マックス・エルンスト 百頭女 コラージュ 赤瀬川原平 
コラージュ



20世紀最大の奇書とは何か。
そんなの誰も決められない?--では辞書を引こう。

手元の辞書によれば「20世紀最大の奇書」は『百頭女』と説明されている。
マックス・エルンストが1929年に出版した書物だ。
全編これコラージュ。
他の本の挿絵などに使われた木版画を自由自在に切り貼りし、
不思議としか言いようのない図像が出来上がっている。
詩の一節をこれまた掠め取ったかのごときキャプションが、各図像に付いている。
合計147枚。
一応物語として辿ってもいいらしい。

日本語版は、
巖谷國士の訳で1976年に出て、のち文庫本にもなっている(河出書房新社)。
私は今回その文庫を図書館でたまたま手にしたのだ。
さすがに図像は小さいが、空想の切り貼りはそれなりに楽しめる。

20世紀の、と形容したけれど、それにとどまらず、
この一冊は、十八世紀以来の暗黒小説の伝統が、
十九世紀の木版画を素材にして、
まさに二十世紀の奇書として開花した、との見方もできるらしい。
澁澤龍彦が巻末にそう書いている。

赤瀬川原平も「コラージュ体験」という一文を寄せていて、
60年代に初めてコラージュ作品を目にしたとき
「私はいままでこんなにワイセツなものを見るのは初めてだと思った」と述懐。
「そしてその驚きによって私もいつしかカミソリの刃を握り、
 コラージュ次元の世界に没入していったのである」。
さらに赤瀬川原平は、
コラージュにある驚きというものは、
見知らぬ誰かが貼り終えてすでに乾いてしまったコラージュ作品を、
私たちが再び切り抜き始めることなのだと位置づける。
そうすることで、コラージュ作品はふたたび「濡れてくるのだ」と。

なんだか急に『桜画報』(赤瀬川原平・コラージュじゃないけど)とか見たくなってきた。

さてさてここまでは前ふり。
では21世紀のコラージュはどうなるのか。

アイコラってのがあるけれど、それ以外に、
やっぱりこういう表現が次第に一般化するのだろうか。
http://members.tripod.co.jp/dolasaitoh/ のサイトから、
http://members.tripod.co.jp/dolasaitoh/shine.swf
http://members.tripod.co.jp/dolasaitoh/dooraemon.swf
=要FLASH=

今ネットがあってソフトがあって、
こういう切り貼りをしないほうがおかしいとすら思える。
ブロードバンドで近ごろ画像データもすいすいという感じであるし。
音のコラージュも簡単に実現する。

同サイトからだが、もうひとつぜひ。
http://members.tripod.co.jp/dolasaitoh/opus3.swf
これはコラージュっていうんでもないが、なんともリアル。
これを見て「アフォーダンス?」なんて呟いた君は、
たぶん桝山寛『テレビゲーム文化論』(講談社現代新書)を読んだのだ。
ともあれ FLASHにはこうしたインタラクティブ性が少しある。
プラグインの普及しないショックウェーブに変わって、ネットのスタンダードとなるのか。

ところで、手元の辞書とはこれのことですよ。

Google

*上の画像はマックス・エルンストの絵画作品。『百頭女』とは関係ない。


Junky
2002.1.20

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