時事放談・日本経済と私

    ――伊藤元重経済学的に考える』を読みつつ――

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続いて100万円の問題です。
いま日本でいちばん悪いのはどいつだ。
 A.藤井治芳 B.藤井治芳 C.藤井治芳 D.デフレ E.ドイツ
……じゃあBの藤井治芳で。
ファイナルアンサー?
ファイナルアンサー。
=CM=
ざんね〜ん。正解はDのデフレでした。

というわけで、日本経済=デフレ=最悪。
現在の状況はそれで全部言いつくせるらしい。
お金を使わない=需要不足=物価が下がる=デフレ。
言い方はいろいろあれど、だいたい同じことだ。

「では先生、デフレから抜け出すにはどうしたらいいでしょう?」
「デフレの反対はなんでしたか」
「インフレです」
「じゃあそれが答えです。インフレしかありません」
「それって当たり前すぎませんか?」
「いいんです。犬が西向きゃ尾は東です」

「では、インフレはいつ起こるのですか?」
「デフレが終ってインフレが来ると信じる時です」
「誰がですか?」
「あなたたちみんながです」
「なんだ簡単……、いや、でもとても信じられませんよ、今そんなこと」
「じゃあ政府と日銀に応援してもらいましょう」
「どうやって?」
「簡単です。がんがん現金を増やせばいいのです」
「現金を増やす?」
「早い話が、ヘリコプターでお金をばらまくのです。
 一回や二回じゃだめです。当分ばらまき続けることです」

    ◆

目標値を設定してゆるやかにインフレを起こそう。この政策を「インフレターゲティング」と呼ぶ。しかし「とにかく物価を上げろ」なんて、昭和の人間には非常識と感じられ、そうやすやすとは受け入れがたい。だが、それは単なる無知なのか。少なくとも、インフレターゲティングの理屈はとても単純で筋が通っている。このたび、クルーグマンの本に続いて、『経済学的に考える』(伊藤元重)を読んで、それがいよいよ納得できた。「流動性の罠」というやつも、もう自らグラフを描いて説明できそうな気がする。

では「インフレターゲティング」をにらんで、政府や日銀は具体的に何をすればいいのか。つまり、「デフレが去ってインフレが来るぞ」と衆生に信じ込ませるにはどうしたらいいのか。それも根本は単純で、「市中に流通する通貨の量をとにかく増やせ」だ。

ここで伊藤氏が出してくるのが「ヘリコプターマネー」という用語。「なんだって、そりゃすごい、大歓迎」と思わず窓を開け空を見上げてしまったが、本当にヘリコプターが現金をまきに来るわけではなかった。代わりに、それと同じ効果があるという策を伊藤氏は示す。すなわち、政府は減税や公共投資で財政支出を増やし、それに応じて国債を発行する。かたや日銀はそれに見合った分の国債を銀行から買い切ってしまう。ざっとそういう要領。つまり、国債が「政府→市中(銀行や投資家)→日銀」と流れ、それに伴って現金が「日銀→市中(銀行や投資家)→政府」と流れ、そして政府予算として市中に出回る。――と私は理解したが、間違っているかもしれないので、各自勉強のこと。

でもそれだったら、日銀が政府の国債を直接買えばいいじゃないかと言いたくなる。ところがそれは禁じられているらしい。なぜなら、政府と日銀が結託したら無闇に紙幣を増発するからだという。でも実質は同じなのに、政府と日銀の間に市場をはさむなんて、まどろっこしいし、ごまかしのような気がしないでもない。が、まあいいか。

ちなみに、ヘリコプターで現金をまくのはなぜダメか。それは、日銀の建物が古いので屋上にヘリコプターが降りられず現金の積み出しができないから。――と私は理解したが、間違っているかもしれないので、各自勉強のこと。

    ◆

経済学的に考える』は、このインフレターゲティングの解説を第1部としてまずまとめている。《デフレと金融政策のあり方については、世の中で実に多くの議論がなされてきた。この本で、その主要な論点をすべて取り上げることができたと考えている》と「まえがき」にあるが、たしかにそういう印象だ。そのあとは、経済ネタとして毎度目にする数々のトピックについて、経済学の理論と論者をきちんと示しつつ、コンパクトに解説していく。

ところで、「経済はこうすれば良くなる」という話をこうして聞かされるとき、いつも感じる違和感がある。それはこの手の話全般につきまとうもので、伊藤氏の立場や趣旨とは関係ない。ただ、同書の経済解説がクリアであったせいか、違和感のほうもクリアになってきた。だから、ここでそれを書き留めておく。なかなかひねくれた違和感ではあるのだが。

経済というのは「みんなで幸せになろうよ」という一面を持っているようで、実際には、日本や円といった経済圏を限定したうえで、その利害が分析され主張される。グローバル経済といっても、けっきょく各国の経済にとっての功罪という観点がなにより重大なようだ。早い話が、日本経済が良くなることは、中国経済が良くなることをただちには意味しない。イラクやアフガニスタンの経済にも直結はしない。経済の結果がそうであるだけでなく、経済の目的からしてどうもそうらしい。「日本の利得=世界の利得」のつもりで日本経済を論じる人はあまりいないのだ。そもそも「世界全体の利得」などという想定が、現実には無意味か漠然としすぎているのか。

まあこれは今さら言うまでもないことで、経済の国家主義や利己主義をここで批判しようとは思わない。ただ、経済という問題は、平和とか政治といった問題に負けず劣らず、「世界全体のため」という発想が極めて希少である実態に気付かされ、それがけっこう不思議なのだ。

そこから、こんな疑問がわいてくるだろう。「日本経済の利得=世界の利得」が疑わしいのであれば、我々が信じている「日本経済の利得=私の利得」という図式だってかなり怪しいのではないか、と。この疑問は、さらに次のように具体化する。

「こうすれば日本経済は良くなる」という大合唱が聞こえてくるけれど、実はその意味は「こうすれば年収800万円くらいの人々が年収1000万円くらいになる」というところに限定されているのではないか。――違和感の正体はこれかもしれない。

「何をいってるんですか、私の年収が800万円から1000万円になるということは、あなたの年収も300万円から310万円くらいに上がるということですよ。いいじゃありませんか。日本経済が良くなれば、みんなそれぞれの割合で稼ぎが増えるんです。みんな分相応に物品を買い始めることができるんです。素晴しいじゃありませんか!」

なんだか、期末試験の前にクラスそろって勉強に励んだところ、400点だったあいつは450点になり、200点だった俺は210点まで上がった、みたいな話かもしれない。「めでたし、めでたし」「めでたくないよ! もう一緒になって勉強なんかしないからな、俺は」

「それよりは、このまま日本経済がどんどん沈んでいって、俺の300万の年収が100万に下がってもいいから、あいつの800万の年収が300万に、いや場合によっちゃ同じ100万くらいに下がるんだったら、そっちのほうが気分いいや」。などと忌まわしくも待ち望んでいる人がいないとはかぎらない。まるで自爆テロの発想だけれど。

そこで、最初の話に戻ってくるのだが。ヘリコプターマネーというなら、比喩でなく本当にヘリコプターでまいてみてはどうだろう。それだったら、みんなの収入が同額で増えるのに。

もうひとつ。上にあげたインフレターゲット策を追想してみると、当たり前だが、金回りが良くなるのは、すなわち企業の収益や給料を通してであり、したがって今そうした経済にまったく参加していない人、つまり稼ぎがもともと無いような人には、千円札の1枚だって降ってはこない(ヘリコプターで現金をまかないかぎり)。まあ経済とはそういうものなのだろう。

    ◆

どうもネガティブな展開になってきた。が、ついでなのでしつこく問いかけてみる。たとえば、伊藤元重氏が「経済学的に考える」とき、年収800万円の人と年収300万円の人、主にどちらを思い浮かべているのか。

どうしてこんなことを考えるかというと、今回グーグルでいろいろ当っていたところ、伊藤氏の大学ゼミのサイトがあって同窓会の写真なんてものが出てきてしまったせいだ(もちろんわざわざ探したわけではない)。その、企業などで働いているとおぼしき教え子たちの、写真の映え具合を眺めていると、そうか彼らこそが「日本経済=私の経済」を感じとれる集団なんじゃないか、と思った。そうして彼らの懐具合も、なんとなく想像できてしまうのだった。いやまあ実に下劣な想像だ。インターネットとは罪なもの。

しかしながら、こうしたネガティブさをくぐり抜けた上でないと、ほんとうに建設的にはなれないと思うところもある。ところが、くぐり抜けるつもりが、そこに引っ掛かってしまって、もう先に進めないではないか。なんというか、経済学的に、へこむ。

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*ぜひとも参考にすべきページ。
 「余は如何にして利富禮主義者となりし乎
 ―― 『羊堂本舗』経由


Junky
2003.11.1

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著作=Junky@迷宮旅行社http://www.mayQ.net