東京のリアル・テレビのリアル

きのう土曜日、東京ドームへ巨人ー広島戦を見に行った。清原のホームランとチョソンミンの完投で巨人が快勝。首位広島にゲーム差1と迫る大事なゲームとなった。

しかし、実況のアナウンスもカメラのズームもない野球観戦とは単調なものである。清原の打球が大きく上がって看板に当たるのを目撃しても、高橋がファウルボールを滑り込んでキャッチしたのを目撃しても、なにかおさまりが悪い。結局、夜のスポーツニュースで同じ場面を眺め「清原の特大アーチ」「高橋の超ファインプレー」と聞いて、初めて出来事としての認識ができたようにすら思える。

今さら言うまでもないことだが、テレビはリアルの意味を大きく変えた。僕たちはテレビを通してこそ現実を最もよく認識できる。そういうシステムを身体の内に築いてしまっている。

ゲームが終ってヒーローインタビューが始まったので、まだ席を立たずに見ていた。外野席上の巨大スクリーンにアップで映し出された清原とチョソンミンを。

五感を通して現実と触れあうことこそ健康で人間らしい。そういう言い方がよくある。しかし僕たちの世界観・世界像にはメディアを通した膨大な知識が大きく関与している。直接体験を伴う知識など実に少ないものだ。せいぜい数回しか観戦していないプロ野球について僕はしばしば語るし、一度も見たことのない橋本龍太郎についていくらでも意見を言う。

かつて湾岸戦争のニュースで米国軍のピンポイント爆撃がテレビゲームのごとく映し出された時、戦争の悲惨さを隠蔽するというような批判があった。しかし記録フィルムあるいはフィクションによってしか戦争を知ることのない者にとっては、戦争のリアルを感じる手だては想像力以外にない。あのニュースが戦争のリアルを伝えるかどうかは、メディアを通して現実へと至る想像力の有無が決めることなのだ。

きょう日曜日にICC(インターコミュニケーションセンター・初台)へ「移動する聖地」展を見に向かったのは、そういうことを考えたせいもある。展覧会のキイワード「テレプレゼンス」が、それとなにか関係あるかなと期待もしたが、どうなんだろう。

それよりも、ICCの階段付近で思いがけずフジテレビのドラマ「WITH LOVE」の撮影に出くわしたことが収穫だった。予想を超える大勢のスタッフ。あんなところにわざわざ建てた交番のセット。カメラは田中美里が歩くシーンを追う。目の前に見える田中美里はもちろん本物だったわけだが、きょうの経験もまた、このシーンをテレビで見てやっと現実として認識することになるのだろうか。きょうのリアルとドラマのリアル。どっちが本当だとかどっちが上だとかの評価は可能なのだろうか。


Junky
1998.5.24

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