『銃・病原菌・鉄』
人類のターニングポイント
・・・あといろいろ
『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド著・倉骨彰訳・草思社)。
サイエンス書・教養書といったジャンルで昨年、大きく話題になった本。
しばらく前にざっと読んだが、とても面白かった。◆
アフリカや南北アメリカでなく、
ユーラシアに由来する文明が、人類を支配するようになったのは、何故か。
この大疑問に対し、
多岐にわたる科学的知識を魔法のように複合させ、
人種の違いではなく環境の違いに起因するという方角で、
一筋の、太く、長い、考察の道を築いていく。その基礎はやはり、
文明の誕生には
狩猟採集から農耕牧畜への推移が不可欠だったという観点だ。
これ自体は珍しくない。
しかし著者は、
この狩猟から農耕への推移が、実際はどんな様子であったのか、
具体的にどんな結果をもたらしたのかを、
微に入り細に入り記述し、
さらに、
その推移が大陸ごとに大規模に起こったり起こらなかったりした理由を、
動植物の分布や大陸の地理的配置などから厳密に証明しようとする。
その実証精神の多様性と綿密性、そして意外性が、
この書の真骨頂というところだろうか。タイトルにもなった銃・病原菌・鉄は、
16世紀に、スペイン人が持っていて、
インカ人が持っていなかったものの代表だ。
世界史の流れを大きく決定づけた「新大陸発見」の条件にも、
1万年以上の昔にユーラシアで始まった狩猟から農耕への推移が、
やはり大きく影を落としていたのである。こうしたテーマを、一度まるごと真正面から考えてみるのもいい。
その先導役にぴったりの最新本に出会えたという感じだ。
ただしこの本は、古代文明の誕生までに関する考察が主で、
たとえば、世界の支配者がヨーロッパであって
同じユーラシアに誕生した中国でなかったのは何故か、
といった問いは補足的なものとなっている。◆
ともあれ、
人類に文明を誕生させ、社会構造の変化や権力的な支配をもたらしたのは、
食料を得るために「狩猟採取」を行う生活から、
土地を利用して自ら食料を生産する「農耕牧畜」への推移だった。キイワード的にいえば、
<狩る> から <飼う> へ。これを前提に、もうちょっと考える。
食料を得る手段として、
これに匹敵するような大転換は、
その後は起こらなかったのか。ずっと新しい時代になるが、
交易あるいは貨幣経済の普及を、
それに位置づけていいのではなかろうか。つまり
<狩る> → <飼う> → <買う>
の転換だ。◆
さて、ここからまたまた考えが飛び火する。かなり飛ぶ。
言葉について。言葉を用いる方法として、
人類は次のような転換を経てきたと仮定しよう。<喋る> → <読む> → <書く>
では、この転換はいつごろ起こったのか。
人類は、<喋る>時代が、ずいぶん長かった。
たしかに文字は早期に発明された。
印刷術の発明も大きかった。
しかし、大多数の人々にとって、
<読む>が本当に日常のこととなったのは、近代以降ではないか。
日本においても、
本格的な<読む>時代は、
明治の学校教育とともにようやく始まった、としよう。そうすると、日本の大多数の人々が、本格的に言葉を<書く>時代は、
やはり、インターネットの普及とともに、つい最近始まったのである。近ごろ、同じ結論の繰り返しばかり。(恐縮)
◆
著者ジャレド・ダイアモンドはアメリカの学者で、
「生理学から生物地理学までその研究対象は広い」といいます。
『銃・病原菌・鉄』は、ピューリッツァー賞を受賞しました。
課題設定と研究手法の新しさ大胆さが、
驚きと賞賛の声を浴びたというところではないでしょうか。
一方で、この書は、西洋文明の優位を本当に相対化するのか、
むしろ絶対化するのではないか、といった指摘も一部にあるようです。
そのあたりも、読んでのお楽しみでしょうか。
上下2冊のかなり長い書物ですが、専門家でなくとも、
知的興奮に引きずられながら、わりとすいすい読めます。
前書きがしっかりしていて、そこからポイントが把握できます。
私は全部きっちり読んだわけではありませんが、広くお勧めします。
そして、私たちも、いろいろ大胆果敢に思考してみようではありませんか。