あれは2年前の夏。イスタンブールの宿。同室に入ってきた快活そうな白人青年に「ホエア・アー・ユー・フロム?」と月並みに質問してみた。待ってましたとばかり返ってきた答は「クレイシア」。....は?クレイシア?(レイにアクセント)どこだそれ。首をひねったのが分かったらしい。すかさず彼は、けっこう分厚い要覧のようなカラー冊子を、ベッドに降ろしたばかりのリュックから取り出し、それを僕に見せながら説明を開始した。
クレイシアとはCroatia、そう、クロアチアのことだった。
「クロアチア!」ニュースの地名でしかなかったこの新しい国に、ナマの人間が実在している。その証拠にほら、今その一人が僕と言葉を交わしているではないか。興奮。彼は英国に留学しているとかで、ものすごくきれいな英語を使う。独立したばかりの祖国の素晴らしさについて、丁寧に、はきはきと教えてくれた。
それにひきかえ。「え?日本ですか、まあ、なんというか、変な国ですよ、へへへ」と、決して賞賛をしない変わりにストレートな批評もしない態度。これは、最も巧妙に育まれた内輪意識だ。それはわかっているが、なぜか煮えきらない。
一方で、僕はなぜきょう日本チームが勝つとうれしいのだろう。その答も実はよくわからない。ただ確実なことは、あのとき彼がこと「クロアチア」には、気もそぞろになってしまったのと同じくらい、きょうだけは僕も、「ニッポン」に冷静ではいられないという事実だ。