モンドリアンが探し求めたものと
僕が探し求めたもの。

普段は「モンドリアン?」「ほら、あの、黒い線を縦横に引っ張って、出来たマス目を原色で埋めて」「ああ、あの絵ね」ですむわけですが、渋谷Bunkamuraのモンドリアン展(4月11日-5月24日)へ行ってみると、もともと伝統的な手法で風景など描いていた人が、ある時期一気に抽象の世界にのめり込んでいった経過が、わざとらしくも良く分かるのです。

眺めた対象を絵の具でキャンパスに再現しよう、そう努めてきたモンドリアンが、ある時それが完全にはできないのが絵画の宿命なんだと気付き、では真の姿を描くためにはどうすればよいか、そうだ!対象を徹底的に抽象化させて描いてみよう、と決心した・・・とそういう話ならば、それはある意味でリアリズムなのでしょうが、実はそう単純ではなく、作品解説によれば、人間の感覚というフィルターを通さないことによって、なにか別の種類の真実を表現しようとしてこうなったのだ、というような説明でした。

さて、絵を一通り見終わって出口へ向かうと、モンドリアングッズがたくさん売られています。線とマス目に赤・青・黄の独特の絵柄は、たしかにバスタオルやコーヒーカップに似合います。

こうやってモンドリアンの絵画を消費流通鑑賞する僕たちは、はたして、伝統的なリアリズム画家が求めたなにかや、モンドリアンが抽象表現に求めた重要ななにかと触れ合うことはできるのでしょうか。あるいは、またまた別種の「絵画の真実」にたどりついてしまったりする可能性(おそれ?)はないのでしょうか。

そんなことを考える間もなくBunkamuraを後にし、夏もののシャツを探すことにしました。しかしシャツなんてせいぜい格子かストライプか無地か、みんな同じようなのを着ているものだという事実が、探せば探すほど明らかになります。

モンドリアン柄のシャツがあったら買いますか?

その後「掲載希望」のメール届く。


Junky
1998.4.25

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