大江健三郎
万延元年のフットボール
小説の本当の事を云おうか大江健三郎の小説は、しばしば難解だからと敬遠される。『万延元年のフットボール』もたしかに冒頭は読みづらかった。主人公のいかにも観念的な独白で始まり、状況描写や回想は妄想のようにもとれ、共感の糸口がすぐにはつかめないのだ。しかし、やがて物語の土台や骨子が定まり、登場人物の輪郭もはっきりしてくる。そうなるともう退屈しない。深い謎を引きずった奇妙な出来事が、次々とうねるように出現、展開していく。クライマックスには推理小説風のどんでん返しまである。
とはいえ、登場人物がそれぞれ抱えている心の傷や苦悩は、あまりに本格的・本質的だ。(ネタバレになるけれども)たとえば主人公の妻が弟に寝取られるといった事件に際しても、凡人ならもっと下世話に憤ったりしそうなものだが、彼はそれらを常に人間や世界そのものの困難として悩み抜き、書き尽くそうとする。しかもそれに照れたり斜に構えたりといった素振りは全くない。そのためか、主人公の思考が愚直にまっすぐ進もうとすればするほど、かえって文章はどこまでも入り組み、行間もびっしり詰まってくる。本来は動的なこの活劇に、このような粘着力が加わることで、読んでいく感触は類例のないものとなるのだ。なお、その七転八倒を少し引いて眺めると、なにやら滑稽風味もちょっぴり醸す。
しかも、ここで描かれる世界はかぎりなく重層性を持っている。ストーリーの主軸は、主人公の弟が村の青年たちを率いて一種の叛乱を企てるというものだが、それ自体が、この村で万延元年に起こった百姓一揆の歴史をきれいに踏襲する形になっている。また、この小説が発表されたころの社会情勢、あるいは侵略と敗戦の記憶といったものが、繰り返し影を落としてくる。タイトルにある万延元年は1860年であり、自ずとその100年後の安保闘争(1960年)が思い起こされる。ずばり弟はその闘争に加わり、挫折してアメリカに渡った人物として登場している。そんな明白なつながりはもちろんのこと、何の象徴であるのかを解釈したくなるエピソード、解釈できそうなエピソードが随所に鏤められている。小説は解釈などするなという声もあるだろう。でもこの小説は、寓意に思いをめぐらし解釈を研ぎすましてこそ、楽しい読み方になると言いたい。もしかしたら、それが正しい読み方ですらあるかもしれない。
とにかく渾身。それを隠さない。大文字の「人間」「歴史」「苦悩」「救済」といったものが額にくっきり刻まれている。そうした課題に真正面から挑むようにして書かれたとみえる。作中で「本当の事を云おうか」と啖呵まで切るのだから。小説とはそのような役割を担うものであり、読む者もまた同じ課題を共有しているはずだ、といった前提があったのかもしれない。近ごろは、そのような力の込めかたをした小説には、めったに出会わない。そういう本格的なことを本格的には書けないという諦めがあり、その諦めには正当性があるとみなされているのが、現在なのか。早い話が、時代は変わった。なぜ変わったのか、それが何を意味するのか、それはともかくとして、時代がひとつこのように変わったことだけは確かなのだろう。
いったいどうして小説などというものが好んで書かれるのか。またどうして好んで読まれるのか。それがつくづくはっきりしない。それでもなんとなく一冊また一冊と手にとって読んでいる。そもそも私にとって「小説の原型」と呼べる作品すら見当がつかないのだ。それに気がついて唖然としていた。ところが、この『万延元年のフットボール』を読み終えた時、これは少なくとも「現代小説の読書体験の標準型」にしていいのではないかと、初めてそういうことを思った。いわばそれは、世界と私とこの小説との遠近が、とても把握しやすかったということでもある。
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なんだか肩に力が入って、くどい感想文になってしまった。やはり読んだ当の本に影響されるのか。もうちょっと気楽に行かねば。
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なんといっても大江健三郎はノーベル賞作家だ。『万延元年のフットボール』はその代表作とされ、『作家の値打ち』でも82点。かの『必読書150』にも堂々エントリーしている。でもそんな御墨付きを全部抜きにしても、この、ご飯なら何杯でもおかわりできそうな、感想なら何度でも書き直しできそうな面白さは、読んで損はない。
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村上春樹の『1973年のピンボール』は、当然この『万延元年のフットボール』を意識したタイトルだろう。それを気に留めて『フットボール』を読んでいくと、主人公と友人が翻訳の仕事を共同でしていたり、その友人が首を吊って自殺したり、主人公が鼠と呼ばれていたり、どうあっても村上小説の設定の起源だろうというものを次々に発見することになって、驚く。主人公がはしごを伝って穴の中へ降りていったりもする。
ちなみに『フットボール』は1960年の安保闘争から7年後の1967年に刊行されたが、『ピンボール』もまた1973年から7年後の1980年刊行だったりする。なお1973年とは、前年の連合赤軍事件で逮捕された男が元旦に拘置所で自殺をした、そのような年だった。
ところで、『フットボール』を読めば大江健三郎が1960年とどのように向き合ったのかを理解できるのかというと、まあそう単純なことにはならないだろう。しかし、じゃあ村上春樹が1973年とどのように向き合ったかが『ピンボール』で理解できるかというと、それははるかにずっとできそうにない。すなわち、言うまでもなく『フットボール』と『ピンボール』は小説としてまるで似ていない。村上春樹が、大江健三郎につながりを保ちつつも絶対に似ないものを書こうとした、ということは大いにありうるが、実際に『フットボール』を読むと、その差があまりに歴然としていること、言い換えれば、仮に『フットボール』を現代日本小説の正典とした場合、村上小説がどれほどそこから離れているかを、あらためて思い知ることになる。
まあ、こんなことは指摘したからといって「だから何?」ということかもしれない。だいいちとっくに指摘されつくしたことかもしれないのだし・・・。
さらについでのような話。舞城王太郎の『煙か土か食い物』は、主人公の兄弟の一人が蔵の中にこもり、そこからどうやって脱出したかが謎となっているが、この「兄弟と蔵のミステリー」という形、実は『万延元年のフットボール』にある。それを一応踏まえて舞城が取り入れたということはありえる。
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『万延元年のフットボール』を何かに喩えてみたいと考えて、これはいいかも!と閃いた。それは、ビートルズのアルバム『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だ。(これも誰かが指摘ずみか?)
喩えの第一はなにより『サージャント・ペパーズ』のジャケット。ご承知のごとく、時代を象徴する人物、いわくありげな人物が勢ぞろいしている。もちろん楽曲自体、これ以上ないほど多彩な要素が盛り込まれている。『フットボール』の入り乱れぶり、思わせぶり、寓意と解釈の多重性の形容として、なかなか相応しいのではないか。また『サージャント・ペパーズ』はビートルズの代表作であり、ロック史に残る傑作とも見なされている。大江健三郎をそこまで持ち上げていいのかどうか私は知らないが、『万延元年のフットボール』が大江健三郎の「サージャント・ペパーズ」である、という位置づけなら十分可能だろう。
なお、この『サージャント・ペパーズ』が『フットボール』と同じく1967年に発表されたことは、ぜひとも付け加えておきたい。ちょっと調べてみたところ、『サージャント・ペパーズ』は67年の初めから録音が開始され6月1日にリリース。『フットボール』は「群像」の1月号から7月号までに連載され、そのあとすぐ刊行された。
ところで先ほど、『万延元年のフットボール』には正しい解釈というものが存在していそうだ、みたいなことを述べた。とはいうものの、この小説には何のことだか判断しかねる出来事も、またたくさんある。たとえば、主人公の乳母だった女が、なぜか原因不明の過食症に陥って恐ろしく肥満した姿で登場するが、その意味あいとなれば、私は最後まで分からなかった。でも、このイメージは、その不可解さを抜きにして面白く、また不可解さによってかえって面白いというところが多分にあった。でもそれで迷いは残らないのか。
残さないでおこう。『サージャント・ペパーズ』もまた、サウンドや詞をめぐって解釈や成り立ちを突き詰めることがとりわけ面白いアルバムだろうが、それ以上に、楽曲のめくるめく響きや展開にひたすら浸って酔いしれてしまうことが私たちにはできる。ラストの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」なら、何故ああいうふうに静かに始まり、何故ジョンとポールが交互に歌い、何故ああいうふうに重々しく終わるのか。それを逐一解釈しようとすればできるのかもしれない。が、できなくたって感動は訪れる。まあ音楽とはふつうそういうものだ。小説がそうであってもいいじゃないか。『万延元年のフットボール』がそうであってもいいじゃないか。――と途方もなく大ざっぱで乱暴な理屈になりながらも、迷いは解消されたのだった。
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参考までに、『万延元年のフットボール』で検索して興味深かったページ。
http://www2.neweb.ne.jp/wd/aijike/bajitofu/sono6.html
http://www.cafeopal.com/reviews/99/oct/reviews991017.html(10月21日)
http://elekitel.jp/elekitel/special/2002/01/sp_02_b.htm
=追記(03.11.25)=
『万延元年のフットボール』を論じた柄谷行人の「大江健三郎のアレゴリー」は、
きわめて刺激的で面白い。
これは、昭和が終った1989年になって書かれたもの。
前後して書かれた
「一九七〇年=昭和四十五年」「村上春樹の「風景」」とセット。
(柄谷の著書『終焉をめぐって』にまとめて収録されている)
これらを通して柄谷は、
近代日本の政治史と文学史を、独自の座標で鮮やかに配置する。
それに絡めて『万延元年のフットボール』や『1973年のピンボール』を批評する。
日本のナショナリズムという厄介なアポリアに対しても重大な示唆を与えている。