高橋源一郎と島田雅彦の
対談リポート
しかし中身はあまり出てこないのでよろしく



高橋源一郎と島田雅彦が坂口安吾について対談するというので見に行った。会場は表 参道の「ネスパス新潟館」という自治体系の組織が運営している所。

源一郎氏が会場 に着いたところを偶然目撃。近所からふらりとやってきた体(ホントに近所に住んでる んじゃなかったっけ)の源一郎氏、あいまいに受付に近づくと、係りの人から本日のパ ンフを渡されそうになる。単なる来場者と勘違いされたのだ。声は聞こえないが、源一 郎氏、きょうの講師である旨を伝えたのだろう、事態をのみこんだ係りの人は恐縮しま くって深々と頭を下げ、奥の方へ案内していった。

さて対談。源一郎氏は「安吾は島 田君のほうが詳しいから、きょうは僕は聞き役。でもちょっとだけ安吾との出会い を・・・」とかなんとか言って、しゃべりだしたら止まらない。これは黙っていると最 後までこの調子だと気がついた島田氏も、途中から負けじとたくさんしゃべる。図らず も時間延長。すこぶる勉強になった。

このイベントは「逸格の系譜--愚の行方」と題 して、新潟県出身の各界の人物についてレクチャーなどが連続して行われるもので、こ れが第一回目。新潟はなにかと規格に収まりきらない人物を数多く輩出したということ で、安吾のほか、親鸞、日蓮、良寛、河井継之助、北一輝、田中角栄などの名前があが っている。しかしながら、「逸格」「愚」というなら、時節柄どうしても新潟県警の名 が浮かんでしまうのは私だけだろうか。それはそうと、私の出身の福井県も、毎年カニ や蕎麦をミスなんとかと一緒に東京にふるまいに来る代わりに、こういう企画を地道に 続ける方が、良質の宣伝効果を期待できるのではないか。

坂口安吾。私もまた、思想に、語り口に、多大な影響を受けた青年期。

ちなみに良寛のことは、もっと子供のこ ろ伝記のような本で知った。ポプラ社とかそういう出版社の。これも妙に心に残ってい る。晩年は俗世を捨て小さな庵に住んだはず。ところがきょうここで見た資料による と、1758年に生まれた良寛は、73歳まで生きたにもかかわらず、庵に引っ込んだ のはなんと38歳の時。「托鉢によってひっそりと暮らし、子供たちとお手玉や毬つき などを楽しんだり、詩歌や書作に打ち込みました」とある。なんだか羨ましい気がし た。





*この対談との関連で以下





高橋源一郎氏は、<批評とは括弧はずしだ>と言った。たとえば推理小説や歴史小説 なら誰しも「推理小説」「歴史小説」であることを前提に読んでいるが、あえてその 「」を外して、それを文学として見る。それがまた「文学」という括弧に入るなら、そ の「」も外して、なんというか散文として見る。とかなんとか。で、なんの括弧にも入 れずただ文章そのものとして読め!というのが、実は近代の小説ということになってい るらしい。

こういった意識の目指すところは、ちょっと共感できる。たとえば今書い ている文章だって「WEB日記」としてではなく、単なる文章として提示してみよう、 あるいはそうして提示した時に生じる価値や理解の明滅を見てみよう、といった態度だ ろう。旅行の話をけっこう長く書き綴ってきたが、実はそういう意識はずっと引っかか っていた。「旅行記」として読まれたい一方で、その括弧を外した単なる文章としても 読まれたい、という欲求の自覚である。そのとき私の文章にはたして価値はあるのか、 という問いである。

東京永久観光(私が一応管理するBBS)で、<作家太宰にとっ て、いわゆる「自分探し」や「自分らしさ」など茶番であり関心外であったが、太宰に とっての(いわゆる)のつかないそれは「書くこと」であったとは言えるかもしれな い。>という書き込みがあったが、いわゆるのつかない、ということがまさに括弧外し ということであろう。

高源の言うことが、こんなにわかっていいかしら。


Junky
2000.3.

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著作=junky@迷宮旅行社http://www.tk1.speed.co.jp/junky/mayq.html