ちょっと前、茶髪の若者が飲み屋で警察官に殴られたっていう事件がありました。
茶髪がかっこいいか不快かは個人の美観。殴るなんぞ論外。当たり前のことなので、一回言うにとどめます。
それよりこの際、日本列島の大人がそろいもそろって朝から晩までネクタイとやらで首を絞めている構図をどうにかしようと思いませんか?茶髪に大した根拠がないのと同様、ネクタイ、背広、七三分けだって何の根拠も合理性もないじゃないですか。僕は茶髪姿の若者よりネクタイ姿の糞役人を見る方が不快です。
もうひとつ「校則は法ではないから無茶なことが書いてあっても憲法違反ではないんだ」というような考えを最高裁判所が示したというニュースもありましたね。
これ、喜んでいいのか悲しんでいいのか、ちょっとわかりませんが。
それにしても、丸狩りに詰め襟の強制なんて問答無用のアホとしか言いようがない。そんなこととうの昔から明白なのに、まだモタモタしてるガッコという存在にヘドが出ます。
きょう実は朝日新聞の書評欄で「プロ教師の生き方」という本を竹田青嗣さん(僕はけっこうこの方を信頼しています)が推薦していました。「子供たちに一方的にルールを与えるのは権威や権力の押しつけである。そして大人が勝手な規律を与えなければ子供たちは自由に豊かに育つにちがいない」という通念に対する批判が書かれているようです。
なるほどと思った僕は、ただ単にルールの存在を非難してもしょうがないなと思い直したところだったんです。しかしです、同じくきょうある会社の話としてオフィスで制服を着せられている女性従業員が寒いので上着を羽織ったり膝掛けをすると上司にやめろと言われるという実態があることを聞き、またもやヘドが出たのです。会社の制服が見せ物にすぎないことくらい気づいていてそれでも給料のために我慢してる人も多いのに、そこにつけ込んでなんという仕打ち!ガッコもバカならカイシャもバカ。
あまりに憤って、こんなページを作りました。やはり僕は、校則、社則の意義を見つける側ではなく、校則、社則のつまらなさくだらなさを指摘する側に当分の間つこうと思います。