人工知能
『ロボットの心 7つの哲学物語』
    柴田正良 著(講談社現代新書)

ロボットは心を持てるのか?---この問いに一生費やしても悔いなしと思えるのは、この問いがわれわれ人間の心・脳・意識の仕組みを知ることと同一だからだ。しかもなおさら驚嘆すべきは、この問い、近ごろ精度がぐっと上がって来ているみたいなのだ。この問いを正当に丁寧にたぐり寄せる手がかりの、その端っこでも掴んだと思えたときは、それまでの考えがぱっと裏返り、さっと溶け落ち、心ってまったくのブラックボックスではないかもしれないぞ!という実感が、たしかに持てる。

手がかりと言ったのは、つまり「チューリング・テスト」「中国語の部屋」「フレーム問題」「コネクショニズム」「クオリア」といったもののことだ。どれも古典あるいはお馴染みの部類に入るのだろう。しかし、無い知恵を絞りつつ本気でこの問いに取り組むつもりなら、まずこうした基礎をしっかり踏み固めておく必要がある。私としては、このへんで、こうした基礎の見取り図がほしかった。

そして、この『ロボットの心 七つの哲学物語』は、それにぴったりの本だった。今あげた手がかりのエッセンスがコンパクトに詰まっている。しかも相当分かりやすい。それでいて著者は「初心者向けに水準を落としたところは一つもない」とまで書いているのだから、喜ばしい。著者がこの問いを問う際のクリアさ・一貫性・センス、そういったものの賜物だろう。

ともあれこの問いは気絶するほど面白いのだ。そのことを誰かれかまわず伝えたくてしかたがない。ただ私にはそれをうまく文章化できない。もどかしい。だからこそ、この本そのものを押し付け、私の面白がりを正確に届けたいと願う。あるいは、こちらのレビューのほうが、よっぽどうまく代弁してくれていたりする

そうそう大事なこと。この本で著者は、とりあえず「ロボットは心を持てる」という立場をとる。もちろん「ロボットは心を持てない」という立場もありうるだろう。二つの立場は、心を考える際の重要な観点を、それぞれ別様に浮かび上がらせてくれる。だから、自分が今どちらの立場をたどっているのかは気にすべきだが、どちらの立場が正しいかということはあまり気にしなくていいんじゃなかろうか。ただ私は、ロボット(人工知能)も心を持てるという立場でやってみるほうが、思考の果てに、まさに「心(もどき?)が浮き上がる瞬間」を追体験できるようで、スリリングだと思う。そういう点で、「ロボットに心なんか持てるか」という立場は、人間の心の謎なんて解けないよと、どこかで問いを放棄してしまうことであるような気がする。

それにしても、この問いは、かの「人を殺すのは何故いけないか」の問いに似たところがある。「人を殺すのは何故いけないか」を論じてみると、答は追えば追うほど逃げていくように感じないだろうか。その一方で、その問いを通して私が何を主張したいのか、さらには私の考えの癖や盲点はどこなのか、といったことが図らずも見えたりする。それと同じだ。くどいようだが、大事なのは、ロボットは心を持てるかと問うことが、実のところ何をどう問うことであるのかを、丁寧にクリアにたぐり寄せることである。答は「持てる」か「持てないか」のどちらかに決まってるわけだが、それに執着するのはきっとまだまだ早い。

ちょっと680円の新書にしては栄養取りすぎ、張り切りすぎという感じなので、このへんで。でももっともっと書きたいことがある。そのうち。


Junky
2002.1.8

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