「優雅で感傷的な日本野球」(高橋源一郎)

自分以外の人間と出会える望みがこの先全く絶たれたとわかった場合、人は果たして表現をするのでしょうか。だとしたらそれはなんのためなのでしょう。無人島で独り、こういう謎と直に向き合おうという時に、高橋源一郎の小説ほどぴったりの題材を僕は知りません。
世にあるあらゆる小説は、読む時のシチュエーションで受ける印象や意味が変わってきます。必然です。でも高橋源一郎だけは違うような気がします。読む人の境遇や周囲の環境がどんなに変わっても、彼の小説が投げかける力だけは普遍なのです。書斎のハードカバーであっても列車の網棚の文庫本であっても。仮にインターネット上に発表されても、洞窟の壁面に刻まれいてもです。そして、無人島でこの本を読んだ僕はきっと思い立つことでしょう。ほかでもない、小説というものを書いてみようかと。誰のためでもなく小説のためだけの小説を。
高橋源一郎の作品はどれも上に述べた点を備えていると思います。その中で、彼の小説の収まりどころが自分の中になんとか出来始めたころの作品「優雅で感傷的な日本野球」を僕は選びます。これを同時代に読みました。僕の胸は言葉にならない何かで満ちました。10年近く過ぎてからもう一度きちんと読みました。さらに胸はいっぱいになりましたが、やはりそれの正体はわかりません。源一郎小説が見せる世界の広大無辺さに比べ実際に僕たちがやりくりしていく生涯の、あまりの狭苦しさ、あまりの短さを思うのみなのです。


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