東京永久観光
あるいは20世紀の遺物

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101件目から200件目まで、新しい投稿記事から順に表示します。 最大保存件数は、2000件です。
貨幣論・・・ No: 427 [返信][削除]
 投稿者:dansk  03/09/18 Thu 22:19:51

岩井さんの文章って切れ味鋭いですよね。ただ、「市場の絶対性」と、たとえば「正義」とか「平等」という概念との関係ってすごく入り組んでる様な気がします。たとえばこんなこと考えてる人もいるようです。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/html/9973930037.html
学生さんによる、「とてもやわらかい」紹介は、こちらです。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~norichic/SENessey.htm
以上ご参考まで。


ユーザー・イリュージョン No: 426 [返信][削除]
 投稿者:dansk  03/09/18 Thu 05:05:31

はじめまして。偶然立ち寄らせていただきました。
題名の著者T. NorretrandersはA.Damasio(ちなみに第2・3作目も大変刺激的ですね!)と関連するアイデアを本国(Danmark)ではすでに91年に書いていた人です。邦訳出版は去年。米国版は98年。いやはや何とも。以下は書評のページへのリンクです。よろしければ。
http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2002/1006/04.html


たぐちくんへ No: 425 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/07/29 Tue 12:26:01

合格おめでとう!
じゃあこんどは、
「学究者にその使命とわきまえを促す会」でも。


夛田くんへ No: 424 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/07/29 Tue 12:12:11

あのときはほんとうに短い時間で残念でした。

「考え続ける大人はいるか」。
じつのところ、少年の気持ちも犯行の動求翌
これまで使いなれてきた言葉や理論をもってしては、
説明できない、わからない、というのが、
論じる人たちの本音なのかもしれませんね。
わかるから考えたり書いたりするのではなくて、
わからないからこそ考えなければいけないのでしょうが、
ひとつのことをじっくり考えるには、
考えさせられる事件や課題が他にもあまりに多い
というのも、正直なところではないでしょうか。

『脳とコンピュータはどう違うか』は読みました。
茂木さんの問いを、文学を論じることに重ねてみるのは
面白いと思います。
小説は、言語の集積としてみれば、はっきりした客観物ですが、
それを読んでいる私がいま感じている、この感じ(クオリア)は、
やはり主観的なできごとということになりますから、
物理的な客観性とクオリアの関わり、という難問に似てきますね。
「同じ文章について、人間なら読後感はそれぞれ異なるが、
=翼Rンピュータなら読後感は完全に一致するはずだ」
という気がするけど、どうして?=翌ニいう謎もあります。
ともあれ、ただくんの論を期待します。(夏休みだし、ひとつ、頑張って!)

リンク先のサイトは、私も熱心に読んでいます。
高橋源一郎の小説が否定神学ではないか、という話は、
『源一郎なぺえじ』でもちょっと話題になりました。
この人(古谷さん)は、芸術全般について論じていますが、
小説で今思いつくだけでも、
高橋源一郎のほか、保坂和志、金井美恵子、舞城王太郎などについて、
つねにピンポイントで素早い解読をしています。
これほど鋭い論者は、めったにいないじゃないでしょうか。

ということで、本当に次の求莱を楽しみにしています。
(どうか地震には気をつけてください)


先日はお疲れさまでした No: 423 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  03/07/28 Mon 02:05:51

何だかぼんやり(飲みながら)過ごしております。

近々「静かなところ」でちゃんとしたオフをやりましょう!


この間は久しぶりにお会いでき、 No: 422 [返信][削除]
 投稿者:ただ(夛田=乱^一)  03/07/27 Sun 23:23:07

とても嬉しく思いました。

会話に補足したいことが何点かあり、
朝日の記事は7/19の記事で、大塚英志による、
「◆長崎幼児殺害=絡lえ続ける大人はいるか」が正確な出典です。

また、いいたかったことでいい忘れたこと、
茂木健一郎=欄c谷文彦=雷、著
『脳とコンピュータはどう違うか=雷極のコンピュータは意識をもつか』
講談社ブルーバックス(定価:本体860円、税別)

この本を読んだ時に、僕にとってこの問題は、直喩的に、
コンピュータが「さようなら、ギャングたち」を読んだ時、
加藤典洋のような解説が書けるか、という事になる、
と、思いました。何故か。まとまったら書きにきます。
いつになるか分かりませんが。

そして、コンピュータにそれが不可能かというと、
そうでもないかもしれない、とも、感覚的に、思っています。

たぐちさんの掲示板に貼り付けた、源一郎を評した、
なかなかな言説のURLも以下に。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/yorinuki-tlosd.html#Anchor769990

http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/paradise.html#Anchor204706

http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/ill.html#Anchor1100172

http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/we.html#Anchor716703


それではまた、またお会いできる日がくればいいなと、思っております。


さすが No: 421 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/06/23 Mon 05:45:57

松浦理英子といえば、あやさんですね。
私はまったく知りませんでした
「おカルトお毒見定食」、読んでみます。


こちらに書きこむのは久しぶりです No: 420 [返信][削除]
 投稿者:あや  03/06/21 Sat 00:21:26

松浦理英子さんの強姦についての考え方は、笙野頼子さんとの
対談「おカルトお毒見定食」(河出文庫)でも出されています。
もし未読でしたら参考までに。


ありがとうございます No: 419 [返信][削除]
 投稿者:カーニバル  03/04/06 Sun 14:17:51

「ジプシー」についてのご意見ありがとうございました。=

>レコード会社が本当に差別をなくそうと願ってそうなったのか、それとも、文句を言われて商売が滞るのを避けようと願ってそうなったのか、そこは疑問ですね。

これについては「文句を言われて・・・」の方に該当すると思われます。
加藤登紀子のアルバムに「原発ジプシー」が収録された際、団体名は忘れましたが、その言葉が差別的用語だと抗議があり、ソニーがCDを回収しました。それ以降、山口百恵の「謝肉祭」はベストアルバムに収録されなくなり、しかもフメ翼CナルコンサートのノーカットビデオがDVD化される際に、「謝肉祭」だけカットされました。
ソニーの過剰反応だと僕は思っています。

たとえば、「ボヘミアン」。この言葉も「ジプシー」と同ランクの差別用語だそうです。しかし、葛城ユキやチャゲアスの「ボヘミアン」は残り続け、最近では大友裕子バージョンもCDになっています。7回ほど出てきます、ボヘミアン。。
なので、レコード会社の問題だとは思うのですが、フメ翼唐ニしては埋もれさせたくない作品なので、アピールする方磨翌ェないものかと思っています。


わたしも旅行中に No: 418 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/04/06 Sun 11:08:58

私もたしかに「ジプシー」という言葉はよいイメージでしたね。実際どういう人々かは知らないままで。

で私も昔、おなじく旅行中に(モスクワとかウクライナだったかな?)、物ごいと引ったくりの両方をしそうな、すばしこい親子や子供に何度か出会った記憶があります。ちょっと独特の服装で路線バスに乗り込んできて、運転手に追い払われていたり。で、それからだいぶあとになって、ロマという言い換えや、その人たちの扱われ方を聞いて、旅行中の出来事がやっと着地しましたね。


気になること(2点) No: 417 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/04/06 Sun 10:42:47

ジプシー→ロマ。この言い換えは、ロマを代表するとされる団体からの要請と、報道や出版を代表するとされる団体としての判断とによって実現したのだろうと推測します。それに合わせる形で私も今ここで「ロマ」という言葉を選んだわけです。そうした団体の要請や判断が大きく間違うことはないだろうと思います。とはいえ、ロマの人たちが一人残らず、自分のことを「ジプシー」と呼ばないのか、呼んでほしくないのか、あるいは、目の前にいるこの人はどうなのか、ということになると、なかなかすぐにはわからない。いつもそういうことが気になりますね。

もう一点。だいぶ昔ですが、テレビのある生放送(バラエティ系)で、okamaと呼ばれる人が出演し、次のようなこと(趣旨)を語りました。「テレビではokamaという言葉はそのまま放送されるが、tinbaやbikkoという言葉は放送されない。でも私にすれば、okamaという言葉は、tinbaやbikkoと同じように、使ってほしくない」。で、その発言中、tinbaやbikkoという言葉が出るたびに音声が急に消えた(あるいはピー音が入った)のですが、okamaという言葉は、そのままでした。その番組のその後も、okamaという言葉は同じように放送されていました。このように黙って耐えるしかない場面は、ほかにもあるような気がします。差別というほどの意識はなくても、個人的には使われたくない言葉のひとつやふたつは誰しもあるのではないでしょうか。(だから、どうしようもないから、使えばいいだろう、と主張しているのではありません。)


去年、仕事で、 No: 416 [返信][削除]
 投稿者:洋生  03/04/06 Sun 01:03:43

フランスへ行ったとき、
現地の日本人通訳の方が、
「パリには、ジプシーが結構いますので、注意してください。
子供が物乞いしてきても、無視してください」
というようなことを言っていました。

僕は、ジプシーって、それまでは、
幌車にのった移動生活を文化とする人達、それが転じて放浪者というか、
流浪の民というか、ちょっとカッコいいイメージで思っていたので、
ちょっと意外でした。
それこそ、山口百恵の歌の影響かもしれませんが。


「ジプシー」 No: 415 [返信][削除]
 投稿者:名探偵  03/04/05 Sat 22:39:13

「ジプシー」と呼ばれる人たちは、自分たちのことを「ジプシー」と言わないそうです。
自分らのことは「ロマ」と呼び、これは人間という意味だそうです。
ジプシー、というのはエジプト出自の民という意味の言葉だそうです。
実際は「ジプシー」はエジプト出自ではないにもかかわらず、そう呼ばれている、
らしいです。

ということでお邪魔しました。


教えることは何もありませんが・・・ No: 414 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/04/05 Sat 14:15:02

そういえば、去年見たNHKのテレビ番組も、ナレーションが「ジプシー」ではなく「ロマ」という用語を使っていました(その一族を扱った特集でした)。それと、これもNHKですが、『ガッジョ・ディーロ』という映画が放映されたとき、主人公(フランス人)が「ジプシー」としゃべったにもかかわらず、字幕には「ロマ」と表示されていました。(どちらも記憶の限りです)

それにしても、歌も消えているとは知りませんでしたね。まあ過去にもそういうことはありましたから、そういうものなのでしょう。「それで差別がなくなるのか!」と思ったりします。でも「なくならないこともあるが、なくなることもある!」とも思うので、複雑な心境です。ただし、レコード会社が本当に差別をなくそうと願ってそうなったのか、それとも、文句を言われて商売が滞るのを避けようと願ってそうなったのか、そこは疑問ですね。

言葉と差別の関係を個人や団体がそのつど根源的に考えぬいてそれに応じていちいち使い分けるのは、なかなか不便です。そんな不便に直面するくらいなら、一律禁止にして、山口百恵の歌が一曲聞けなくなる程度の不便は我慢してもらおう、ということかもしれません。それは仕方がないことなのかどうか。う〜む、どうなんでしょう。


教えて下さい No: 413 [返信][削除]
 投稿者:カーニバル  03/04/05 Sat 01:31:15

突然失礼します。「ジプシー」についてお尋ねします。ボクは山口百恵のフメ翼唐ナす。彼女の歌に「謝肉祭」という作品があります。しかし、この数年ベストアルバムに収録されていません。ラストコンサートのビデオがDVD化された際も「謝肉祭」だけカットされていました。なぜかというと「ジプシー」という言葉が繰り返し出てくるからです。曲中12回出てきます。
調べた所、Bランクの差別用語らしいですが、駄目なものなのでしょうか?
ちなみに同じレコード会社から出た加藤登紀子のアルバムに「原発ジプシー」という作品があったのですが、差別用語ということで回収されました。それ以降、百恵さんの「謝肉祭」も消えていきました。


戦争反対、桃色賛成 No: 412 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/04/04 Fri 00:18:11

さすが!=蘭レのつけどころが違う。

4月5日、このイベントですね↓

http://www.worldpeacenow.jp/http://www.worldpeacenow.jp/


4.5 No: 410 [返信][削除]
 投稿者:洋生  03/04/03 Thu 02:04:52

こんばんは。
桃色ゲリラにしびれました。
ので、4.5、いってみようかと思案中です。


戦争に対する行動 No: 409 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/03/23 Sun 05:33:33

家のパソコン情勢が極度に悪化して困惑しております。丁寧に査氏翌オて不良部分を正せばよいのでしょうが、パソコンに関する情報や知識はあまりに複雑で変遷も激しく、もはやたしかな判断ができません。

国際情勢も、複雑なことをあれこれ考え含めると、戦争はぜんぶやめろと思う以外、誰が何をどうすべきか、なかなか自分の意見を確立できないです。(こらえきれずにすべてを秩翌ォ壊したくなる人の気持ちだけ、わかったりして)

テレビなど見ていると、アメリカのネオコン(新保守主義)と呼ばれるグループとか、石油利権とか、そのあたりにポイントがあるんだろうかと思い始めてはいます。そうやって一つずつ材料を得ていくしかないかと思います。(パソコンも。)

「戦争以外すべてOK」というのはどうでしょう。「戦争やめろ」という主張を邪魔しない。「反戦運動なんてやめろ」という主張も邪魔しない。「戦争しろ」という主張もこのさいほっておく(主張は勝手なので)。ただし、戦争そのものを邪魔することが私に少しでもできると思った瞬間だけは、その邪魔だけは必ずするぞ、という行動。・・・よくわかりませんけども・・・・


怒猫??天上天下 No: 408 [返信][削除]
 投稿者:殷蘭  03/03/18 Tue 22:37:33

話題がラッコ猫で終わってるのに少々責任を
感じてますが、他の話題を持ち得ないもので
またまた猫の話題。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/2003_0318.html

唯我独尊猫にだって出来るくらいなんだから、我も何か行動すべき
なのでしょうかね。web日記に書くらいしか出来ないのですけど。
書いたからって何もかわらないのですけど。せめて。


ラッコ猫 No: 407 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/02/03 Mon 15:03:33

ははは。ご本人が撮ったのでしょうかね。
藤原さんというと、どちらかというと、犬が思い浮かぶかんじでしたので、
いくらか意外。
サイトの日記によれば、現在は、房総の猟師町にアトリエがあるとのこと。
印度、アジア、東京、アメリカ、日本のあちこち、
その他もろもろ放浪、漂流して、
このたびは、ここに行き着いたのでしょうかね。
しかし日記を読むと、
荒海の殺風景には、また独特の趣と寂しさがあるようなで、
私としては、印度やアメリカ以上に、ふと、
いちばん訪れたい土地のような印象をもちました。
家賃が2千円とかいうのも、すごい。

http://www.fujiwarashinya.com/talk/2003_0123.html


たまにはリンクでも No: 406 [返信][削除]
 投稿者:殷蘭  03/01/31 Fri 10:03:18

Junkyさん
いかがお過ごしでしょうか。
たまにはホッとする写真など。

猫はラッコだったそうです↓藤原新也コムより

http://www.fujiwarashinya.com/talk/2003_0130.html


酔生夢死? No: 405 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/01/17 Fri 06:35:18

陶酔、そういうふうに言ってもらえれば、立つ瀬もあります。
言葉の浪費で読み書きが破綻しないよう気をつけます。
読み書きのバブルを改めるには、読み書きの構造改革が必要ですかね。

ともあれ、またいろいろ論じてください。



中沢はともかく No: 404 [返信][削除]
 投稿者:さかい  03/01/13 Mon 20:44:47

=翌レくのいっていることは大雑把すぎて、junkyさんの関心の向かっているところをはずしていますね。おはずかしい。
=憂unkyさんが「雪片曲線論」を読んで感じたという、「懐かしいような楽しいような気分」については、ぼくなどが異を唱えるべきことがらではありません。
=酪沁閧ナすが、中沢をどう読むか、ということを離れたところで下のJunkyさんの文を読み、言葉(論理・物語)の力について考えました。
=洛セ葉は自分のものでない。
=落ゥ分のものではない言葉を使って、自分がものを書くとはいかなることか?

=翌レくは(そしておそらく多くのひとが)言葉に向かうとき、ふたつのあい反する気分を身内に感じます。ひとつは、けっして自分のものにならない言葉に対するいらだちです。もうひとつは、自律的に繁茂していく言葉のなかに踏み迷うことのある種の陶酔です。
=翌レくにはどうも性急なところがあって「いらだち」の気分でいることのほうが多いのですが、Junkyさんの日々書きつがれている文章を読むと、反対に「陶酔」に向かっていこうという志向を感じます。

=蘭矢「同一性・変化・時間」読み終えました。近いうちに「『論理哲学論考』を読む」のほうも手にとってみようと思っています。
=翌りがとうございました。それではまた。

http://www.cdcp.co.jp/


暗闇と懐中電灯 No: 403 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/01/13 Mon 05:38:51

さかいさん
<中沢新一に対するぼくの不信感は、結局、倫理の不可能に対し傷ついている感じがないという点につきます。>

こうした気持ちは、以下のようなことかなと思いました。

(1)絶対的な正しさがないのは何故なのか、それを求めるべきだ。
(2)絶対的な正しさがないとしても、できるかぎりの正しさを求めるべきだ。
(3)絶対的な正しさがないのだから、何を正しいと考えようと自由じゃないか。
――といったいくつかの態度を想定したとき、その人がどんな態度を選んだにしても、そこに至るまでに、どれだけ丁寧に考え続けたか、どれだけ精緻に考え抜いたかが大事である。しかし、中沢新一にはそのように苦悩した傷がないようにみえる。



これにならうようにして、もう少し考えました。

こうしてパソコンで文章を打ちながらいつも感じるのは、文章がつづられつながっていく流れや動きは、私が文章を書きはじめた動求翌セけでなく、文章自体の動求翌ニでもいうべきものにどうしても従ってしまう、それどころか、いつしか私の動求翌ネど忘れてその文章自体の動求翌ノ任せてしまっている、ということです。文章は、「私が言いたかったこと」とは別に、なぜか、ある一定の力につねに引っ張られてしまうように感じるのです。その力を「論理」とか「物語」とか呼んでみたわけです。文章の「分析的」な書き方(=文章で書く)、文章の「記述的」な書き方(=文章を書く)、と言い換えてもいいかなとも思います。

ともあれ単純な実感としてはこういうことです。
「 言いたいことはあるんだけど、なかなかそのとおりには書けないね」。

そのうえで、さらに、考えてみると――

(1)言いたいことが書けないのは何故なのか、それを考えるべきだ。
(2)言いたいことが書けなくても、できるかぎり書けるよう努力すべきだ。
(3)言いたいことが書けないのだから、何をどう書こうと自由じゃないか。

「書くことの倫理」という問いをたててみるならば、こういったところを巡っているのでしょうかね。

*さかいさんも私も自分の懐中電灯でそれぞれに照らしている感じでしょうかね。 でもそれはだいたい同じ暗やみなのでしょう。


ああ、でも。 No: 402 [返信][削除]
 投稿者:さかい  03/01/11 Sat 14:04:37

Junkyさんのいっていることに呼応していませんね。
どうもすみません。

http://www.cdcp.co.jp/


どうもありがとうございます。 No: 401 [返信][削除]
 投稿者:さかい  03/01/11 Sat 13:32:47

=洛y率で不用意なことをいってしまったかな、と後悔しておりました。
=翌レくは、中沢をある時期からまったく読んでおりません。内容はあまり憶えていませんが、たしか「雪片曲線論」は読んだはずで、ぼくなりにおもしろさも感じていたはずです。「ある時期」というのはじつはオウム真理教事件の頃です。その頃、中沢の本を読む気がしなくなった。事件をめぐって、著作以外のところで、中沢の無責任な態度にがっかりしたということもあります。しかし、著作を離れたところで、著作家の考えや行動を云々するのもナンセンスなことです。オウムに対する言及がされていない本においても、中沢が審美的な態度の人間であることは判ります。この審美性をぼくはうさんくさいものと思いました。

=憂unkyさんは論理と物語という。このような問題の立てかたに、ぼくは異をとなえるものではありません。しかしながら、「論理や物語」に対する「倫理」という問題が、あるように思います。などと書くと、頑迷固陋な古臭い頭の持主のように思われるかもしれませんが・・・。いま頭のなかを整理しようと、近くにある本を持ってきて、ぱらぱらとページをめくっています。

=翌スとえば内田樹「寝ながら学べる構造主義」には次のような一説があります。「世界の見え方は視点が違えば違う。だから、ある視点にとどまったままで『私には、他の人よりも正しく世界が見えている』と主張することは論理的には基礎づけられない。私たちはいまではそう考えるようになっています。このような考え方の批評的な有効性を私たちに教えてくれたのは構造主義であり」云々。
=欄燗cがいっていることは、構造主義というより相対主義とでもいうのが正しいのじゃないか、とぼくは思います。構造主義よりも先にあり、構造主義・ポスト構造主義の底流にもある相対主義。おおきく出るなら、ニーチェが「神は死んだ」といったときからの相対主義といっておきます。こういう相対主義は一面で、権威や神話を無化し、ひとのこころを自由にするという効用があります。しかし反面、この自由は、個人の行動の意味さえもなくしてしまいます。ぼくが行為するAという行為に必然性がなく、たんなる趣味の問題となってしまう。趣味なのだ、すべてが趣味なのだ、と開きなおるのなら、ひとは趣味の洗練へと向かうことになるでしょう。

=翌「っぽうでポスト構造主義的な思考の典型として、制度としての構造から逃れ、構造の外を目指すといういきかたがあります。構造の外とは、夢であり狂気ということになります。また構造をすりぬける速度や強度が語られることもある。いずれにしても、そこでは見果てぬ夢を記述する華麗なレトリックが求められることになるでしょう。

=翌、まく説明できているか自信がありませんが、そのようなことを考えるとき、中沢新一に対するぼくの不信感は、結局、倫理の不可能に対し傷ついている感じがないという点につきます。それは反倫理的というのとは違って、中沢にはなにかある種の感受性が欠煤翌オているように感じる(おわかりでしょうが、中原昌也や町田康に同じことを感じるかというと、ちっとも感じません。舞城は未読ですが)。

=嵐キくなりましたがもう少し。柄谷行人が「トランス・クリティーク」において論じている倫理の問題は、ぼくには納得がいくものでした。カントを引き合いに、いわゆる「構造主義」的な考えかたと、倫理的実践的な立場の対立を論じています。
「構造主義的な視点に対して、主体を強調すること、あるいはそこに主体を見出そうとすることは無意味である。なぜなら、それを括弧にいれることによってのみ、構造論的決定論が見出されるのだから。逆に、構造論的な決定を括弧に入れた時点で、はじめて主体責任の次元が出現する」
=翌レくは倫理の問題を語る柄谷におおいに共感しています。(実践としてのNAMについては、どうもぼくにはうまくとらえきれません。誰もがダメだろうと思い、事実ダメなのですが、なぜダメなのか、誰もまともに論じていないような気がする。どう思いますか?)

=乱繧スらずなことをたくさん書きました。お許しください。
=莱チ藤典洋は、ほんとうに切れない包丁でむりやり切っている感じがしますね。でもそれがなんだかおもしろいし、リアリティがある。

http://www.cdcp.co.jp/


長くなりすぎたので、読み流してください No: 400 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/01/10 Fri 03:38:53

たしかにこれは本質的な問題だと思います。

大きな問題であれ小さな問題であれ、ものごとを誠実な論理によってきちんと見極めようとする、そういう立場(すなわちそれが哲学でしょうか?)からすると、「レトリックばかりのエンターテインメント」というのは頽廃だと思います。

野矢茂樹などを読んでいると、ああいうふうに(野矢茂樹の書き方のように)、言葉を数学の証明のように地道に当てはめていく作業でないかぎり、哲学は哲学たりえないと思います。

その一方で、これは私の限界というか諦めなのかもしれませんが、言語を論理的に使っていったつもりでも、そうした論理だけではなぜか前に進めなくなる段階がくる、あるいは「もうやってられん」という気持ちになることがあります。アキレスが亀に追いつけなくなるみたいな?=浴i ・・・う〜む、これもレトリックですか・・・)

その理由として、今ちょっと考えていることを言います(大ざっぱな見取り図しか示せませんが)。

私たちの日常の言語活動は、たしかに「論理」がそれなりに統率しているけれど、もうひとつ統率しているものがあって、それを何と呼んでもいいのですが、たとえば「物語」とでも呼んだら少しぴったりくるかと思います。 このことは、数学の証明が数学の「論理」だけで出来上がっているのと大きな違いといってもいいのかもしれません。

すなわち、言語は「論理」と「物語」の両方に従うようにして使われている。そういうふうに捉えると、「言語とは何か」の見晴らしが少しよくなると思うのです。

そして、言語が「論理」だけでなく「物語」的なものによっても統率されているという実感があることから、私たちの読み書きは、多少アイマイでテキトウであっても、ついつい許され見過ごされてしまうのだと思います。そこから「言論なんてどうせ遊戯だよ」といったズボラなニヒリズムあるいは頽廃がやってくるのでしょう。そういう甘えを、「ポスト構造主義」と呼ばれた言論の一部、とりわけ中沢新一あたりに感じるのだとしたら、それは同感かなと思います。

それはそうなのですが、私の関心の中心を、もうすこし言います。

それは(当たり前の前提かもしれませんが)、言語は「論理」というものに従う形で誰かが一から作ったわけではない、ということです。 数学の教科書が、数学の論理によって誰かが一から書いたのと対照的です。それにもかかわらず、私たちの言論活動は、発祥してからずっと、「論理」そのものではなかったはずなのに、「論理」という強力な枠組みに従うことを強制されながら構築され使用されてきたと思うわけです。

では、さっき「物語」と呼んだものはどういう位置にあるかというと、そういう点では「論理」と同じ資格しかありませんが、同じ資格ならあると言いたいのです。つまり、私たちの言語活動は、「論理」に強制されがちなだけでなく、少し違うスケールにおいては、どうも別のなにかにも強制されがちであり、その何かを「物語」と呼んでみようということだったのです。(なお「論理」は学問的には定義がはっきりしているようなので、ここでいう「物語」もそうした定義をいったんすべきだとは思います)

そういうところからすると、中沢新一の論述は、ある種の「物語」に従っているだけで、正統な哲学や科学の「論理」には従っていない、という批判はできると思います。しかしそれと同時に、そもそも言語は「物語」と相似ではないように、「論理」と相似でもないのだから、これはこれでいいのかなと思ったりもするわけです。そういう積年の迷いをかかえつつ、『雪片曲線論』を、結局、懐かしいような楽しいような気分で読んだのです。

ついでなので、もう少し言います。

「言語」は、「論理」や「物語」に引っ張られてきたけれど、「論理」や「物語」と相似ではない、と書きました。では、そもそも私たちの「現実認識=私たちがカンジたりカンガエたりしている本来のスガタ」といったものがあるなら、それは、「言語」や「論理」や「物語」とどんな関係にあるのでしょうか。

私はこう思います。私たちの「現実認識」は、どうやら(少なくともサルやネコに比べたら)「言語」に強く引っ張られてきた。ということは、私たちの「現実認識」もまた、「言語」を引っ張ってきた「論理」や「物語」に引っ張られざるをえない。だからといって、「言語」が「論理」や「物語」と相似でないように、「現実認識」も当然ながら「論理」や「物語」と相似ではない。

しかし、このことは、「言語」が、「論理」や「物語」を迂回しつつ、「現実認識」に相似となりうる可能性だけは否定しない。

あるいはまた、「言語」は、「論理」や「物語」など歯牙にもかけず、それどころか「現実認識」すら無視したままで、新たな<論理>や<物語>や<現実認識>を、自律的に作っているのかもしれない。

そうした野望の試みが文学だ、ということは言えそうですね。

では、その場合の「論理」と<論理>の関係は???

・・・もうこのへんにしておきます。


うーん。 No: 399 [返信][削除]
 投稿者:さかい  03/01/09 Thu 23:44:52

ぼくは中沢新一は嫌いです。
あいつのレトリックにかかると論理の対立点が無意味化されてしまう。
それこそレーニンも出口王仁三郎もドゥルーズも麻原もいっしょくたでしょ。
それをエンターテインメントとして愉しむというのは、
思想の退廃ではありませんか?
そして、同じことを高橋源一郎にも感じていて、「小説教室」などを読むと、
老人ぼけや精神病がおもしろい、すぐれた文の見本となっている。
高橋や中沢が演じて見せているのは、ポストモダン的な退廃ではないか。
どうでしょう、Junkyさん。
これは本質的な問題ではありませんか?

http://www.cdcp.co.jp/


こちらこそよろしく。 No: 398 [返信][削除]
 投稿者:さかい  03/01/03 Fri 21:19:05

おっしゃるとおり、この齢になると、身のまわりによぶんな殻のようなものができてしまい、自分の関心の中心にあるものをそのまま晒けだして、真剣になにかを語り合うということが少なくなるようです。残念なことですが。
けれども、すくなくともネット上では、もっと身軽になりたいな、とぼくは思っています。ぼくは保坂和志についてなら、まだまだ語れる気がします。
ぜひ本年もよろしくお願いいたします。
(野矢「同一性・変化・時間」半分ほど読みました。くだけた調子なので、うっかりしているぼくは、重要なことを読み飛ばしてしまいがちです)

http://www.cdcp.co.jp/


もう年が明けてしまいましたね。 No: 397 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  03/01/01 Wed 23:29:03

私はさかいさんと同世代かと思います。だから、ドゥルーズやバルトといった固有名は、ちゃんと読んだわけでもないのですが、とにかく懐かしいです。「ひょうきん族」とか「戦場のメリークリスマス」とかいうのと同じです。野矢茂樹は、そっち系(フランス現代思想)とは別の、分析哲学(言語哲学)系ということになるのでしょうが、野矢さんの著書は、先行の哲学書をあれこれ参照しなくても、その著書だけでちゃんと理解させようと苦心(サービス)しているようにおもえ(柄谷行人などとは対照的?)、読むたびに好感度は上昇します。そんな流れで、哲学者と呼ばれる人のなかで野矢茂樹だけは、そろそろ自己紹介の趣味欄に書いていいかなというくらいの存在にはなったと思います。とはいえ、私は野矢茂樹の本を、結局ずっと独りで読んでいるわけで、だれかとそれについてちゃんと話したことは一度もない(この掲示板などを除けば)というのは、考えてみれば不思議です。というかちょっと寂しいですね。いや、それ以外のどんな話も、誰かとつきつめて話したという経験は、このところ極めて少ないのですが。いつか、そういう求莱もあるといいなと思います。「そのうち」ですね。

保坂和志は、私としてはけっこう読んだほうに入るのですが、それなのに、「自己紹介の趣味欄」に書けるような存在には、どうもなかなかならない、というやっかいで気掛かりな作家です。保坂和志を好んで読む人の感想の共通基盤が、どのへんにあるのかがつかみかねるということが、大きい原因だと思います。つまりたとえば「保坂和志が近代小説をどう乗り越えようとしているのか」という問いを建てたとしたら、読者はそうとうバラバラなことを言うのではないかというような不安定さです。さかいさんが、保坂和志をこんなに重要視し、また勇気づけられるというのも、実は意外でした。その結果、保坂和志にまた違った興味がわくと同時に、また違ったわからなさも巻き起こりました。これも、また「そのうち」、なにか進展があるといいなと思います。

そういうことで、ことしもよろしくお願いします。(新作作品は読んだ時点で、そちらに何か書き込みます、そのうち。)


あらためまして、こんにちは。 No: 396 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/12/29 Sun 09:37:01

=翌レくが大学生の頃、ニュー・アカデミズムなどという怪しげなネーミングを戴いたフランスの現代思想が流行りましたっけ。当時は生意気盛りの若者でしたから、そういうものを摂取しようといっしょうけんめいでした。その頃、ロラン・バルトはかなり翻訳が出ていましたが、ドゥルーズの「差異と反復」などは、まだ雑誌に断片的な紹介があるだけでした(原書が読みこなせる能力があるわけではありません)。まあ、いまは気楽なもので、数年で廃れてしまう最新流行はどうでもよくて、自分の関心の赴くまま、本を手にとるだけです。野矢茂樹(それにもうひとり永井均)は、とてもおもしろいですね。欧米の哲学の解説でなく、まずオリジナルな問題をたて、そこから考え抜こうという姿勢がありますから。「哲学・航海日誌」も一応読みましたけれど、後半はよく理解しきれていなくて、これもそのうちまた読みたいと思っています。「そのうち」ばかりなんですが・・・。

=翌ウて、保坂和志。保坂は「小説修業」のなかで、ジョイスやウルフ、チェーホフをとりあげて、共通の世界観をそこに認めています。その世界観をぼくなりにいいかえますと「ひとがこの世界のなかで孤独に死ぬ」ということです。もうひとことつけくわえるならば「世界のなかで孤独に、孤独からの脱却に憧れながら死ぬ」ということです。思うに、近代小説は「孤独からの脱却に対する憧れ」を、いつもうつくしい夢のような場面として描いたのでした。保坂和志は、しかし、小説がそういう構えに甘んじていることが気にいらないのですね。それを乗りこえていこうという意志を持っている。これは、ぼくにはとんでもない蛮勇に思える。保坂がやろうとしていることは、一歩間違えたら、単なる神秘主義になってしまうから。けれども、保坂は小説にはそれができる、と信じている。そしてたぶん、小説が人生のアクセサリーでなく、ひまつぶしでもなぐさみものでもないという存在意義をその一点の可能性に求めているのだと思います。

=憂unkyさんは「小説を書く人にとっては、 保坂和志を読むことは、書くことを勇気づけられるのか、それとも、もしかして勇気を損なわれるのか、どちらなのでしょう?」とおっしゃいました。ぼくは全面的に保坂和志の意志に共感します。その共感が実作の場面にどうつながるのか、というと、これはしかし、いまはうまく答えられません。ぼくは、web上に細々と短い小説を書いては載せ、書いては載せしています。これをずっと続けて、いつかはどこか広々とした場所に抜けられるのかどうか、なんともいえません。書き手としては、一篇一篇のできばえが気になるし、そうしてひとつずつハードルを超えていくことしかやりようがないというのが実際のところです。いまのところは、読書好きな若い娘さんに、星新一みたいと喜ばれる、というレベルのぼくではありますが・・・。

=翌烽、一年も終りですね。読むことについていうと、今年は、内田百の小説(岩波文庫の「冥途・旅順入城式」や「東京日記」)が読めたこと、それに初めてカフカの短篇集を「おもしろく」読めたことがなによりの収穫でした。ぼくは会社が休みになったとたん、風邪をひいて寝こんでしまいました。
=浴uスヰス」おもしろそうですね。またお便りいたします。

http://www.cdcp.co.jp/


わー! No: 395 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/12/26 Thu 22:42:35

実にていねいなお答え、ありがたいというより、
なにやら申しわけない感じです。
本日はお礼のみ申し上げます。
保坂や野矢については、今度もう少し書かせていただくつもりです。
どうもありがとうございました。

http://www.cdcp.co.jp/


きょうも図書館で No: 394 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/12/26 Thu 20:16:33

本の背表紙ばかり読んで時間を過ごしてしまいました。
目取真や、『マルコ・ポーロの見えない都市』などなど、借りてきました。
現時点で、ぜひ読みたいのにまだ読んでない本は、小説にかぎっても無数にあり、
死ぬまでかかっても読み切れないのは確実と思われます。
しかもそれは毎年増えていく。弱ったことですね。
しかし見方を変えれば、なにはなくとも本はあるということなんですが。
しかも、読書というのは、余暇の過ごし方としては、実に安上がりで、
図書館本ならとりわけ環境への負荷もあまりなく、すばらしいですね。

ネットの小説は、ほんとにあまり読まないです。(もうしわけない)
これまでネット上で偶然行きあった人のサイトで、ほんの少し読んだ程度です。
たとえば、
http://cat.zero.ad.jp/gips/
http://www.geocities.co.jp/Bookend/3346/main.html
とか。
最初のサイトでは、 小説の書き方日記というページがあって、
http://diary.lycos.co.jp/view.asp?QnDiaryId=2172
こっちは、けっこう熱心な読者だったりします。
あと、
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/
こちらも小説を書く人らしいですが、
小説ではなく、日記のほうをときどき読みます。

こちらも小説ではないのですが、「スヰス」というサイトがありますね。
http://www9.ocn.ne.jp/~canal/index.html (けっこう有名)
ブコウスキーの小説みたいなおもしろさ。
それにしても、ここに書かれている日常や思考は、
生の事実だから、面白いのか、
それとも、もしやすべて創作だとしたら、もっと面白いのか・・・
とか思ったりします。
どのくらい推敲して載せてるのかな、と思ったり・・・

酒井さんの小説「宇宙の晴れわたり観光ツアー」は、
http://www.cdcp.co.jp/hidehide/space-hyousi-.html
まだ「0」と「1」しか読んでいませんが、
かなり気に入っています。
電車が舞い上がるところの、優しい物悲しさ、とか、いろいろ。
宇宙の晴れわたり、というタイトル、およびモチーフ、
とりわけ好ましい。 コンビニも電車も出てくる小説。
主人公が同世代の勤め人であることも、好ましい。
楽しみに読みます。
前にも言ったかもしれませんが、
伊井直行ふうの独特の感じや、あるいは、矢作俊彦の感じも期待しつつ。

でも最後は、実は、
一つ一つの単語や細かい言葉づかいに、込めた、
吟味のぐあいに、引き込まれるか、引き込まれないか、
(合うか、合わないか)という
ナイーブなところが、けっこう、大事ですね、小説は。

保坂和志について、わたしは
エッセイ的な著作で述べられている内容に、
ともかく関心がストレートに一致し、
ではそれが小説でどう展開されているかというところは、
うまく捕まえきれないがゆえに、いっそう頑固に関心があります。
『小説修業』は、その二つをつなぐようにおもえて、
わりとしっかり読みました。それにしても、
小説を書く人にとっては、 保坂和志を読むことは、
書くことを勇気づけられるのか、
それとも、もしかして勇気を損なわれるのか、どちらなのでしょう?

野矢茂樹のその本は未読です。
わたしは今のところ『哲学・航海日誌』という本を
決定版的に受け止めていて、何度か蒸し返しています。
でも、そっちもいつか読むと思います。
ところで、酒井さんが、野矢茂樹の本を
どういういきさつで読むようになったのか、ちょっと気になります。

長くなりました。とりあえず、このへんで。


カルヴィーノ!? No: 393 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/12/22 Sun 16:07:42

=翌サんな冗談にもカルヴィーノなんかと比較されたらひとたまりもありませんよ。ちょっとずつ書いていますが、どうもぼくはサラリーマンぽく、せこくっていけません。
「マルコ・ポーロの見えない都市」は強烈でした。「冬の夜・・・」は買ってあるけど未読なので、そのうちに読もうと思っています。
=絡ナ近、小島・保坂の「小説修業」をうーむと唸りながら読み直しました。保坂和志のように近代小説の限界点を明確に意識して考えを進めようとしている作家は、ほかにはなかなか見当たりません。(ぼくが不勉強なだけかもしれないのですが)
=乱ウ月に読もうと思い、野矢の「同一性・変化・時間」をイー・ショッピング・ブックスで注文しました(送料無料でセブン・イレブンに届くので重宝してます)。こっちのほうは読まれましたか?

=翌あ、拙作を読んでいただくなら「web長編小説怒涛の日々」をお勧めします。これだけは自分で読み返して笑ってしまいました。
=溶et上の小説で、これはおもしろいというのはありますか?

http://www.cdcp.co.jp/


ナムサン No: 392 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/12/22 Sun 10:25:27

柄谷行人がQから撤退したかと思ったら、
とうとうNAM自体もおしまいですか。いやはや。


おもしろい小説がよみたいですね No: 391 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/12/22 Sun 10:17:00

こんにちは、さかいさん。
創作のほう、継続していらっしゃるようですね。
(当然ながら、仕事も)
三連休も、いろいろ忙しいのでしょうか。
私などはもう××連休で、なんだか世界一周旅行でもできそうな勢いです。(あまり表立っては書けない)

先日『ボヴメ翼梶[夫人』を読み終え
そのあと胃ガン検診にいったら、帰りに、古書店で
世界の文学『嵐が丘』(中央公論社)が100円だったので、
買って読んでいます。(箱入りで、元値が390円というのもすごい)
小説は、よそに気を散らさず、一息で読めるといいんですがね。
長いものでも、金曜の夜に読みはじめて日曜の午前には読み終わった、
みたいなのが理想ですね。 でも、なかなか。
プルースト『失われた時を求めて』の抄訳版(文庫本)が
本屋に並んでいましたが、それでも3冊あって、けっこう分厚い。

まあしかし、そういう点で、小説は、
何時間か、何日間か、
読者の意識を独占してしまうわけで、なかなか暴力的ですね。

目取真俊は読んだことありません。
こんど図書館で借りてみます。
(さかいさんの完結新作も、ちゃんと読みますので。カルヴィーノを超えるような面白さを期待して)

http://spill.jp:8758/


おひさしぶりです。 No: 390 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/12/20 Fri 22:37:13

いつも愉しみに見ています。
今日は目取真俊を読みました。

それはともかくNAMが解散らしいですね。
ひとさわがせな!

http://www.cdcp.co.jp/


新創世記 No: 389 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/10/19 Sat 21:55:09

1

DNAが仕事をするには、有求藍ィ(たんぱく質)が必要。でもその有求藍ィ(たんぱく質)は、そもそもDNAがなければ合成されない。いやまったくどうなってるんでしょうね。 (RNAなら、DNAとちがって、それ自体で仕事できるとかいう説明もあったようですが・・・)


個々の言葉は、言語体系全般(文脈や文磨翌煌ワめて)を前提にしなければ、実は意味をなさない。でも言語体系全般は、個々の言葉の集積によるほか成り立ちようがない。――というのと似ていますかね。言語という「複雑で動的なシステム」は、なんだか最初の段階から複雑で動的だったというふうに思うしかないような気もしてくるわけです。

ちょうど野矢茂樹『『論理哲学論考』を読む』を読んでいたのですが、論理というものも、その論理をすでにわかっていない人には根本的な説明はできない、ということになるようで。これも似た構造です。 (ただ、野矢茂樹のほんとうにおもしい考氏翌ヘ、そこから先にあるようですが)



>こうしたタンパク質合成や生物の発生過程では、それ自身はたんぱく質をコードしない微小なRNAの作用が不可欠であることも次第に明らかになってきているようです。

中村桂子は、生命の神秘というならそれは、遺伝子がコピーされるといった次元ではなく、はっきり、発生(受精卵から人体ができる個体発生、および、アメーバがヒトへと進化してきた系統発生)にある、と述べています。発生ということのあまりの不思議さは、えも言われぬものがあり、それはとりもなおさず、発生のしくみを解明していく難しさであるというような感じ。それは、微笑なRNAの作用、そうしたことがいくつもいくつも絡み合うのでしょう。その絡み合いとは、ただ複雑で重層的なだけなのか、それとも、なんというか原理的に理解しがたい側面があるのか、そういうところを知りたいですね。

たとえばニューロンが信号を伝達するメカニズム、あるいは脳の皮質のこの部分が身体のこの働きに対応するといった次元ではなく、脳神経系全体(および身体全体?)が、まだよくわからないややこしい絡み合いをしていくなかで、やがて意識や心が立ち上がってくる、その解明の道がとほうもなく遠いということと、同じですね。


>いちばん不思議なのは、そもそもそうしたすべてが「ある」ということですが。

いやまったくです。『論理哲学論考』も実は、やがてその不思議さが見えてくるところに真骨頂があると思いました。(保坂和志が一番大切にしているのも、その「存在することそのものの不思議さ」だと思います)。その不思議さを相手にしなきゃいかんのだから(あるいはそのためにこそ)、言葉の限界なんて俺がさっさとはっきりしておいてやるよ、というようにして『論理哲学論考』は書き始めたのかもしれませんね。

http://www.mayq.net/witt12.html


beyond the central dogma No: 388 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/10/19 Sat 19:17:52

DNAの話ですが、一般に流布している(?)イメージは、始原に30億塩基対のDNAがぽつんとあって、でそこからいろいろあってたんぱく質ができてということだと思います。

でも実際は、すでにたんぱく質やRNAがあって初めて、DNAは求濫\します。タンパク質合成の最初に起きる転写(mRNAができる)という現象だって、転写因子というたんぱく質複合体などがあって初めて可能になります。またこうしたタンパク質合成や生物の発生過程では、それ自身はたんぱく質をコードしない微小なRNAの作用が不可欠であることも次第に明らかになってきているようです。

不思議なのは、現在われわれがあるような仕方のシステム、複雑で動的なシステムがどう形成されたのかということです。すでに作動しているシステムの一断面を切り取るとDNA→RNA→たんぱく質というような構図が析出されたりしますが、それはあくまで一断面です。

いちばん不思議なのは、そもそもそうしたすべてが「ある」ということですが。


 No: 387 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/09/30 Mon 21:41:40

じゃあこんどは「王子オフ」を。
都電にでも乗りつつ。
東京辺境シリーズ第1弾。


王子のホテル No: 385 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/09/29 Sun 22:21:41

>泊まり客には映画無料鑑賞券を出してくれたりする。
一発でわかってしまったのですが・・・(笑
お知らせしていただければ、王子のディープスポットをご紹介できたのですが。

『重力』が分裂したのって本当ですか?
情報を探りにいって参ります。


怒り心頭に発する No: 384 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/09/22 Sun 08:09:23

訂正。恥じ入ります。

特殊思想に固まった国家ぐるみの犯罪。
私にとって、今この言葉が身近に当てはまるのは、
道路公団や電力会社や銀行をのさばらせている
日本国支配層の思想と犯罪だ。

http://www.shohyo.co.jp/punch/composite/compsite26.html


怒り心頭 No: 383 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/09/21 Sat 14:43:54

達するではなく発するではないでしょうか。

私の場合、怒りの矛先は、金正日や外務省の態度ではなく、他者の痛みを
勝手に身内に回収して、大日本国と一体化し、北を秩翌ッ、北爆せよ、と
叫んでる連中なのですが。


芥川賞の選評はともかく、 No: 382 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/09/06 Fri 10:55:20

吉田修一「パレード」は、
仲俣暁生という人がほめているので、気になっています。
(下のサイト)
このサイトの書評は、取り上げる本が、私も好きなものが多いので、
面白いです。(都築響一とホンマタカシの写真集と一緒に論じたり)

http://www.shohyo.co.jp/punch/composite/compsite26.html


吉田修一その他 No: 380 [返信][削除]
 投稿者:やっさん  02/09/06 Fri 01:37:59

吉田修一は『パレード』のみ5月に読みました。
今時のそれぞれ個性の違う若者と彼ら相互の関わり合いを淡々と描き、
最後の落ち(?)も別にどうということはない。よくありそうな話。
この一冊では、なぜ彼が今評価されているのか分かりません。
描き方なんでしょうか?誰か教えて下さい。

純文にしろエンタメにしろ、面白さ第一を旨とする私の読書では
阿部和重『ニッポニアニッポン』の方が良かった。
結末に向けて一切無駄なしのスピード感で作品が締まっている。

その他、最近読んだ本で良かった物。
・『聖の青春』大崎善生
ノンフィクション。将棋を知らない人でも楽しめる将棋界の話。
若くして他界した聖(さとし)の生き様には素直に感動。
・『ジョッキー』松樹剛史
小説すばる新人賞。競馬を知らない人でも楽しめる競馬界の話。
女性登場人物の描き込みが貧弱だが、そんなことを問題としないエンタメの秀作。
・『ガートルードとクローディアス』ジョン・アップダイク
シェイクスピアの『ハムレット』が世界文学史に残る限り、
この作品も語り継がれるであろう。ルネサンス彫刻を見るような
芸術作品。


多謝! No: 379 [返信][削除]
 投稿者:アンチ★ニヒリスト  02/08/15 Thu 23:11:47

日記のご紹介有り難うございます。

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/98205/


それはそうと、 No: 378 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/08/14 Wed 04:10:49

資本の可能性と限界に関する、
きわめて納得の考氏翌ェ下(8月11日)にあります。

http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/


照れは大事、そういう方なら大丈夫でしょう No: 377 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/08/14 Wed 04:00:07

田中純氏を茶化したような日誌になってしまいましたが、
業績や人物について、文句を言いたいのではまったくありません。
というか、そもそも知らないのですから。

ただ、単純に、
地鎮祭という風習がとても奇妙で面白いなと思ったのです。
とりわけ「日本の人文科学を牽引する」学者としては、
どんな心境だったのだろうか、と。
で、こういう現象や体験は、
表象文化論とかカルチュラルスタディーズの対象にはならないのかな、と。
ヨーロッパの題材が多い(ようにみえる)のは、
どうなんだろうという素朴な疑問ですね。

たとえば、
井上章一の『パンツが見える。』なんていうゼミがあったら、
少なくとも、相当とっつきやすい。

http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2002/0526/02.html


ブルジョアになっても、根性(思想)はプロレタリアとか? No: 376 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/08/14 Wed 03:29:43

『重力01』のインタビューでスガ秀実氏が、「@實さんにこの前五年ぶりぐらいにあいましたが、非常にいいですね。お互いに(笑)。あっちがブルジョアで、こっちがルンペンで、てんぷら定食を割り勘にしちゃう」と発言していました。
これを読んで感じたのは、「おごらないブルジョア」と「たかれないプロレタリア」という階級差でした。貧乏なくせについおごってしまったり、たかることについ恥じらいをおぼえてしまうのは、悲しきプロレタリア根性です。そういう悲しさは、たぶん@實氏には永遠にわからないでしょう。
私は、プロレタリアとして生まれ育ったせいで、仮に金持ちになっても、大いにおごってしまいますよ。
まあ、人によるのかもしれませんが。

それはそうと、
階級(貧乏か、金持ちか)が思想の根幹を作る場合もあれば、
思想が階級意識(貧乏根性、金持ち根性)を作る場合もある、
なんてことを思いました。
だから、実質的に貧乏であっても、思想的に金持ちであれば、金持ち根性になるということです。
(逆もあり?)。


タナジュン No: 375 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/08/13 Tue 00:05:09

「いちばんまともだよね」(学生A)、「照れたような笑い方が渋くてたまらない」(学生B)といった最大級の賛辞を贈られている田中純のゼミ(講義は毎学期ゼミ形式)を、近くて遠い学生時代に何回かとったことがあります。
何より印象に残っているのは彼の専門と目される都市表象分析の講義ではなく、美術史家ヴメ浴[ルブルクが自らが分裂病(統合失調症?)から回復したことを示すためにビンスワンガーの療養所で行った講演のテクスト(『蛇儀礼』)を、参加者全員で担当を区分して訳して読んだゼミです。ホピ族の村でのフィールドワークを通じて見出した人類の根源的な分裂病性などなど、非常に興味深いものでした。

でも、明日自分が死んでしまうというときに(こういう想定に意味があるとして)彼の著書を読むかというと、・・・(そもそもそんなときに本を読むかという問題もまた別に立てられますが)。


ブルジョアにはなれると思いますよ No: 374 [返信][削除]
 投稿者:アンチ★ニヒリスト  02/08/12 Mon 23:22:59

小説家の島田雅彦はプロレタリア階級出身ですがブルジョアに成りました。
貴族と違ってブルジョアは後天的に成れるものだと思います。


リンク、どうもです。 No: 373 [返信][削除]
 投稿者:JunkyJun  02/08/12 Mon 04:04:51

人はブルジョアにはなれない。
ブルジョアに生まれるだけかも。


リンクしました No: 372 [返信][削除]
 投稿者:アンチ★ニヒリスト  02/08/07 Wed 19:26:07

リンクしましたので、お知らせします。


 No: 371 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/07/30 Tue 18:07:06

求莱の平等、結果の平等。
そうですね、
なんか原則的なことを問いかけてしまいましたね。

私の関心や疑問というのが、
いつまでもその原則から離れられないせいかもしれません。

ということで、どうぞまた書き込んでください。


求莱と結果:存在するものではなく、求濫\するもの No: 370 [返信][削除]
 投稿者:アンチ★ニヒリスト  02/07/29 Mon 16:56:21

>所持金の多い人が少ない人に必ずその差額を渡す、という運動を、
常に直ちにあらゆる場面で実践するというのはどうでしょう。

求莱ではなく結果の平等ですか。
僕は、それをやるつもりは無いです。

>結局のところ、だれもが、金持ちになりたい気持ちを
捨てきれないからなのではないか、と思ったりします。

いや、NAMが作ったQが結果平等にしないのは、求莱の平等を保障する為ですよ。

>貨幣や資本制にも、隠された意味や企みなどないと思って、
(つまり《存在するものではなく、求濫\するもの》)
いろいろかき回せればいいですね。

かき回したいですね。
その、かき回し方ですが、@實さんを教師として、柄谷さんを反面教師として仰ぎながら考えていきたいと思ってます。

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/98205/


空想的 No: 369 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/07/28 Sun 06:19:16

所持金の多い人が少ない人に必ずその差額を渡す、という運動を、
常に直ちにあらゆる場面で実践するというのはどうでしょう。
(月給をもらったあととか飲み会の席とか)
挨拶がわりに財布の中身を平等化するわけですね。
あるいは、どうせならもう貨幣を全廃してしまう、
ポルポト政権みたいなやり方とか。

NAMがそういう運動をしないのは、
国家や強権による統制経済を嫌うという理由だけでなく、
結局のところ、だれもが、金持ちになりたい気持ちを
捨てきれないからなのではないか、と思ったりします。
(つまり我々は資本主義が好き!)

・・・・皮肉なことを言いましたが、それでも、
Qはおもしろいと思います。
Sもおもしろいと思います。

世界や人生に意味を求めてしまうのが
ニヒリズムであり、したがって、
ニヒリズムを超えるというのは、
世界や人生に意味などないと割りきることである、
とかなんとか、永井均が書いていたようですが、
貨幣や資本制にも、隠された意味や企みなどないと思って、
(つまり《存在するものではなく、求濫\するもの》)
いろいろかき回せればいいですね。


文学の系譜 No: 368 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/07/28 Sun 05:48:27

私、4人とも特別に尊敬しております。
(念のため)


重力イベントレポート 多謝! No: 367 [返信][削除]
 投稿者:アンチ★ニヒリスト  02/07/23 Tue 23:39:39

はじめまして。
重力イベントレポート 読ませて頂きました。
あれ、雑誌採録しないものなので、有り難いです。

さて、「重力」もその販売の際に一部支払いを認めている、地域通貨Qについての考氏翌熄曹「てるサイトを運営しています、私。
よかったら、目次をご覧にいらして下さい。

それから、村上龍のエッセイのパロディという側面もある小噺を書いてます。
バカバカしい文を読みたい、と思われた時は、これ、読んでみてください。

それでは!

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/98205/


似てますな No: 366 [返信][削除]
 投稿者:月刊てがぬま  02/07/19 Fri 18:30:27

顔が。今まで気がつかなかったのが不思議と言うか。


ベスト4-alternative- No: 365 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/07/06 Sat 02:44:24

文学の系譜

http://www.geocities.co.jp/Bookend/3346/p-ex-1.html


読書弱化月間 No: 364 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/07/06 Sat 01:52:25

>やっさん
忙しくて、『金閣寺』すら中断の状態。
「憂国」についてはまたいずれ。

>moja-biedaさん=翌謔、こそ。
ベスト5。明快ですね。
理由などもお聞かせいただきたい。
私にとっても、ベスト5の作家をあげれば、きっと
後藤明生、村上春樹は入るかなあと考えたりしました。
(@實重彦の小説は読んだことがありません)

とりあえずウェブ上にあるのは、
『世界の終りゥ・』http://www.mayQ.net/mujinharuki.html
『挟み撃ち』http://www.mayQ.net/hasami.html
です。まあ、印象を適当に書いただけですが。

ほかはまた徐々にということでゥゥ・

http://www.mayQ.net/junky16.html#000910


 No: 363 [返信][削除]
 投稿者:moja-bieda  02/07/04 Thu 16:19:38

古井由吉『仮往生伝試文』
中上健次『岬』
後藤明生『挟み撃ち』
村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
『ねじまき鳥クロニクル』
@實重彦『陥没地帯』

以上の本の感想を聞きたいです。
私のベスト5です。


三島由紀夫なら No: 362 [返信][削除]
 投稿者:やっさん  02/06/26 Wed 13:35:16

ぜひ『憂国』(短編)もご一読を。


重力イベントレポート No: 361 [返信][削除]
 投稿者:狆太  02/06/25 Tue 20:24:44

ひさしぶりにこのサイトにやってきたら、レポートが載っていてビックリしました。参加者の立ち位置がわかって面白いです。何か新しいものに結実するという意味ではあまり実りのある討議ではなかったようですが。
ごくろうさまでした。ありがとうございました。


 No: 360 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/06/22 Sat 14:41:47

>貴重なお時間を割いていただいたのにもかかわらず、
早退するなんていう御無礼な真似をしでかしまして
申し訳ないです。

てなこと言われると、なんか、体育会系の先輩みたいだね(私)。

また会いましょう。

http://www.mayQ.net/junky16.html#000910


伊井直行について No: 359 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/06/22 Sat 03:05:17

『濁った激流にかかる橋』
私もとてもおもしろく読みました。
謎や焦点がどこにあるのか結局わからないようで、
それがむしろいい感じだった覚えがあります。

同じ作家の『進化の時計』とか『服部さんの幸福な日』とかも、
そのように始まって、そのように進むのですが、
やがて謎や焦点がはっきりしてしまうので、
そこからはむしろエンターテインメント的に楽しく読めますが、
同時にそれが不満といえば不満でした。

http://www.mayQ.net/junky16.html#000910


 No: 358 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/06/18 Tue 03:07:01

皆様、書き込みありがとうございます。
返答などは2、3日お待ちください。すみません。

http://www.mayQ.net/


「日本心中」 No: 357 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/06/17 Mon 18:07:58

今日、行くことにしました。

http://www.interq.or.jp/leo/lgallery/default.framepage1.htm


すいません No: 356 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/06/17 Mon 00:46:57

貴重なお時間を割いていただいたのにもかかわらず、
早退するなんていう御無礼な真似をしでかしまして
申し訳ないです。

プロレスと批評についてもお話ししたかったのですが、
忘れてました。
又の求莱に


伊井直行のむずかしさ No: 355 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/06/15 Sat 20:34:47

「食いだめだ、浦和で笑うだめ大工」(回文)
それはともかく、わたしの書いたものを、伊井直行に似ているとJunkyさんにいわれ、(ちょっといい気になって)読んでみました。初めてでした。
「濁った激流にかかる橋」おもしろかったです。
しかし、この作者、判りやすそうでいて、微妙にわかりにくいところがありますね。なにか「いいたいこと」をいわないような、それが美学になっているような。だから、売れそうな作風なのに売れないのだな。文学好きと、エンターテイメント好きのエア・ポケットにはいってしまっている。
ネットで買おうとしても、2冊しか手にはいらないのですよ。
今度は源一郎読んだら書きますね。

http://www.cdcp.co.jp/


のんき者でいこう No: 354 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/06/15 Sat 11:58:53

う〜む、めちゃめちゃというなら、
私もここ1ヶ月ほど、
無闇に忙しいだけで、さしたる花も実もなく、
まあ、めちゃめちゃな日々でした。
というか、社会(会社?)との関係という点でいけば、
もう10年も20年も、
調子の外れていない時期はありませんね。

http://www.mayQ.net/juryoku.html


狆太さんへ No: 352 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/06/13 Thu 04:44:04

重力のシンポジウムの件、
当日のメモ書きしかありませんが、
そのままアップしておきます。

最後は、だんだん険悪というか、散漫というか、
なんとなく寒い印象になり、
鎌田哲哉氏が、突然キレて、怒鳴りだした、といった流れは、
メモなど取る余裕もなく、記録されていないのが残念です。

いわば盛り上げよぅとする努力、能力に欠けた重力側の面々は、
だからこそ貴重、だからこそ本質的、とも思えます。

http://www.mayQ.net/juryoku.html


寿司に死す(回文) No: 351 [返信][削除]
 投稿者:Junky(休日)  02/06/01 Sat 13:29:54

大食い選手権敗退


かもしんない No: 350 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/06/01 Sat 00:10:57

あれがなければへんなおじさん・・・。
笑ってしまいました。
たしかにね。
なんとかアンデルセンの美貌とアダージェットがなければなりたちません。
それを持ってくるヴィスコンティはやっぱりえらいけど。

http://www.cdcp.co.jp/


重力 No: 349 [返信][削除]
 投稿者:狆太  02/05/31 Fri 15:33:37

このあいだの『重力』のイベントどうでした?あの面子だったら、
かなり面白い内容だったと思うのですが。イベントレポートみたいなものを
アップしてくださいよー。


天誅! No: 348 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/05/31 Fri 14:01:21

そういう無謀な冗談はとても好きですが、
無謀な行為そのものは一度も徹底批判しないのであれば、
鈴木邦男の曖昧柔軟思想も欺瞞に思えるなあ・・・・
・・・・まあそれはそれとして、
『日本心中』見たいですね。新しい映画として。
下北沢、近いし。


ベニスに死す No: 347 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/05/31 Fri 13:56:06

若くなくなると新しい映画はあまり見なくなる。
もはや自分の許容量としては十分な数の名作を、
すでに見てしまったからなのかもしれない。

仮に今映画産業が死滅してしまって、
これからは過去の映画だけを反芻するしかない、
そういう頽廃もいいと思ったりもします。
やがてやってくる老いや病というおそろしいものを
やり過ごす秘訣は、そのへんにあるのかも。

しかし、若作りすること、若ぶることの醜さと同時に、
いつまでも新しいものに焦がれ食らいつくというのは、
またとても激しく美しいことでもあって・・・・

アダージェット、いいですね。ちょうど聴いていたところでした。
懐かしさゆえに甘美のアダージェット
あれがなければ変なおじさん


『日本心中』観に行きますか No: 346 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/05/28 Tue 13:31:00

>今週の主張・2002年5月20日=卵蜷キ況のロフト。次はシネマ下北沢だ=覧髢リ邦男
(略)
>いくら天皇制打倒論でも活字で書かれた論文に対し、右翼がテロをすることはない。写真やコラージュなどで、チャカすから、「これは普通の人なら名誉毀損になる。政府がとがめないなら、オレが天誅を下してやる!」となって襲う。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2002/shuchou0520.html

Junkyさんも気をつけてね。

http://www.interq.or.jp/leo/lgallery/default.framepage1.htm


マーラーの妙なる調べ No: 345 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/05/27 Mon 22:09:58

思うに「ヴェニスに死す」の美しさの8割方は、
マーラー5番のアダージェットにあるのではないかと・・・。
韻を踏めなくてもうしわけありません。

http://www.cdcp.co.jp/


ヴィスコン句 No: 344 [返信][削除]
 投稿者:てがぬま  02/05/27 Mon 10:50:41

我抱く憂鬱ヴィスコンティの余韻日記にしるし今日の終わる
夜渡り夢の中であなたと歩くヴィスコンティの甘き残酷

お次の方どうぞ(いなかったりして)


(途切れたので追加) No: 343 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/05/05 Sun 00:06:14

ただ「表現の極北性」という観点では ・・・・・

・・・・・・私は『あ・だ・る・と』より『ジョン・レノン対火星人』のポルノ描写のほうが好きです。


GWは勤め人には、ほんとに黄金のひとときですね、さかいさん No: 342 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/05/05 Sun 00:02:10

『あ・だ・る・と』、読みましたよ。

当時、高橋源一郎さんは
ドキュメンタリー系AV(?)の特異な映画監督、平野勝之さんとのつながりで、
AV撮影の生々しい現場を見学したり、
自分もAV撮影(監督も?)を体験したりしたと伝えられています。
(記憶のかぎりなので、前後関係は、さだかではありません)

『あ・だ・る・と』をなぜ書いたのかということになれば、
そういう体験がり離せないんだろうと思います。
実際にAV撮影の現場とか見たら、誰でもごく普通にかなりショックだろうし、
とりわけ平野監督の映画なんかは虚々実々の世界であって、
小説執筆のモチベーションがグンと高まったんじゃないですかね。
そのショックとモチーフは、
『日本文学盛衰史』に出てくる田山花袋のおろおろ具合にもつながっていると思います。
そういうことで、こんどは『日本文学盛衰史』を読みましょう!
『あ・だ・る・と』を読んだあとなら、絶対楽しいですよ。
『日本文学盛衰史』は、長編というとらえ方だけでなく、
連作というとらえ方も可能だと思いますので、
その部分だけ先に読んでもいいんじゃないでしょうかねえ。

また、『あ・だ・る・と』はひたすら糜爛しまくっているかに見えつつも、
官能という交換関係の新しい可能性の追及が行われており、
その方向は、『官能小説家』で、みごとに美しく結実したんじゃないでしょうか。

ただ「表現の極北性」という観点では、


自己言及と矛盾 No: 341 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/05/04 Sat 23:39:17

ラッセルのパラドックス(でしたっけ?)そのままですが、
ぴったりの例じゃないか!と思ったので。

自己言及、ほんとうに面白いテーマです。
何度か日誌などで書いたことですが、
たとえば「私はウソしか言わない」と私が言うことは、
どうしても矛盾が生じてしまう。
これは、あらゆる言語で同じように矛盾しそうだ。
それどころか、
宇宙のどこかに、われわれの想像をはるかに超えた生命や知能が存在したとしても、
やっぱり同じように矛盾するとしか思えない。

論理とか数学とかの正当性は、たぶん言語の形式が生み出したものであり、
したがって、
もともとは脳の仕組みが源泉なのだろうと思っていましたが、
最近は、どうもそうではないというふうに考えます。

では論理や数学という、
これほど強力で普遍性のある形式は、いったいどこから来たのだ???
それは宇宙すら超えた存在なのか???

こういうことは、ゲーデルの不完全性定理も含めて、
一生をかけてああでもないこうでもないと考えたい謎、
なのだが、GWも残りわずか・・・・

いずれまた。

http://www.mayQ.net/junky0204.html#28


あれれ・・・ No: 340 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/05/04 Sat 15:38:16

すみません。
したの投稿、名前をいれ忘れてます。
さかい、でした。


「あ・だ・る・と」 No: 339 [返信][削除]
 投稿者:  02/05/02 Thu 18:28:09

ごぶさたをしました。
いそがしい、いそがしいといっていたJunkyさん、
最近はまた日誌の更新も多く、読者としてうれしい限りです。
高橋源一郎「あ・だ・る・と」を読みました。
ほかに「ギャングたち」しか読んでいないぼくは、
源一郎のよき読者とはいえません。
Jnnkyさん、読みました?どうですか?
いえね、じゅうぶんおもしろかったのですが、
どうもひっかかるものもありまして・・・。
「AVを取りあげれば新しい」と、もしも源一郎が思っているのなら、
その考え自体は古いですよね。
古いも新しいもなく、おもしろがればいいというのなら、
それはそれでいいのですが。
なぜこれを書いたのか、いまひとつよく判らないものでして。

http://www.cdcp.co.jp/


集合論に想う、明晰と狂気、カントールを超えられず No: 338 [返信][削除]
 投稿者:まさはる」  02/04/30 Tue 23:51:07

集合論。自己言及。
意義深いテーマ。

Junkyさんが書いたような文章が巻末にあってもよいですね。


この時代に想う,共感と相克=9.11を超えて No: 337 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/04/26 Fri 09:44:21

スーザン・ソンタグ氏と語る=
意義深い催し。

ムキンポ氏と語る
こちらも同様に意義深いのでは?


同じボケなら・・・ No: 336 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/04/26 Fri 09:38:39

中東戦争の激戦地をイスラエル青年兵の眼を通して描いたといえる映画『キプールの記憶』(アモス・ギタイ監督)をこのまえ見ましたが、平和ボケは私もこの青年も同じだと感じました。私は平和ボケしつつ社会や仕事でやや辛いめに遭い、青年は平和ボケしつつ戦争ですこぶる辛いめに遭う。

青年が平和ボケしてなければ、戦争が避けられもっと良好な現実が訪れたかというと、どうもそうは思えない。

同時に、消極的な平和ボケでは戦争という現実は避けられないのが実状だとも言えるわけです。となると、もっと積極的な平和ボケ(まさはるさんが言うような?)でなければ、戦争を遠ざけることはできないということになる。

もちろん、「積極的な平和ボケ」の逆であるところの「積極的な戦争ボケ(戦争意識)」を政府や国民に徹底させれば、本当に戦争を遠ざけることができるのか、それは日本国の今後が証明してくれるでしょう。


平和ボケ万歳 No: 335 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/04/25 Thu 19:10:58

「<日本人>は<平和ボケ>だ」という言い方は<>でくくったところに確かに問題がありますよね.
前者はさておき、後者については、
平和ボケのほうが、正しいというか、より好ましいという気がしますが、
と言うこと自体が平和ボケなのだとしても
平和ボケ万歳.

世界がこんな状態なのだから<日本人>も・・・という結論が最初から有るような
知性のかけらもない論理を採用するよりは、
徹底して平和ボケしてる方がより好ましい.

平和ボケを世界に広めた平和の大使として
件のカップルをノーベル平和賞に推してもいいくらいではないでしょうか。


こんなのあるよ No: 334 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/04/25 Thu 15:53:25

この時代に想う,共感と相克=9.11を超えて─
─スーザン・ソンタグ氏と語る
パネラー:スーザン・ソンタグ,磯崎新,浅田彰,木幡和枝(全て予定)
日時:2002年4月28日(日),午後4時―午後7時30分
(午後1時チケット販売開始,午後3時30分開場)
会場:ギャラリーA
定員:当日先着400名

http://www.ntticc.or.jp/Calendar/2002/In_Our_Time_In_This_Moment/index_j.html


2002.4.24 -- 日本人が迷えば、戦争が儲かる -- No: 333 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/04/25 Thu 13:31:11

あのAP電、あまり信用できないような気がしています。
あの2人に直接インタヴューしてみたいものだ。


プロレスみたいなプロレス批評を! No: 332 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/04/13 Sat 21:43:36

たぐちくん、いろいろ考氏翌ありがとう。
うまく理解・整理しきれないのですが、適当に考えたこと。

むかし浅田彰が「ノリサメ」なんてことを言ってましたね。
乗りつつ、醒める、という意味です。どっちか一方ではいかんのだと。
それでいくと、
活字プロレスは「ノリ」としてのプロレス批評であり、
シュート活字は「サメ」としてのプロレス批評である。
そんな理解も可能かと思います。

あるいは、
小説を、
それを読んでいる体験の内側にたたずんで、
そのフメ翼塔^ジーを実在として味わいつつ、
感動そのものを出していくのが、活字プロレス。
逆に、
小説を、
それを読んでいる体験の外に立って、
そのフメ翼塔^ジーを生成物として見極めつつ、
分析していくのが、シュート活字。
そんな区分けもできそうに思いました。

>私はアングルの裏話すらも「活字プロレス」でやった方がおもしろいと思うんですけどね。

これは実に示唆にとんでいますね。
つまり、
小説が「おもしろければ勝ち」であるのと同様、
批評もまた「おもしろければ価値」なのだということでしょう。
(プロレスとプロレス批評も同様)
福田和也がそれに意識的かどうか、それに成功しているかどうか、
それは私はよくわかりませんが。

こういう観点からいくと、
活字プロレスは、いつのまにか、
プロレスそのものに似てくるということになるのではないでしょうか。

そしてまた、文学の話に戻りますが、、
「小説とそっくりになってしまうような批評」こそを、
私は熱望しているんじゃないかと思ったりします。


昨日 No: 331 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/03/31 Sun 19:40:45

とある文学研究会に行って来ましたが、もろ「シュート活字」でした。
サッパリわからなかったです・・・


サーバがメンテナンス中のため No: 330 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/03/16 Sat 00:47:07

一週間ほどお休みさせていただきます。


シュート活字を超えたものが活字プロレスなのだ。1 No: 329 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/03/15 Fri 21:57:36

文学とプロレス、を同じレベルにして考えるとき
作家がプロレスラーになって、小説内容が試合になるとは思いますが、
ただプロレスには「アングル」というものがあって、それが文学にはないのです。
「アングル」とは試合までに興味を引きつける---タイガー・ジェット・シンが
新宿で猪木を襲撃したり(シン本人は「アングルではない」とは言っているようだけれど)---ものですが、これを文学に強引に合わせると、小説の筋道あるいは表層的な何か、になるでしょうか。
あるいは逆にアングルこそが(小説で言う)小説内容で、試合がストーリーなのだ、
と考えることもできるとは思います。
というのもただの遺恨だけではなくて、政治的な背景をバックボーンにして
それに何らかの主張を加えるアングルというのもあることにはあるのですが(ホーガン×スローターの抗争)、
そうすると本来見るべき試合が表層的なものになってしまい(ただアングルの結果を求める)、
それならドラマなりをみればいいだけ、プロレスの特色である「試合」が薄れてしまうので、
アングル=内容だというのは違うと考えます。
田中正志氏の言う「シュート活字」というのがどのレベルまでをシュートするかは
私は彼の著書を読んだことがないので(古本屋で異常に高かった)、詳しくは知りません。
仮にアングルの裏話をシュートしたところで、文芸研究であるならば、
小説の筋道がどうやって出来上がったか、という本当にどーでもいいことしか解説できません。
もしシュート活字というのを本気でやるならば、試合内容とアングルに必然性が持たれる
ようなプロレスが展開できるようになれば可能だとは思います。
しかし、今そこまでのクオリティーが日本プロレスに求めるのは酷じゃないでしょうか。
試合内容で素晴らしいことができるところはアングルは基本的に無いし(NOAH)、
アングルで推してきているところは試合はチープ(大仁田対長州)です。
以前の大日本プロレスの本間×登坂抗争は最後のガラスデスマッチまでアングルと試合内容が
見事に噛み合い、パーフェクトでした(だいぶ非一般的ですが)。
そういった「必然性のプロレス」がない状態の日本でシュート活字をやろうとしているのは
田中氏のただのアメリカかぶれでしかありません。
(期待が持てるのはZERO-ONEか?=欄ャ龍門ももう少し。これは田中氏と一緒ですが)
だから、基本的に私は日本のプロレスを力入れて見ているわけではありません。
アメリカのプロレス、というのはまた別の求莱に触れたいと思います。


シュート活字を超えたものが活字プロレスなのだ。2 No: 328 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/03/15 Fri 21:56:47

で、Junkyさんの
>文芸批評というものが、
>小説に対して「シュート活字」であるほうがいいのか、
>たぐちくんの言う「活字プロレス」であるほうがいいのか
これはどうでしょうか。
あくまで田中氏が言っている(と私が思いこんでいる)「シュート活字」で
文芸批評をしたところで、小説粗筋の裏話を分析するだけになってしまい、
それのどこが「批評」たりうるかはわかりません
「活字プロレス」はそれに対する自らの感想に近いものになりますが、
その感想は他者に向けておこなわれる感想で、他者を引きずり込ませるほどの
ものでなければならないと思っています。
小林秀雄は「活字プロレス」でしょう(と言っても横光への批評しか読んだこと有りませんが)。
私はアングルの裏話すらも「活字プロレス」でやった方がおもしろいと思うんですけどね。
>勝ち負けやチャンピオンを決めるプロレス的な遊びにしてしまったら、
>これは大衆的に楽しめるのではないかということです。
フクダカズヤという人はこれをかなり意識的にやっているんじゃないですか。
自分がヒールのチャンピオンだと思って。
基本的に客を呼べる人がチャンピオンですから。

もしかして、「シュート活字」で行くべきだと思っている方がこれを読んでくれる
可能性があるかと思いますが、その人たちに伺いたいのは、
私の「シュート活字」観は上記で正しいのでしょうか?
基本的に不勉強なので、田中氏の著書は読んだことがなければ、
インターネットの活動も追っていません。
かつて『紙プロ』のインタビューを一度読んだことがあるだけで、
以上のような感想を持ちましたが、間違えがあればご指摘下さい。
上手い具合に手元の『紙プロNO.41』に「ビヨンドザマット」礼賛の
文章を書いていますが、ここから引用を若干したいと思います。
(自分の掲示板でやりたいのですが、tok2のサーバが反応しやがらないので・・・)
>あくまでプロレスをフメ翼塔^ジーとして楽しみたいフメ翼淘wには(中略)見ない方がよい問題作
だと言っていますが、私はプロレスを「フメ翼塔^ジー」として楽しんでいますが、
初日(二日目だったかな?)に見に行きました(しかもアメプロのTシャツを着て)。
感じたのはこの程度で「暴露」なのか、と。
このくらいはわかりきって見ていなきゃいけないのでは、と。
>上映終了後にほとんどの客が沈黙してしまった
ただ単につまらなかっただけでは?
一緒に行った友人も「映画としてはかなりの駄作だ」といっていましたし。
この映画に収められているThe Rock vs Mankindの私はThe Rockの出世試合だと思っています。
残念ながら日本ではカットされてしまいましたが、The Rockの非道振りには正直、戦慄を覚えました。
その裏舞台の映画を見せられたところで、その衝撃は和らいでいません。
これが「シュート活字」の「最終形態」だというのなら、
「シュート活字」というのはわかりきっていること、あるいは朧気ながらわかっていることを
「インサイダー」が「どーだ!=翌キげーだろ!」と言って自慢しているだけの
ものだと思いますが・・・
そういった「シュート活字」で何を楽しめばよいのでしょうか?
「楽しむ」行為の延長としてそれらがあるとは私は思えません。
プロレスはエンタテイメントであることから始まっていて、
エンタテイメント宣言をする必要もなく、存在そのものがエンタテイメントですから。
それにエンタテイメント宣言を求めるのは、虚実の区別が付かないだけのような気がします。

途中っぽいですがこれにて。


文芸批評のプロレス化 No: 327 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/03/14 Thu 04:57:47

プロレスというと、実はたぐちくんのことは思い浮かぶんですよ。
またいろいろ教えてください。(そちらの日記に書いてますけどね)

で、私がちょっと思うのは、文芸批評というものが、
小説に対して「シュート活字」であるほうがいいのか、
たぐちくんの言う「活字プロレス」であるほうがいいのか、というようなことです。

もうひとつ、改めて思うのは、文芸批評を、いったん制度化して、
勝ち負けやチャンピオンを決めるプロレス的な遊びにしてしまったら、
これは大衆的に楽しめるのではないかということです。
それでも、そうした勝ち負けやタイトルに収まりきらない、
なにか本質的な文学のようなもの(フメ翼塔^ジー?)を、きっとわれわれは想定してしまう。
そういうところに、文芸批評の得も言われぬ魅力があるのではないか。

名探偵さんがリンクした2chのスレッドでは、もうそれが実現していると見ることもできる。
名探偵さんとixionさんという有名レスラーが、対戦したかと思うとタッグを組んだり。

http://www33.tok2.com/home/bungaku/cgi-bin/che.cgi


日記を見て No: 326 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/03/14 Thu 00:03:54

私好みの話題があり、少し書いてみようかと思ったのですが、
よく文章化にできません。
今度お会いする求莱があったら、と思っています。
その時はまた「プロレス」について熱弁を振るわせて下さい。


世間では左翼の顔ばかりカッコいいという印象ゆえの左翼批判かもしれません No: 325 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/03/11 Mon 00:26:53

毎度どうも。さかいさん。

>眼を閉じて陶酔したい心性とあくまで眼を開き見つづけようとする意思の対立だと思います。
いやほんとに、戦争を語るにも、会社の戦争を語るにも、家庭の戦争を語るにも、どれもこれも、
こういう違いにどれだけデリケートになれるかというところが、
それを聞いていて気持ちが悪くないかどうかの分かれ目になると思います。
しかし、こういうことを言う自分の文章が、そういう分かれ目をクリアしているかどうかが、厳しく問われなければならないのですが。

ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』は、村上春樹の翻訳でしたね。
こんどこそ読みます。


いささか『うわさのベーコン』っぽくもある、うわさの名探偵様 No: 324 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/03/11 Mon 00:07:21

お勧めの掲示板や、『重力』の掲示板は、ときどき見ます。
個人的には、名探偵さんの日常やプロフィールを知りたい。


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