本の紹介
『はじめて考えるときのように』
(野矢茂樹・文 植田真・絵)



野矢茂樹は、やさしい先生だ。
ものわかりが少々のろく、ぼうっと聞いているだけの生徒にも、
笑顔とお茶目を絶やさず、手とり足とり、手を変え品を変え、
とことん付き合ってくれる。

でも、先生の授業は、
<「スキップする」というのは特定の行為の型だけど、
 「考える」ってのはそれとはぜんぜん違って、
 何か「考える」ことに特徴的な行為の型ではない>
<問われて、それに答えるために何をすればいいのかわかっている問題は、
 答えるのに考える必要はない>
といった根源的な哲学なのである。
(いや、哲学=根源的思考、ならば、単に「哲学」でいいのか・・・)
そして、その周辺ではなく核心に、どうにかして直に触れてもらおうと、懸命になる。

「考える」ことそのものについて、執拗に考え続ける野矢先生は、
いわば、妙に腰が低く愛想のよいウィトゲンシュタイン?
体罰もしなさそうな。

『はじめて考えるときのように』は、サンリオの詩集みたいな体裁をしている。
キュートな挿し絵があり、帯にも「哲学絵本」とある。
(意外にPHPが発行元だったりするし)
しかし、中身としては、
同じく野矢先生の本『哲学・航海日誌』に劣らず、
濃厚で、息の長い思索が詰まっている。
『論理トレーニング』もちゃんとできる。

公園や街中でひとり黙って読んでいて、気分よく、
電車の隣の席で他人が読んでいても、気分悪くならない、
そんな一冊だ。
プレゼントにもぴったりだと思いますね、こういう本は。
子供にも、大人にも。
今春出たばかりで、値段は800円です。
・・・いや、それはブックオフの場合でした。ホントは1,550円+税。

では、この本をプレゼントしたい相手はいますか?

たとえば、
この本を読んでいる姿がいちばん似合うのは、
次のうちどの動物でしょう。

1 小泉ライオン
2 神崎コアラパンダ
3 扇シチメンチョウ
4 鳩山トカゲカマキリ
5 志位ブーフーウーのウー
6 ブルドッグたか子
7 クマソ一郎

・・・え、「似合わない」順番しか付けられない?

それに比べたら、
きたる参院選において、
「現在の日本の課題に対処する」のに、
いちばんふさわしい政党を選ぶ、なんてのは、
意外に簡単なことかもしれない。

新聞やテレビでは、
小泉純一郎がああ言った、田中真紀子がこう言った、
竹中大臣、石原大臣が、なにした、かにした、
大橋巨泉までどうしたこうした、等々。
もちろん、それはそれで楽しみにしている。
しかし、私は本心からそんなことが今いちばん知りたいのだろうか。

たとえば、こんなニュースはどうだ。

野矢茂樹氏は、
処理が遅れている「人間以外の動物は考えるのか」問題について、
29日、東京大学の講義で、
「ぼくが問題にしたいのは、
 彼らがほんとうに考えているのかどうかということじゃなくて、
 彼らのことを『考えている』と言うとき、
 それはどういう意味なのか、ということだ」と語り、
考えることと言葉を使うことの間に深い関わりがある可能性を示唆しました。
なお、消息筋によれば、野矢氏は同日朝、自宅わきを散歩中に
「論理は考えないためにある」と洩らしたとも伝えられており、
関係者に衝撃が広がっています。

こういうのは、さっぱり新聞に載らない。
番記者とか、ぶらさがり取材とかも、ない。
でも、こういう問題こそ、
構造改革や財政再建にも増して、緊急的であり、実質的ですらあるのではないか。
『はじめて考えるときのように』を読んでいると、
そうまで思ってしまうのであった。

ま、ふつうは、逆のことを言われるのだろう。
こんな時に哲学なんて糞の役にも立たないぞ、とか。
悠長に思案する暇があったら、この不景気を早くなんとかしてくれ、とか。

たしかに、失業は痛みを伴います。
しかし、失学ということの痛みも、我々はもっと知るべきではないだろうか。

そうだ!インターネットに
非公式サイト「野矢茂樹なぺえじ」を作るってのはどうだろう。
ついでに「テツガク・競馬など、何でもお話しましょう」の掲示板も。
いずれ、Yahooで「野矢茂樹」を検索すると、そのページが出てくる、みたいな。
・・・などと、思い立った日。


Junky
2001.6.29

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