戦争の予感

海外邦人の危機に軍隊を派遣せよという話について
少なくとも僕が思うこと

そもそも鉄砲に支配されるような地域へ金儲けをたくらんで乗り込んでいった者たちが危険な目に遭ったからといって、国民に「命を粗末にしてでも救い出せ」と命令する権利が政府にあるだろうか。ない。断じてない。

ペルーの悲劇以来やかましくなってきた「海外邦人の救出に国軍を派兵せよ」というのは、そういう話なのだ。

危機に対処するのは政治や国の責任だという。しかし責任を言うのなら、日本国政府はフジモリ政権に対してもゲリラ勢力に対しても「とにかく人殺しはよせ」と伝える努力を続けてくるべきだったし、これからもそうであるべきだ。それをいやがり、これからもいやだから兵隊を送ってカタをつけるというのは職務怠慢だ。

その地域の政権に守られている企業は、逆にその政権を守っている存在でもある。その政権が抑圧や貧困を産んでいると感じるゲリラにとって、企業もまた同じように敵になる。簡単な理屈だ。しかし、それが分かっていながら経済活動をやめられないのが企業というものかもしれない。それならば、企業は自前の兵隊を雇って身内を守ってくれ。周りにそれ以上迷惑をかけないでほしい。

はるか遠くの大きな正義を議論する前に考えよう。僕は他人が目の前で苦しんでいたら、場合によっては助けることもあるが、場合によっては見過ごすこともあるだろう。ましてやその他人のために自分の命を捨てる覚悟をしたことはまだ一度もない。だから、会ったこともない、いかにも一般人より価値が高そうに見える政府の高官や企業の重役のために、税金で作った鉄砲を担ぎ遺言状を書き人殺しを覚悟してまで救出には行くつもりは、さらさらない。

トゥパク・アマル革命運動が青木盛久大使の公邸に侵入したあの日は、日本国政府がフジモリ軍事政権を構成、支援する役人や商人をごっそり招き、こともあろうに天皇を無条件で祝うバカ騒ぎが開かれていたことを、僕は忘れるべきではない。





Junky
1997.5.13

ファイル一覧
迷宮旅行社・目次