ミーム リチャード・ドーキンス 利己的な遺伝子 佐野眞一 誰が「本」を殺すのか ミームとは本である
ミームの正体



ミームとか言う。
利己的の偉い人ドーキンスが思いついた言葉。

「文化の伝達や複製の基本単位」を、
 遺伝子=ジーン(gene)になぞらえてミーム(meme)と呼ぼうと。

「私たちが文化と呼ぶものはすべて原子のようなミームからできており、
 そのミームが互いに競合しているということになる。
 遺伝学が精子と卵子を通じて人から人へと広まって行くのと同じようにして、
 ミームは心から心へと移り広がっていく。
 競争に勝ったミームは、
 今日の文化を形成する活動や創造に大きく関与するのである」(ドーキンス)。

ダニエル・デネットという意識の解明の偉い人も
「ミームは一つの考え方である。
 しかも、それ自身が形を作り上げ、
 記憶に残る個別の単にとなっているような複雑なある種の考えを指す。
 そしてミームの物理的現れである媒介物によって広まっていく」
 と述べているらしい。

「ミームとは本である」(ドーキュンス)。
 ・・・いや、これは私が述べているらしい。

生物の進化には「こういう構造と役割の存在があるはずだ」ということで、
「遺伝子」という概念がまず出来て、
それからずっと後になって、その遺伝子の実体が「DNA」として発見された、
という経緯だったと思う。

これに倣って、
いくぶん怪しくいくらでも玩べそうな概念の「ミーム」だが、
その物理的実体は、なんと「HON」だった、と。
我々の思考や感覚は「本」の単位で伝達されるのである!

こんなこと誰でも言いそうなのに、
そうした論文は雑誌ネイチャーにまだ発表されていない。
だったらということで、私が今、断定した。

だいぶ前からそう思っていたのだが、
『だれが「本」を殺すのか』(佐野眞一著)を読んで、
ますますその感を強くした次第。

ここでは本にまつわる様々な話題が取り上げられるが、
どの話題も「ああ、あれね」と必ずいくらか思い当たる。
しかも、それらの話題は実に幅広く、
総合すれば世のあらゆる事象をカバーしてしまうのではないかと思わせるほどだ。
つまり、ここが肝心なのだが、
世界の事象は、しばしば本=書名と結び付いて整理・理解・記憶されるということだ。
すなわち、書籍はミームである。

引用もしておこう。なんとなく関連する部分。
これほどオンライン書店化のうねりが一気にふくれあがったのは、いうまでもなく、版元―取次―書店―読者という従来のパイプが完全に目詰まりを起こしているためだが、もう一つの理由として、本という商品が金融と同様、電子情報にしやすいという点があげられる。「本」は発売されたとたん「情報」となり、社会にサーキュレート(循環)する宿命を帯びている。この点に関してアマゾン・コムのジェフ・ベゾスが、eコマースビジネスをはじめるにあたって他の商品でなくイの一番に書籍に狙いを定めた理由として。「本を知らない人はいない」と述べているのは興味ぶかい。》(『だれが「本」を殺すのか』)

そんなわけで、きょうの文章もこうして
佐野眞一の「本」という単位で書かれた。
近ごろパソコンのディスクに蓄積されていくファイル(ファイル名)もまた、
気が付くと「本」の単位であることは多い。
さらには、先日感銘を受けたのも、斎藤美奈子『モダンガール論』という単位だったが、
この単位の伝播をGoogleで検索してみれば、
ネット上には、これまで知らなかった面白サイトが、
まだいくらでも生息しているんだなと驚く。
たとえば「東京上機嫌」=http://home2.highway.ne.jp/sinb/pro.html

世界は本というミームを媒介して繁茂するのだ。

さてさて『だれが「本」を殺すのか』は、
最後のほうで書評というテーマを設定していた。
がしかし、私の説によれば、インターネット時代において、
「書評とはコネクショニズム=ニューラルネットワークである」。
しかしこちらの論文は、こんど雑誌ムーに発表する予定なので、まだ明かせない。


Junky
2002.2.19

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著作=Junky@迷宮旅行社http://www.mayQ.net