TVブロス 戦場のピアニスト 持永昌也 町山智浩  ナチ

「TVブロス」の件について、違和感

*持永昌也さんの映画評と、それに対する町山智浩さんの非難、とされるものを、
「2ちゃんねる」からコピーして、まず示します。

=以下引用=

TVブロスに連載された持永昌也氏なる人物の「戦場のピアニスト」の評に驚いた。

この時絶滅させておけばよかった。戦場では生き残った者だけが勝者となる。死んだら負け。そんなユダヤ思想が良く分かるアンチ・ヒューマニズムな究極の恩知らず映画。胸に迫るのは、むしろドイツ将校の無念さだよ。かくして奴らは、ハリウッドはもちろんのこと、現在の世界経済までをも掌握したのであった。ナチよりもユダヤ人の方が極悪とオレは信じる」。

この文章の問題は三点。まず映画ライターとして致命的なことに映画の内容がわかっていない。これはユダヤ人虐殺という過酷な状況が人間性を阻害する悲劇を描いている。「生き残るためには何でもしろ」という主張ではない。

次に一般常識がない。ユダヤがハリウッド経済と現在の世界経済「掌握」している? ゾッキ本で仕入れたユダヤ陰謀説の受け売りだろうが、たしかにハリウッドはユダヤ系によって創立されたが、'70年代にすべての映画会社は大資本の手に落ち、ユダヤ系はプロデュースなどに従事するようになった。たとえば現在、ユニヴァーサルはフランス、フォックスはイギリス、それにコロムビアは日本が所有している。さらにハリウッドのユダヤ系は反イスラエルであり(アメリカ最大のイスラエル支援勢力はキリスト教原理主義者だ)、国際的ユダヤの協調などあろうはずもない。またアメリカですら巨大資本はいまだにWASPの支配下にあり、ユダヤ系のCEOは圧倒的少数なのだから、世界資本をユダヤが「掌握」など笑止千万。それにナチになるのを決めるのは本人だか、ユダヤ人に生まれるのは本人の責任ではない。ユダヤ人に限らず○○人というだけで人を「善か悪か規定できない。」

三つ目に人間としての卑劣さ。ユダヤ人=「極悪」「絶滅すべし」という持永がユダヤ系によって発展した映画でメシを食つているのはどういうわけか? ユダヤ系のワーナーやミラマックスやドリームワークスの映画をタダで観せてもらっていいのか? ユダヤは絶滅すればよかったというなら、フリッツ・ラングやキューブリック、スピルバーグ、ドン・シーゲル。サミュエル・フラー、フランケンハイマー、ポール・ニューマンも存在しなければよかったというのか?

「絶滅」とは女子供も赤ん坊も殺すということ。それを是認する人間が他人を「極悪」呼ばわりできるのか?まあ「オレは信じる」と書いてるくらいだから、今後はハリソン・フォード(ユダヤ系だが知ってたか?)等に会うときは隠さずに「ユダヤは極悪だから絶滅すべしの持永です」と言うように。ついでに君の立派な意見を広めるために英語に訳して各映画会社と外国人記者クラブ、サイモン・ウィーゼンタール・センターに送って、インターネットにもUPしといてやったぜ、感謝しろよ。

=引用おわり=

町山さんは3つの理由をあげて持永さんを咎めている。しかし、これほど激しく非難する背景には、町山さんがあげていないもっと当たり前の前提があろう。それはもちろん「ナチは絶対に悪だ」という認識だ。町山さんは、持永さんがその認識を破ったからこそ、わざわざ非難したのだろうし、英訳してアメリカにまで送付したのだろう。もし持永さんの意見がたんに映画評として「つまらない」「くだらない」だけなら、町山さんはそれをたんに無視して終わっただろう。私たちもまた、3つの理由以上に「ナチは絶対に悪だ」という認識を共有しているがゆえに、町山さんの非難が破格でもさほど不自然には見えないのだ。かつて雑誌『マルコポーロ』が廃刊になったのも、たんに事実に反する主張が載ったからではなくて、「ガス室(=ナチの絶対悪)」という事実に反する主張が載ったからだろう。

さて、そこで私が気になるのは、「ナチは絶対に悪だ」ということを、町山さんは本当に「身にしみて感じている」のかという点だ。町山さんが「そうだ」というなら、もうこの話は終わりになる。でも実は、町山さんは、「ナチは絶対に悪だ」と「身にしみて感じている」というよりも、「ナチは絶対に悪だ、ということになっている」ことを「身にしみて知っている」だけなのではないか。私はそう疑ってしまう。

しかし、町山さんのことはこれ以上わからないので、あとは一般論になる。

少なくとも私は、「ナチは絶対に悪だ、ということになっている」ことを「身にしみて知っている」だけの立場だ。そういう私には、持永さんの意見を町山さんのように非難することは、どうしてもできない。私と同じ立場でも今回のように非難できるよという人はいるかもしれないし、その非難が間違っているとまでは言わない。ただ、私はああいう非難はしないだろう、ということ。それこそ身にしみる実感として、そうしたくないのだ。

もちろん、人が「ナチは絶対に悪だ、ということになっている」ことを「身にしみて知っている」こと自体にも、それ相当の重大な経緯があろう。だから、その人の言動がそのことにいくらか従属するのは妥当なことだ。しかし、そのときはあくまで、「ナチは絶対に悪だ、ということになっている」ことを「身にしみて知っている」、という正確な自覚が必要だろう。そのことを、「ナチは絶対に悪だ」と「身にしみて感じている」ことと混同させたり勘違いしたりするのは、とてもよくない。とても大きな過ちを孕んでしまうように思う。


Junky
2003.3.6

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