あらざる国歌
He's a real nowhere man
Sitting in his nowhere land
Making all his nowhere plans
For nobody
--John Lennon--
『国歌』というタイトルの写真集(情報センター出版局・00年)があった。
世界167国の国歌(とされている歌)の歌詞が、
その国(とされている土地)の人々や風景の写真を背景に、ひたすら記してある。
ここでは、歌詞の一部をテキトウにピックアップしてみた。
翻訳者は「高田三九三、片平幸、在東京キリギス共和国名誉総領事館」とある。
◆
尊き王の慈しみ受け 栄えゆく われら(タイ)君が代は国歌としてちょっと・・・と言われるが、幸と勝利 栄光あれ 栄えたまえ わが女王(イギリス)
栄えよ 栄えよ 気高き王座(ヨルダン)
こうした王を讚える歌はどうなんだろう。
毎度のことながら疑問だ。
光栄 輝けよ 勇ましき君主に シュリ パンチェ サル カール マハラジャ ディラージャ(ネパール)やけに具体的な讃美。
ウィルヘルムス・ヴァン・ナッソウエ オランダの王 わが国のため まこと 尽くさん その家柄を はずかしめず 忠誠を イスパニア王に 誓う(オランダ)なんだかややこしい変な歌。どっちに忠誠を誓えばいいのか。
王よりも 君を愛す(モナコ)やっぱりこうでなくちゃ!王国であっても王に言及しない国歌もある。
スウェーデン、ベルギーなどがそう。
◆共和国であれば、もちろん王は登場しない。
その代わり、かどうかは知らないが、ときおり神が降臨する。
われらが神よ 御国を守れ(ニュージーランド)これ神を讚えるというより、どっちかというと神様お願い!の気持ちか。その未来を 神の手にゆだねん(ウガンダ)
コーランの庇護のもと 栄えゆく(イラン)
あふるる 神のめぐみ 幸ある このよき国(マレーシア)
なぜか仏様は出てこない。変り種は、
来たれや 精霊(ジンバブエ)こちらは、神でも王でもない特定の人物を称揚するきわめて珍しい例、
毛沢東の旗をかかげよ(中国)
◆民族名ってのは滅多に歌われない。
ユダヤの胸に 燃ゆるは まこと(イスラエル)まあこれくらい。世界はどこもそう単純じゃないのだ。われら 清きアラブの民(オマーン)
◆やたら多いのは、国土の自然を誇る歌詞だった。
ヒマラヤの山にこだまし ガンジス川は歌う(インド)私の母校(小学校)の校歌が紛れ込んだ。われらが愛する 山の国 荒波取り巻く 海の国(ノルウェー)
アルプスの山は やさしく語るよ(スイス)
口笛はなぜ 遠くまで聞こえるの(ハイジ)
結べ 泉と海 結べ 野原と森(セネガル)
森と泉に囲まれて 静かに眠る(ブルーコメッツ)
牧場よ 小川よ 山並みよ 森よ 花咲く 野辺よ(チェコ)
花咲く娘たちは 花咲く野辺で(タイガース)
六甲おろしに颯爽と 蒼天翔ける日輪の(タイガース)
越の白山 仰ぎ見て 幼い胸に わく望み
何故こんなにいつまでも忘れないのか。困った。しかし。
インドがヒマラヤでありガンジスであるというのは、
インドが牛の糞であり乞食の大群であるというのと同じくらいに、
悪質なステレオタイプとも言えるのではなかろうか。
この写真集で使われているスナップにも、そういう作用がある。
タイのページがキックボクシングであったり、
エジプトのページがピラミッドとラクダのシルエットであったり、
韓国のページがキムチを売るおばさん(高年女性ステレオタイプ)であったり。
ちなみに君が代の背景は、渋谷の雑踏。
スターバックスは千代に八千代に。しかし抽象的な風景というのはありえないのだから、しょうがないとも言える。
国土は、国は、みな具体的なのだ。
◆国歌に折り込まれた理念ならば、いわば抽象的。
たとえば、自由なんてのがよく歌い込まれる。
自由の国に 栄えあれよ(ハンガリー)あまりしつこいと、ほんとに自由なの?と首をかしげたくもなる。そびゆる山より こだまする自由(南アフリカ)
われらは 常に自由 常に自由(ペルー)
旗に書かれたる 文字を仰ぎ見よや 「自由」 見よや「自由」(エルサルバドル)
われらが旗あるところ 自由と勇気 ともにあり(アメリカ)アメリカの自由と勇気・・・ふ〜む。しかし、こうした理念は天から降ってはこない。
自由のためには この身を捧げん われらは勝利の道をいかん(ウクライナ)・・・とこういうことになる。自由を叫びて戦わん 死しても なお叫ばん(ウルグアイ)
このあたりから、国歌の最大のモチーフが現われてくる。
すなわち、国のために戦え、国のために死ね、と。
貴き誓いは われらが国を守らん(カナダ)予想通りではあった。祖国のため 鉾とりて進まん(ポルトガル)
御国に仇なす 敵をば討て(ポーランド)
仇なす敵を ほふらん(フランス)
剣をとれ 命捧げん 命捧げん 国のため(イタリア)
勇ましき英雄は 国のために死せん(アルバニア)
◆これ以外にも様々な理念がオンパレードだ。
力強きわが国 愛と希望に 満ち満つ(ブラジル)ちょっとお節介なところでは、前進 前進 前進 進(中国)
謙譲の徳を たたえ 正しく強く 生きん(ガーナ)
正義をば 守りて 愛に生きん(キリバス)
幸に向かいて 進まん シンガポールの成功を 切に望むよ
デモクラシー 平等 正義 守りゆかん(カンボジア)
心もからだも 常に健やか(ドミニカ)あるいは、
平和 正義 勤労は 宝(コンゴ民主共和国)わかりました。あしたから真面目に働きます。労働の汗とあぶら たたえよや(ニカラグア)
仕事に 秩序 立てよ(中央アフリカ)まあそこまで言われなくても。このように、ある理念が国歌に歌われるということは、
そうした理念の価値は、まったく疑われていないということでもあろう。しかし、
天皇や王が絶対の存在ではないごとく、
万人に絶対の価値を持つ理念というものも、たぶんありえない。
となると、
国歌はたとえどんな歌詞であっても、
全員がもろ手を上げて賛成ということにはならないことになる。無理やり、誰にも否定できないような国歌を作るなら、
こんな歌詞になるのだろうか。
a>b かつ b>c なら a>cこういう下らないことを考えていたら、
私が見る青い空は青い
これは国歌であるか国歌でないかのどちらかだ
ああ三角形 内角の和 ああ180(とはかぎらない)
語りえぬ ものについては 沈黙を せねばならない
最後のほうのページに、面白いことが書いてあった。
そう、国歌には歌詞のないものもあるという事実だ。
サウジアラビアなど中東のいくつかの国やスペイン、ブータンがそうらしい。怪しい結論1
どのような国歌も、歌詞のない国歌に如くはなし
◆ところで、この本に、たとえばユーゴスラビアの国歌は載っていても、
ボスニア・ヘルツェゴビナの国歌は載っていない。
パレスティナもない。東チモールもない。
そもそも国歌がないのか、あるけど載せなかったのか、不明なのか、
そのへん私はまったく知らない。
(でもなぜかグリーンランドは国歌があったりするのだった)国歌は国家と同義なのかもしれないと思う。
国歌なきところに国家なし。
国歌はただ存在することによって、国家の存在を自明にし、国家への懐疑を無化する。
逆にいえば、国歌をなくしてみたら、国家の基盤も危うくなるのかもしれない。
国家をなくすってのは、なかなかにわかには難しい。
でも、国歌をなくすくらいなら、いくらか実現しやすいのではないか。怪しい結論2
どのような国家も、国歌のない国家に如くはなし。
◆いろいろ妙なことを述べてきたが、
しめくくりに、ひとつ素直な気持ちでこれを。
おお太陽よ 暖かく照らせアフガニスタンの国歌だ。
暖かく照らせ 自由と繁栄を
自由の道を われら築きぬ
幾多の犠牲 払いし道を
友情により 成しとげ得たり
成しとげ得たりなんだか「ちょっといい話」になってしまったか。
とはいえ、トップページに変なコラージュを出したことの引け目もあり、
ほんの一瞬ではあるが、ここでアフガニスタンの人々に思いを馳せよう。*注
アフガニスタン国歌は現行・正式のものかどうか定かではない。過去や今後の変遷についても不明。