重力シンポ・メモ

シンポジウム「『重力』再創設・02へ向けて
2002年5月18日(土)14時
青山ブックセンター本店・カルチャーサロン
鎌田哲哉、松本圭二、大杉重男(「重力」側)
浅田彰、福田和也、大塚英志(ゲスト)

大杉
(シンポジウムの趣旨)
●重力01の総括と02の方向性さぐる
●重力は7人が創刊 ネーミングは可能涼介 理念は鎌田哲哉
●経済的自立は精神的自立の必要条件 これがテーゼといえる
●01参加者で、02にも参加するのは、大杉、松本、鎌田、井土のみ
●『重力』はハード 参加者はソフト
●私は理念はわからないが、テーゼについては反発
●既得権益の文壇は不感症だった

大杉
●ゲスト3人は、ある意味、寄生して存在している
●浅田彰氏は、精神的自立を売り渡さねばならなかった90年代
私たちは批判の対象に寄生している、ということを指摘した

(重力の印象)
浅田彰
●重力はちゃんと読んでいない。世代ということを私も意識はするが、重力はそれが強すぎる気がする。
●ここにあるのはある種の倫理主義か。かつてプチブルであることが疚しいと言われた時代があった。つまり全員ある種の搾取をしていると。(その一方で、それだったらなおのこと)利用できる資本は利用すればいいという考えが生まれた。それはあまり間違っていなかったと思う。
●(たとえば)辻元清美はいわば経済的自立が崩れたのだろう。ではそれなら自立しているのは誰か。共産党と公明党だ。しかしそのために彼等はおそろしい精神的隷属を生きているではないか。(つまり、経済的自立が精神的自立の要件であるというのは必ずしも正しくない)

福田和也
●(重力側の言う)「既得権益」という言葉がよく理解できない。
●(鎌田は相続の廃止ということを主張しているようだが)相続にもいろいろある。田中角栄の遺産を田中真紀子が受け継ぐという相続もあるが、一方に、学歴や教養もまた相続(されて受け継がれるもの)ではないか。それらをすべて本当に排除しようと考えるなら、極めて中央集権的な、ポルポトのようなモデル(の制度)になるのでは。文芸や文化というものは、不規則に出会うものを肯定するしかない。文壇を次代に継承することが私の責任だと思っている。それらを全部否定して、機会均等、平等がいいのかというと、それは(資本主義のなかでもとりわけ)国家が仕掛けた資本主義になってしまうのではないか。

大塚英志
●白夜書房で漫画一冊が10万円(編集した報酬?)で、そこから諸経費を引かれたものが収入だった私が、ある講演会(かなにか)に呼ばれたところ「お車代です」と50万円もの金を渡されたことがある。「前回この講演はどなたが担当したのか」と尋ねたら「浅田彰さんだ」と言われた。バブル期とはそういう時代だった。だが、連続幼女殺害事件で目が覚めたといえる。
●『重力』は、採算分岐点をきちんと考えたのがすごい。
●かつては漫画部門が文芸部門の赤字を補っていたが、今は漫画もほとんどは苦しい。漫画が出版社を救えなくなっている。出版社は部門ごとの独立採算に進む傾向にある。文芸部門は不採算部門として消えるだろう。では採算を取るにはどうすればいいのか。
●市川氏(早稲田文学編集長、重力01参加、02は不参加)が抜けたことは重大。編集者のいない『重力』の行方ははたして。

鎌田哲哉
●経済的自立は精神的自立の「必要条件」としか私は言っていない。しかし「必要条件」としては確実にある。自立できない者を切り捨てるような姿勢は残酷だと言われるが、自立しなければ、このシステムを反復してしまうのだ。このテーゼは、誰が誰に向かって言っているのはを考えないと、空疎なイデオロギーになってしまう。
●俗物には二つある。一つは商業的俗物。もう一つは反俗的な俗物であり、こちらは下部構造を顧みない(がゆえにいっそう問題なのだ)。
●既得権益について。要するに、陸上競技にたとえれば、内回りと外回りのハンディがあってはおかしいから、均等にしていこうということ。相続権というのも、マルクスもプルードンも言及しているが、その程度のこと。(いずれにしても)そういう(相続という、社会を規定する)条件は存在していると思う。それについて考えていくことが必要なんじゃないか。
●市川氏について。彼のアイディアに寄生していた面はある。執筆と編集の分業は不可避なので、今度は編集者を雇いたい。それには50〜60万円かかる。しかしそういう金はない。原稿料、編集費もない。あと1000部売れればいいのだが。

松本
●(今出ている意見はすべて)批評家の意見だと思う。闘争条件、自立など、どうでもいいと思う。(作家にとって大事なのは)声や書き方をどのように確立するかしかない。

鎌田
●どうでもいいけど、どうでもよくないと思う。

松本
●(経済的な理由からくる不自由は)そんなに不自由に感じていない。むしろ自分の方でこういう書き方をと(限定してしまうような)不自由のほうが大きい。

鎌田
●編集者は欠かせない。

松本
●現代詩は淘汰されているか。されている。では批評は淘汰されているか。されていない。
●『重力』は、批評による淘汰を無効にしていくのか(?)。市場による(作品の)淘汰以外に、『重力』は批評による淘汰を行うのではないのか? それは行われないのか? (作品によって参加者を)除名にするのは批評の仕事なのではないか。

浅田彰
●前提ばっかり言っていないか。淘汰されるものはほっといても淘汰される。5年以内に文芸誌はつぶれるだろう。

福田和也
●マーケット、社交空間、商売しましょうよ 
●『作家の値打ち』にある点数は、まったく妥協していない。あなた読んでないでしょ(辻仁政や石原慎太郎への高い評価を咎めている大杉重男に向かって)

浅田彰
●文壇は99.9%腐りきってはいても、文学はそれでなければやっていけないというところがある。大杉さんや鎌田さんも、群像新人賞がなければ出てこれなかったのではないか。ジャーナリズムがなければ、ジャンルは存続しないのではないか。それがいんちきでもいいから俺が確保する(というのが福田さんなのだろう)

鎌田哲哉
ほっといてもあと数年でなくなるとい浅田さんの考えは嫌だ。そんなことでは、また状況が変わればまた復活してしまう。それ全体に対してねじれを作り出していかないと。

大塚
●あなたたちは世間知らずだ。漫画だってそう簡単に売れない。マーケティングというか、もっとえぐいところをきちんとやっている。私は現場にいるがゆえに根本的な批判が可能になっている。
●経済的自立と作品の向上とは、問題を分けたほうがいいのではないか。

浅田彰
●経済的自立が精神的自立の必要条件というけれど、だったら鎌田さんが群像に書いたものは腐っていたわけ?

鎌田哲哉
●群像からもらった金は腐っていた。

浅田彰
●長期的には、あらゆる人が何らかの権力に寄生してきた。でもそれは、まあいいじゃない。

大杉重男
●『重力』は文壇に対してなんらか抑圧効果があったかと期待したが、どうもそうではない。 ●福田さんが辞めてもいい(福田さんが今のような仕事を辞めることが、文壇の改革になるというような意味か)

福田和也
●『作家の値打ち』について。私は商売でやったのではない。あんなことは商売ではやらない。大杉さんが出席した座談会(新潮)はくだらない。テーマとなった本を読まずに参加しているから。読まないなら出なければよい。

大杉重男
●そんな短い日数で読めるはずがない。福田さんも、そんなに読めるはずがないのでは。

浅田彰
●文芸誌は今だけでなく、昔からくだらなかった。

大塚英志
●読者がダメという言い方は、文学はやめるべきだ。重力も配本ミスの修正をすれば、それでけっこういける部分もある。

浅田彰
●しかし、マーケットがちゃんと機能しているかというと、それでは(完全にマーケットに任せたのでは)せいぜい村上春樹レベルしか売れない。

大塚英志
●『重力01』は、前半の座談会が獲得した市場性によって、商品性があった。

浅田彰
●いや一般の人は前半はいらない。しかし鎌田哲哉のドストエフスキー論は、もし群像に載っていたとしても、面白く読んだと思う。

福田和也
●『重力』だからこそ、これが載せられたというのが、あまりない。

鎌田哲哉
●『重力』の理想。固有名を無名性によって批判するのが『重力』だと、中島(一夫?)が言っていたが、半分はそれが正しい。しかし、一方で、無名性とは、2ちゃんねる的な匿名性への回避となって、責任や勇気が抜け落ちる。それを02号で....

浅田彰
●『批評空間』は、たしかに、固有名(有名)に依っているところはある。しかし、そういうことを送り手はコントロールできない。

大杉重男
●「アンチ漱石」は、「漱石の否定」にはならない。しかし、状況としては、江藤淳から柄谷行人まで、みんな漱石に言及し、その結果、漱石の名がバブル的に膨らんだ。

浅田彰
●ボードリヤール的に言えば、固有名は雲散霧消する、それがマーケット(コミケなど)の現状。しかし、その一方で、なんかしらないが気になってしまう、平準化できない固有名(作家性)、それが文学を支えるんじゃないの? その作家性を支えるシステムがなくなるとしたら、つまりマーケットにすべて任せるとしたら、面白いのに消えていく作家が出てくるだろう。

福田和也
●趣味の共同体としての持続性と一貫性、これはいちばん大事だ。(だから文壇の存続には意義があるということ)

鎌田哲哉
●固有名とは、個人の責任と勇気のためのもの

大塚
●歴史を断ち切っていくものとしての固有名


Junky
2002.6.12

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著作=Junky@迷宮旅行社http://www.mayQ.net