映画「Shall we ダンス?」(周防正行監督)は面白かった。
2時間を超えるがちっとも退屈せずぐんぐん話に引き込まれ、大笑い、はらはら、じーんと何度も感動した。同じ監督作品「シコふんじゃった」を支持するのと同様、このドラマに最大の拍手を送ります。
去年「ラブレター」という映画があった。 観客にも評者にも高い評価を受けたのだが、僕はどこかしっくりこないものが残った。「あれは映画ではない。中山美穂のプロモーションビデオに過ぎない!」というのがその時のとりあえずの言い分だったが、「Shall we ダンス?」と比較してもう少し分かった気がした。「眼差し」が違うのだ。周防監督が人や生活や恋に向ける眼差しと、「ラブレター」の監督(名前忘れてしまった)がそういうものに向ける眼差しとが。だから巧妙すぎるくらいに練り上げられた脚本はどちらも好きだが、映画全部に染みわたるものが「ラブレター」では僕にとっては全く空々しい他人事で、「Shall we ダンス?」や「シコふんじゃった」ではとても温かくリアルに感じるのだ。相撲についてダンスについて語られているせりふは全部恋について人生についてのせりふに代用できるだろう。(眼差しなどという言葉もあいまいだが、まあ、とっさにでた言葉なので、深く追求するのはやめましょう。)
それにしても、大学の相撲部に続いて今度は社交ダンス。すごいところに目をつける。火事の起こらない町の消防署に目をつけた「119」の竹中直人監督もすごいけど。
社交ダンスはイギリス生まれらしいが「Shall we ダンス?」は実にこの列島でしか生まれない映画だと思う。この映画を愛し語りたい理由はそういうところにもある。自転車と満員電車で郊外のマイホームから会社に通うサラリーマンという設定もそうだし、なにより場末の社交ダンス教室に通うという隠微さがアメリカ人やイギリス人に分かってたまるか!と言いたい。まさに怪演の竹中直人の真髄だってたぶんこの国で暮らす感覚やさらには豊臣秀吉役もしているという認識なしでは完璧に味わうことはできないのではないか。僕らはアメリカ映画をアメリカ人のようには楽しめないのが必然のように、アメリカ人もこの映画を翻訳で見ても、やはり多くのことを見逃すだろう。そういうのは文化の違いという宿命だが、だからこそ同じ時代に同じ土地で生まれたこの映画を僕は愛したい。
と、べた褒めしたところで、さっき「ラブレター」は映画ではないなどと偉そうな物言いをしたが、じゃ「Shall we ダンス?」は映画かというと、実ははっきりそうとは言えない。ドラマではあっても映画ではないとでもいうか。じゃ映画ってなんだよ、と聞かれるとよくわからないのだけれど。ただ僕は映画というとベンダースとかホウシャオシエンの作品を必ず思い浮かべる。それは単に僕の勝手な定義に過ぎないが、どこかに勝手な根拠もあるはずだ。それがなんなのかを考え、かつそういう映画を探し続けることが僕の映画旅行です。
Junky
1996.1.28
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