜中のパブの隅っこでした。

(たぶん、たとえば、こういう書き方こそ、いかにもという陳腐な郷愁イメージをなぞっているわけでしょう)
飲んで半ばへろへろ状態でありながら洞察が鋭いのはさすがNさん。
その場に実は青山円さんもいたのです。
それで、個展を見に行くことになったわけ。

ところでそのパブにはプロジェクターが備えてありました。
アメリカのミュージシャンなどを撮影したポップな写真が
カウンター越しの壁に次々に映し出される仕組みでした。
「これは美術ではないのですか」と僕が聞くと
Nさんは即座に
これはエンターテインメントでしかない」と答えました。
美術とエンターテインメントの定義の話になったのはそこからです。

そういう中で僕が気になりだしたのは
プロジェクターがパブの壁に映し出す有名人のスライドが
美術たりうることは、ありえないのか、ということ。
しかしそれ以上きちんと議論する時間とエネルギーがなく
その夜は終わりました。


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Junky
1996.4.25