原発ジプシーからの手紙(6)
私が原発を辞めて、もう15年以上も経ちました。junkyさんに体験談ぽいものを取り上げていただいて、最後に載せてもらってからも2年が経ってしまいました。不精にもほどがあるってものですね(苦笑)。でも、いまだに載せていただいているので頭の下がる思いです。 私のつたないメッセージを「迷宮旅行社」のホームページに乗せていただいてから、原発時代の友人からアクセスがあったり、原発後の勤めていた会社の人から連絡があって旧交を戻したりして、個人的には色々な意味がありました。最大のイベントは「TIME紙」からのインタビューがあって、原発ジプシーの取材を受けたりもしました。取材をされた方が先日テレビに出ていて、何でも「TIME紙」の東京支社長とかで「あー本当だったんだ」を妙に人事のように感心した覚えがあります。 東京支社長は外人にしては小柄で、とてもきれいな目をしたおじさんで、何か引き込まれそうな雰囲気をお持ちでした。でも、いわゆるゴシップ的な話を求められていたようで、私はあいにくとそういった話題を持ち合わせていなかったため、ちょっと残念そうでした。彼の話の中で「日本の原発では汚い作業を韓国や朝鮮の人にさせているらしいけど本当ですか?」というくだりがあって少し驚きました。昔はどうか知りませんが、私が知る限りではそんな話は聞いたことないし、それが本当としても嘘だとしても・・・とてもとても暗い気持ちになりました。 「ホウカン(原発での放射線管理要員の俗称)は三日したら辞められない、辞めても必ず戻ってくる」と私が原発に勤めていた頃よく言われたものでした。それくらい楽してそこそこの収入を得られる仕事だったわけです。それに比べると以後の私は茨の道を歩んでいる感があります。今ではITなどという流行の業種に近いことをしていますので、あのころの余裕のある生活がうらやましくも感じています。ただ、最近では「昔造船、今原子力」などという話も聞くことから、少し変わってきているかも知れません。私は、15年経っても元のさやに戻りませんでしたので稀有な存在なのかもしれません(笑)
近頃の原子力関連の事故の記事を見ていると空恐ろしくなることがあります。その時その時の記事をみて心底、恐怖を感じても次の日には忘れている自分を発見して、何故かとても長い年月だけを感じています。 話は全く変わりますが、今の私は歯科関係のソフト開発の仕事をしています。この業界でも官にからんだとんでもない話が目白押しです。実際には長くもつはずの歯が制度の元で簡単に抜かれてゆくのは特別なことではありません。暴露話をするつもりはありませんが、この件も、また機会があれば載せていただけたらとも考えています(尻切れトンボになる可能性も大ですが・・・)。とりあえず今の仕事は制度に対して物申すようなソフトの開発ですので、疑問を感じることが少ないため精神的には大変楽であります。(肉体的には反比例して大変ハードです) 原発にせよ医療にせよ官の絡む話は、どうしてこんなにうまくないものが多いのでしょうか。政治家や官僚だけのせいとも思えないのですが・・・新年にもかかわらず沈んだ話で申し訳ないです。
2001.1.6 信田 政義 手紙一覧 前の手紙へ 信田さんのホーム頁 |